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責任を取る、人のせいにしないとは #3 自己責任論

私は「自己責任」という言葉が好きじゃないを通り越して、嫌いです。
以前は普通に使っていた言葉ですが、今は嫌いです。
そのことについて書いてみます。

「自己責任とは」

自分の行動や選択に対する責任を「自己責任」というそうなのですが、そもそもそんなものを言葉にする必要があるのでしょうか。
自分でしたことは、自分に返ってくるのは当たり前のことですよね。
毎日、朝起きるところからやっていることです。
何時に起きて、何食べる?何着る?何を持って出る?何時に出る…日々の仕事や学校に行くだけでも、選択して決めているのは自分です。
二度寝したら遅刻しかけるし、朝ご飯食べなければお腹がすく、服装の選択を失敗すれば暑いし寒いし…
自分で選んだことに対して帰ってくる結果を「責任」なんてわざわざ言う必要があるのでしょうか。

怖がらせないでほしい

「自己責任」という言葉があると、苦しいだけじゃないか、いらないのに…と思うのですが、この言葉は「勝手なことをしないように縛りたい」から存在しているのではないでしょうか。
自由には責任もついて回りますが、「失敗したらお前のせい」ということを印象付けるために「自己責任」という言葉が使われているような気がします。
自分は、自己責任といわれたくないから慎んだ行いを心掛ける。
自分は考えて生きているのに、そんなことを考えずに好き勝手している人を見ると羨ましいし、妬ましいし、失敗したらざまーみろ!と思ってしまう。
自由を謳歌している人にたびたび向けられる言葉も自己責任です。
なので、この言葉で好き勝手しないように縛っているような印象を受けます。

いつから使われだしたのか

少しだけ調べてみると、「自己責任」という言葉は平成生まれ、90年代後半の生まれだそうです。まだ30歳そこそこ。
みんなどうしてそんなに強い言葉で縛ろうとするのでしょうか。
自己責任だと他人を責める。なんだかおかしいです。

自業自得との違い

日本語には仏教に絡んだ「自業自得」という言葉がありますが、これも一般的には悪い結果に対して使われるんですが、「初めからよくないこととわかっていてやってしまったこと」に対して使われる気がします。
なので、「言わんこっちゃない」というような含みを感じます。
対して「自己責任」は、本人が考えて「良いこと」だと思ってやったことに対しても使われ、報われない気持ちになります。
大した違いはないと感じる方もいるとは思いますが、日本には「言霊」という考え方があります。
意味が伝わればよいでしょうか?私は、言葉の力もバカにできないと思います。

自己責任が自己責任じゃないとき

うまく言えないのですが、私たちは完全平等・完全公平ではありません。
生まれた場所や時間、環境、全員バラバラです。
初めから恵まれている人もいますし、そうでない人もたくさんいます。
私が持っている「自由」を持っていない人もいます。また、逆に私が手に入れられない「自由」をすでに持っている人もいる。
自分の尺度だけで「個人の自由」「自己責任」を考えることは危うい考えではないでしょうか。


いつも以上にうまく書けていないのですが…
自分にも他人にもわざわざ「責任」という重い言葉を使わずとも、責め合うようなことを言わなくてもよい世の中になってほしいと思っています。
お読みいただきありがとうございました。

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