お酒の無い世界で生きるために
一年間で361日お酒を飲んでいる人間です
私は一年間の中でほぼ毎日のようにお酒を飲みます。
ほぼというのがどれくらいかというと、361日です。一年間365日のうち361日お酒を飲んでいる日があるということです。
飲まない日が4日間だけあるということです。
では、その飲まない4日間とはなにか?
健康診断前の4日間です。
年に一度の健康診断がある4日前からお酒を飲まない禁酒期間というものが設定されて、秘書からもその4日間だけは会食などのスケジュール候補日を完全に外されて「絶対に飲むな」と管理されています。
これにもまぁ理由があってですね。
お医者さんから「正確に健康状態を把握&検査するために健康診断の4日前からはお酒を飲まないでください」と言われているんです。
こんな話をするとよく周りから「え、それだとむしろ正確じゃ無いんじゃないの?普段から毎日飲んでるんなら健康診断の前だって飲んだまま受けたほうがより正確じゃん!」みたいなことを言われるのですが。
お医者さん曰く「4日以内に飲んだ状態で健康診断やっても100%体の中にアルコールが残った状態になるので内臓や血液の成分などの検査を正確に測ることができなくなりますよ?たぶん松山さんの場合は元が健康なのでそれで健康診断に引っかかって再検査になったとしても精密検査では正常という診断結果が出てしまうのでちゃんとしましょう。いちいち再検査に来るのは嫌でしょう?」ということなのでした。
問題が無いのにわざわざ再検査でまた病院に足を運ぶことが私は絶対に無駄で嫌だと思っているので、この4日間の禁酒期間は絶対に守るという誓いを立てているのです。
ええ、それがまさに今なのです。(禁酒2日目)
3日後に健康診断が行われます。
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お酒の無い世界で生きていたかった
年間361日お酒を飲んでいる私ですが。(これはなかなかみんなに信じてもらえないのですが)もともとは全くお酒が飲めない人間でした。
それこそ20代などの若いころは飲み会などが憂鬱で、正直苦手というよりも嫌いでしたね。
だってお酒が全然飲めなかったからです。
ビールだってコップ半分飲んだだけで顔が真っ赤になってクラクラしてまともに会話もできませんでした。
極端にお酒が弱かったんですね。
だから飲み会も嫌いだったんです。
ましてや福岡の街はお酒文化でとにかく飲み会が多くて、最初はみんなビールを飲みますがほどなく芋焼酎の水割りをみんなが飲み始めるのです。
芋焼酎のボトルをお店にキープしてあって、氷とグラスとお水だけをもらってそれで焼酎の水割りを作って飲むのです。
そしてそうやって水割りを作るのは若手の役割なんです。
先輩や上司のグラスの中の酒の残量を気にしながら「失礼します、お作りします」とサッとグラスを受け取ってまた水割りを作っては渡すという作業を延々と繰り返しながら、「松山、お前も飲みやい」と言われてはドボドボと自分のグラスにも芋焼酎を注がれて飲まされていました。
嫌でしたね。ハッキリ言って。
「自分が飲みたくて飲んでるんなら勝手に飲めよ、なんで人に強要するんだよ、この馬鹿どもは、そしてなんでこんなにも芋焼酎って酒は臭いんだよ、いったい何で出来てるんだよ?まぁ芋なんだろうけど、臭いんだよ、世界で一番臭い液体だよ、誰だよ、これ作ったやつ」
もう心の中はずっと暴言を繰り返しながら飲み会に参加してましたね。
だからずっと思っていたんですよ。
「お酒の無い世界で生きていきたい」ってね。
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ゲーム業界は楽園でした
転機が訪れたのはまさにゲーム業界に入ってからでした。
有限会社サイバーコネクトを友人たちと設立してゲーム業界で働くようになっれまるで世界が変わったことに気づかされました。
全く飲み会が無い、ゴルフ接待も無い、そもそもみんな集まらない。
クリエイティブの世界では能力がすべてを支配するルールだったので、上が飲まなければ誰も飲まないしそもそもみんなだいたい飲まないし飲み会自体のノリが嫌われていました。
全然飲み会が無いし、もし飲み会があっても飲まなくていい。
誰も強要することなんてありませんでした。
「まるで楽園だ、あったじゃないか、こんなところに楽園が」
そう思って感動したことを覚えています。
有限会社サイバーコネクトを設立してからの4年間は私はずっとグラフィックデザイナーとしてゲームの中のステージ(いわゆる背景グラフィック)を担当していました。
ひたすら4年間ずっとゲーム開発に没頭していたのでそもそもお酒を飲んだりするどころか外に出ることも無く延々と会社で寝泊まりをして毎日を忙しくも楽しく仕事をし続けていました。
そして二つ目の転機が訪れたのでした。
会社を一緒に設立した同級生の社長が失踪していなくなったのでした。
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一番の必殺技で勝負するために
社長がいなくなって有限会社サイバーコネクトが無くなった時に、残ったメンバーと話し合って私が新しい会社の代表を務めることになって全権を任されるようになりました。
生まれ変わった新しい会社の名前はサイバーコネクトツー。
それからはこれまでのやり方とはまるで違う180度の方向転換を行って、私自身が開発の全権を握りつつも会社の代表として外に出るようになりました。
「自分たちの一番の必殺技で勝負できる会社に作り替える」
そう考えたときに私は自分の中にある一番の必殺技を改めて確認しました。
「メンバーみんなの能力や得意技はこれまで作ってきたゲームタイトルの方向性や実績から考えてもアクションやRPGというジャンルが適している。そこに俺自身の一番の必殺技を絡めてそれで勝負できる会社とすることでそれを勝算とする。そうなると答えは一つ、少年ジャンプだな」
それからすぐに行動に移して、少年ジャンプで漫画連載が始まったばかりの『NARUTO-ナルト-』の企画書とプロトタイプの映像を持って東京に飛びました。
行先はもちろん神保町にある集英社の第三編集部、言わずと知れた少年ジャンプを作っている場所です。
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狙いは編集担当が持っている情報でした
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