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第240号『サザエさんが嫌いだった』

子供の頃『サザエさん』が嫌いだった。

“国民的アニメ”なんて言われる作品ということはみんなから愛されている作品ということ。それはわかってる。

これは私の個人的な感情の話です。

子供の頃『サザエさん』が嫌いだった。

日曜日の夕方に家族みんなで集まってご飯を食べながら流れる『サザエさん』を眺めている風景が嫌いだった。

『サザエさん』が流れてるってことは“大好きな日曜日が終わるサイン”だってことを自然と教えてくれた。

最初は“だから”嫌いなんだ、って思ってたけどそうでもなかった。

“何も起きない『サザエさん』が嫌い”なんだってことに途中で気づいた。

カツオはずっと5年3組で成長もしない。ワカメだってずっと小学3年生のままで、タラちゃんもずっと子供のままで、マスオさんも波平さんもずっと昇進もしない。

“前に進まない”物語が嫌いなんだってことに気づいた。

登場人物の関係性が変わらない作品は他にもある。

例えば『ドラえもん』。

けど『ドラえもん』は大好きだった。

エピソード単位でのび太の成長が感じられたからかもしれないし、ひみつ道具が刺激的で面白さが成長を上回る魅力があったからなのかもしれない。

とにかく『サザエさん』が嫌いだった。

いつの頃からか『サザエさん』が流れだすと親に“チャンネル変えていい?”と言ってニュース番組に変えたりしてた。世の中のニュースを見ている方がよっぽどマシだ、って思うくらいに『サザエさん』が嫌いだった。

それくらい『サザエさん』っていうアニメは私にとって無意味で無価値だった。

こんなことを言うとまた怒られるかもしれない。

“『サザエさん』が大好きな人だっているんですよ?”

“『サザエさん』のアニメを毎週一生懸命作って放送している人たちの気持ちを考えたことはありますか?”

“なんでわざわざ『サザエさん』が嫌いだって話を言う必要があるんですか?嫌いだって情報をわざわざ出す必要は無いでしょう?黙って勝手に思っていればいいじゃないですか”

確かにそうなのかもしれませんね。

作品には役割ってものがあって『サザエさん』は家族の団らんで観るべきアニメであって決して刺激的な作品であってはならないし、成長を描いたり大きな獲得目標も設定されない作品です。

いつテレビをつけても『サザエさん』だけは何十年も変わらない姿でそこにいる、そんな作品なのでしょう。

“私は好き”って人もいるでしょう。

ただ私は“好きじゃない”って思ってるだけ。

だから少年漫画が好きなのかな。

夢と冒険ロマンを持った少年漫画が。

世の中は好きと嫌いで出来てるんじゃないかと思う。

面白いって感じるものとそうじゃないって感じるものがあるように。

それを“好み”って言うんでしょう。

けど。

“好き”って言葉はなるべく大きな声で。

“好きじゃない”って言葉はなるべく小さな声で。

そう心がけていこうと思った今週でした。

久しぶりに『サザエさん』観てみようかなぁ。

*****

さて後半戦は“好き・嫌い”についてもう少し掘り下げていきたいと思います。“好き・嫌い”って感情は誰にだってあるものです。その辺のコントロールがモノ作りにも生きてくると私は思っています。

では張り切っていきましょう。

【好き・嫌いの境界線=リミナリティーを探る】

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