ikura negitoro

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ばか・あほ・まぬけ・でべそ

愛するということは良い意味で、ばか・あほ・まぬけになることなんではないかと思う。 本当にいい意味で、(こんなに何回も言いすぎると逆に嫌味みたいだけれど本当に)平仮名のばか・あほ・まぬけとなり、そして他者の母ちゃんとかではなく自らが「でべそ」となることが愛なんじゃないのかと真剣に思う。 「デベソ」みたいなスタイリッシュな感じではなく、これも平仮名&トロい感じの、「でべそ」になる必要がある。まぁでべそってなろうと思ってなれるもんでもないから、概念的でべそというわけであるが。

    • ぜろいち、にいぜろ、よんよんよんよんよんよん

      ドモホルンリンクルの3日間お試しセットを頼んだ。これはもう、小学生の時から決めていたことだ。夏休みのお楽しみ劇場のマキバオーのCM中は、ドモホルンリンクルか、外国のレインボーの🏳️‍🌈コロコロスタンプローラーか。コロコロスタンプローラーは当時買ってもらえなかったし、今は欲しくないから、ドモホルンリンクルを頼んだ。 今、地上波が映るテレビを待っていないからテレビコマーシャルの事情がわからないが、ドモホルンリンクルのあのCMはやっているのだろうか?目元、口元、ぜろいち、にいぜろ

      • 鼻歌枕草子

        春はあけぼの、ようようしろくなりゆくやまぎはすこしあかりてむらさきだちたる雲のほそくたなびきたる わたしは学校生活の中のすきな行いランキングで、国語の音読朗読がいつも5位までには入っていたから、今でもスラスラ出てくる。小学1年生の時の「サラダでげんき」の冒頭も、いまだに出てくる。校歌は出てこないのに、教材の内容は出てくるほど熱心に音読、暗記の宿題をやっていた。(1回読んだら◎の真ん中を塗って、2回読んだら全部塗りつぶす仕組みで、なぜだかその仕組みに大変興奮したのを覚えている

        • 脳をソーダ割る

          わたしは日本生まれ日本育ちで、日本語しか話せない。英語を話してみたいと思ったことは何度もあったが、そのための努力はまったく続かなく、すきなバンドのすきな歌って本当は何て言ってるのか、このTシャツの英語ロゴは着てて大丈夫なやつか、などを調べるくらいしか、他言語にぐっと関わってきていない。 しかし世の中には、何ヵ国語も話せる人がいる。それに、日本語でかかれた小説が世界各国で訳されてベストセラーになっているし、その逆も多々ある。たとえばニュースとか、説明文とかそういうことを訳すこ

        ばか・あほ・まぬけ・でべそ

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        • 4コマ漫画
          7本

        記事

          プレゼントリボンの十字路で待ち合わせ

          プレゼントリボンの十字路で待ち合わせ、木曜の15時くらい。南南東くらいのところで、20分くらい前からフラペチーノ的なものを飲み、観察したい。だがそれをしようとするとプラカップ捨てる場所気になるから、ちゃんとお店のゴミ箱にらみながら、、、。 君がいないことは君がいることだな、からはじまるサニーデイ・サービスの桜superlove🌸 いないことはいることだし、あげることはもらうこと、もらうことはあげることなのかもと思う。プレゼント用でよろしいですか?ハイ、となった瞬間どうした

          プレゼントリボンの十字路で待ち合わせ

          ティー・エス・ユーの優越感

          滑り込みで吉本ばななさんのTSUGUMIを読んでいる。充分夏と呼べるうちに、ある一文をその年の自分に流し込まなければならないからだ。 もう何年も続いているこの習慣は、小さい時のおまじないの名残りのようなもので、わたしにとっては年金よりも税よりも健康保険よりも、義務感がある。これを怠ればその年の夏やその後の季節すべてが差し押さえにあってしまうような、そんな感じでやっている。 あと夏の毎年のことというと、ちびまる子ちゃん4巻に収録されている「夏の色もみえない」のこと。どうして

          ティー・エス・ユーの優越感

          からっぽのあほ

          唐突だが、わたしはしあわせになってしまった。  何だおまえ、久しぶりに口を開いたというか指の股を開いたと思ったらマウントか!?と、あなたは思うかもしれない。 だが敢えて言う。わたしはしあわせになってしまったのである。じゃあ何だおまえ、しあわせとはなるものではなく気づくものだみたいに毎日過ごしておいて、今までしあわせじゃなかったのかと聞かれるとそうではない。ひとはいつでもどこでも捉え方次第でしあわせになれる。だからスイパラにいる人より牢獄にいる人の方がしあわせな場合もある。

          からっぽのあほ

          熱帯びる内輪差

          内輪差にわたしは心底興奮する。 理由はない。ただ20歳の時車校でこの言葉を知ってからずっと、なんだかうっすら楽しいのである。今はもう慣れてきてしまったが、当時は寝る前などに「あれ、なんかわくわくするけど何だったっけ?」→「あぁ、内輪差を知ったんだ」となる程だった。 内輪差というのはいわずもがな、前輪と後輪の軌道の差のことで、前輪の辿ったところそのまんま後輪通るかと思いきや、後輪は仕組み上少し内側を通りますということである。 街で、内輪差を目の当たりにすると、なんかまじでち

          熱帯びる内輪差

          なんや高いとこでポップコーン爆ぜてんなとおもったら桜

          ゆやーんゆよんゆやゆよん あれから。 三四郎、それから、門。 風の歌を聴け、1978年のピンボール、羊をめぐる冒険。 息つく暇もなく、ポンポン爆ぜるは桜であります。毎年毎年飽きもせず、上向くとお腹がすく。 秋は秋で、紅葉はマックの色合いなのでお腹がすく。 冬は冬で、寒いとお腹がすくねっていうシチューのCMに洗脳されているのですく。 そんな春と秋に挟まれ、夏も。 こないだ、「お腹すいてる?」って聞かれて、「...あ、基本的にいつもすいてます」って答えたらウケてうれ

          なんや高いとこでポップコーン爆ぜてんなとおもったら桜

          聞こえたままの、つれづれなるままにひぐらし

          つれづれなるままにひぐらしの本来の意味は、手持ち無沙汰、退屈であるのにまかせて1日中的な感じだ。 けど今わたしが言いたいのは、本当に聞こえたそのままの意味である。つらつらと後先考えずその日暮らし。 アッっっという間に時は過ぎる的な言葉は全然すきじゃない。年をとるごとに時間の経過を早く感じるみたいなのもすきじゃない。なんかそういうのは、全部悔しい。 今月も終わる。色んな色んなことがあって、こないだまで1日中ずーーーっと雲の流れを見ていたのが嘘みたいな、毎日。たぶんこの時が、

          聞こえたままの、つれづれなるままにひぐらし

          どんな音楽聴くの?

          どんな音楽聴くの? その質問、限られた時間の中では何を言ってもとりこぼしてる気がしてきて残尿感がすごいからたくさん話してもいいですか?あ、ありがとうございます。時と場合によるんですよね音楽は。一概に、何コレ!とは言えないんです。わたしの場合とくに。セクシーなのキュートなのどっちがすきなの?とかおしり派?おっぱい派?とかきのこ派?たけのこ派?とかまぁさまざまあると思うんですが、答えは両方。両方なんですね。どっちかなんてそんな、平凡なハッピーじゃ物足りない(篠原涼子)わけです。

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          【のだ検定】年代順にのだを並び替えよ!のだメタモルフォーゼまりな!

          会社から片足外しかけてから、わたしの毛色はメタモルフォーゼを続けている。 こころは身なりに現れると義務教育中ずっと言われていたけど、本当だったと思う。 思えば2020年末、わたしの次年度の目標は「頭をピンクにする!」だった。 ここには崖の上のポニョとかトトロみたいに、ストーリーそのままの意味もあるが、少し掘り下げた意味もあった。つまり、「頭ピンクにしても大丈夫な社会生活を!!!」という感じだった。 2021年末に思った。 結局頭、いろんな色にしたなぁ。 あれだけピンクピン

          【のだ検定】年代順にのだを並び替えよ!のだメタモルフォーゼまりな!

          「お口直しの柚子のシャーベットでございます↑」から はじ まる リズ ムに 合わ せて👍🏻

          「お口直しの柚子のシャーベットでございます↑」 「りっちゃんは、お母さんが病気なので何かいいことをしてあげたいと思いました」 「まぁ、なんと美しいところでしょう」 この3つは今でもたまに口ずさむ、いつか何度も繰り返したセリフである。 1つ目のセリフは小学6年生の頃の職業体験で、校区内のステーキ屋さんに行った時。 目の前で分厚い肉を焼いてくれる高級なところだった。仲良しのIちゃんと相談して決めて、第一希望が通った。コースの合間に、出番がくる。 「お口直しの柚子のシャー

          「お口直しの柚子のシャーベットでございます↑」から はじ まる リズ ムに 合わ せて👍🏻

          勇気を出して無職になって全部なんとかなって今年もちゃんと年を越す

          今年は無職になった。 6月、めちゃくちゃ怖かった。 この年で?この後どうするの?貯金ガチでなにもないけど?無職が許されるのは一握の砂だけど?お前が無職になったところでマジでやばいけど?後ろ盾も何もないけど? 等。 本当の本当になんもなかったのでガチで怖かった。 けどもう、なってしまった。なるしかなかったので。で、なったらなったでなんとでもなった。失業保険もなんとでもなったし、色々なんとでもなった。なんやかんやで期間も延びて、2月までこうしていられる。 要するに、お

          勇気を出して無職になって全部なんとかなって今年もちゃんと年を越す

          冬には夏の歌で暖をとる←ジュディマリ互換 ライブイズビューティフル←錦鯉

          しっかり寒い。ギュッと、生鮮食品売り場の鮭やブリの気持ちになる。陽気に話しかけてくるおじさんの白い長靴。 毎年毎月ことだけど四季には本当に感動する。 近所の山付近のネピアな桜の木などは着実に寒さを溜め込み、数ヶ月後確実にその木々がみるからにしあわせ、って感じの花を咲かせるのだから本当に自然ってすごい。 まじで生きてるだけで勝手にそれをみられるので、本当にありがたいなぁと思う。 上野や目黒川の人気スポットなど、今のうちに脳内合成お花見をしておく。 さて、先日はじめて人

          冬には夏の歌で暖をとる←ジュディマリ互換 ライブイズビューティフル←錦鯉

          ウに点々の、ヴでヘヴン

          毎日毎日すきな時間に起きてすきなことだけして、そのことについて何かに残すわけでもなく。そんな日々が来るなんて、やっぱり年をとることは神道なのかもしれない。5時半に起きて雨の中スーツで15分自転車に乗った後、満員電車に乗るわたしも、午前中がほぼ形を成さない今のわたしも、同じ名の同じ生年月日なのである。 ヘヴン/川上未映子を今年も読んだ。たぶん1年に1回は読んでいる。そのくらいにしないと身がもたない。茨木のり子の詩集ではないので、毎日入れてるんじゃ心がもたない。 今回はじめて

          ウに点々の、ヴでヘヴン