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からっぽのあほ
唐突だが、わたしはしあわせになってしまった。
何だおまえ、久しぶりに口を開いたというか指の股を開いたと思ったらマウントか!?と、あなたは思うかもしれない。
だが敢えて言う。わたしはしあわせになってしまったのである。じゃあ何だおまえ、しあわせとはなるものではなく気づくものだみたいに毎日過ごしておいて、今までしあわせじゃなかったのかと聞かれるとそうではない。ひとはいつでもどこでも捉え方次第でしあわせになれる。だからスイパラにいる人より牢獄にいる人の方がしあわせな場合もある。
だけれど、敢えて言う。わたしはしあわせになってしまった。ひと昔前までキリキリ望んでいたさまざまが、叶ってしまったのである。本当にびっくりするくらい全部叶ってしまった。叶ってしまって、きちんとしあわせになってしまった。きちんとって何だという感じだが、そうしてわたしはからっぽのあほになった。
ひらがな表記の「からっぽのあほ」である。
もちろん日々の中では悲しいこともヒリヒリジンジンするようなこともあるが、からっぽのあほになってからはどんなことも全部、少し待てば大きくてあたたかい穏やかな波がのみこんでゆく。
だからもう何も思うことがなくなった。あってもすぐ忘れる。大袈裟だけれど本当にそうなのである。何クソ!!!みたいな気持ちとか、太宰治の「葉」みたいな気持ちとか、ザラザラするようなこととかに向き合おうとすると、あぁでもこれって全部しあわせの中の出来事か、と思うと、ままごとみたいであほらしくなって輪郭がぼやけてどこかに溶けてなくなってしまう。
ただ毎日、何食べようとかおいしいなとか笑えるなとか酔ったな、とか。そういう淡いことだけで過ぎてゆく。モネの絵のような。
しかしなんだか不安になってくる。ずっとこのモネの日々を望んでいたにもかかわらず、これでいいのかと思えてくる。両方の鼻を詰まらせ、ダッフルコートにデニムであてもなくもがき泳いでいた頃が、なんだかまぶしく思えてくる。からっぽのあほにゆいいつのこされたぶぶんでがんばって、そんなことをしこうすることしのなつのおわり。
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