ネガティブ沼に向かう鬱病pizzaに響く『なにもの』/King&Prince
2012年。
25歳の夏に倒れ、今。
まだ鬱病は治らない。
何度か、短時間勤務で社会にお邪魔したが、数か月でダウンしたり、もうすぐで1年続くなぁ、というところで体調や周りへの理解がうまくいかずでリタイアしたり。
そして、12年経つ今、”就活”や”仕事”ということを考えると心がずーんと重くなって、社会には出られず。
集団の中に自分が入ることが怖くなっている。
サポステに通い、PCの勉強で自分と向き合ったり、いつも会う職員の方々と話すことはできる。
でも、数人で行われる講座や課外活動などには、まだ参加するのが怖い。
今までできていたことが、できなくなってきている。
大丈夫だろうか。
悪化しているわけではないと思う。
進歩したこともたくさんある。
ただ、対人関係、社会性においてはどんどん不安が強くなっている。
おろおろしやすく、障害者手帳を取得したついでにもらったヘルプマークを、お守りに持ち歩く。ひとりでバスに乗りサポステに行くときは、最近かばんにつけてみている。
どんどん、社会から離れていく気がする。
就活できずともせめて今、何か目標を、、、ということで、
昨年受けたWordの検定の1級にチャレンジすることを決めたが、
2級とはレべチで、かなり苦戦している。
昨年2級を受けたときは、試験に合格することよりも、試験会場に行く、その雰囲気に動揺せず、その場所で時間をすごす、いつもの作業ができることを目標としていた。
ただ、今回は内容がもう、、、、、、
こうして、内容に苦戦し闘っている自分だが、
直接仕事につなげたいという理由でもないものに向かって、
これだけのカロリーを消費している現状にふと気づいたとき、
”これ、37歳で向かうべき道なのかな、、、、、、”
ということを考えたりする。
私が通うサポステでは、この検定の1級を受けたひとがまだいないという。
サポステは、就職にあたってハンデのあるひとのための支援機関なので、もしかしたら、この難関に挑むよりももう、みんな就活に向かって進むものなんだろうな、、、なんてことを、思ってしまったら、もう。
病気で子どものお仕事を退職してから、せめて結婚、出産子育てはしたいと思い続けてきたけれど、それどころか、いまだに社会に出て自分で生計を立てることもできていない。
この歳になったら、自立くらいはできている予定だった。
出産に関しては、年齢の問題がある。
ただでさえ、私はもともと体が小さいし体力がない。
そして、もし出産を望むときは抗うつ薬を変えないといけないが、将来に備え以前変えてみたところうまくいかずまた戻した。
そして、この社会性が欠如している状況で、異性どころか同性とも出会ったり、関わることが難しい。
何のために生きているんだろうなと、思うことが最近また増えてきた。
保険や家のCMには、”普通”というか、標準的な家族が現れる。
こういうこともないんだろうな、とか。
母が、過去の子育てとかの話をしただけでも、最近は
私にはそういう経験することないんだろうな、とか思ってしまうから、もうかなりネガティブモードに突入してしまっている。
親に孫の顔を見せてあげられないのはもちろんだけど、
子どもがいないということは将来、自分に何も残らないということかな、市自分が年老いたとき、子どもだけでなくもし旦那もいなかったら、孤独とひとりで向き合っていくのかな、とか、、、、、、
肩書だけがすべてじゃない、社会に出ることだけがすべてではない、
ということは、頭ではよくわかっている。
でも、それを自分は許してあげられない。
今、鬱病患者、職業は無職、精神障害者手帳保持者、
というようなこと以外、自分を表現する言葉がない。
noteや写真ACでは、こんな私を『クリエーター』なんて呼んでくれる。
でも、趣味程度(でお小遣いがいくらかもらえたらという魂胆)にすぎない。
妻にもなれない、母になれない、祖母にもなれない。
いつまでも、親に迷惑をかけるだけの娘だ。
私って、何のために生きるんだろう。
どうなりたくて、この言いようのないネガティブさと向き合って人生を続けていくんだろう。
それって、何の意味があるんだろう、、、、、、
とにかく、もう、止まらないのだ。
推しは尊いし、食べるものはおいしいのに、それに伴って鬱病が治るわけではない。
幸せを感じるたびに治っていったらいいのに。
そんなことを考えているときに
”私、何者にもなれないまま、一生を終えるのかな”
と
思ったときに
「♩なにものでも、なくたって、、、、、」
という、
昨年、ずいぶんと聴いた記憶のある曲が脳内に降りてきた。
そう。
今私のメンタルを支えてくれている、だいすきなKing&Princeの、
2人体制になってはじめてのリリース楽曲。
『なにもの』。
今、このタイミングで。
歌詞って、自分がなんとも思っていないときは、すっと通りすぎるもの。
そもそも、私にとってはこの曲は、
永瀬廉、髙橋海人の2人での、新しいKing&Princeがスタートするときの曲だ。
そして、ドラマ『だが、情熱はある』のエンディングテーマであり、もがいている芸人さんに対しやさしく寄り添うエールの曲だ。
自分にとって沁みた、降りてきたタイミングが、今だったのだ。
何者でもない私。
ごっちゃごちゃだ。
私の脳内も、メンタルも。
でも、考えてみたら、
私は、何かを”描こうとすること”を、決して諦めてきていないという自負はある。
いつも、そのときにできることを、少しでも前に進めるきっかけになるような、何かを、考えてやってきた。
途中でできなくなったままのものもある。
でも、とりあえず、興味をもって、やりたいこと、できそうなことにはひととおり手をつけてみた。
夢、ということを考えることは、今の状況では難しいけれど、
常に筆はもってもがいている。
それは、胸を張って言えるから。
今、中毒になりそうなくらい、写真ACクリエーターとしての素材集めにハマっている。
外を歩けば、何かいい写真は撮れないか、家にあるあれは撮ったら需要あるかも、背景がこうだからよくないのか、どういうタグだと見つけてもらえるのか、どうしてこれは審査に落ちたのか、、、、、、
考えている間、他のことを忘れられる。
自分の写真がダウンロードされると、めちゃくちゃ嬉しい。
そして、
基本的に知識を得たり学ぶことがすきなので、Wordの練習のためにサポステに通い、集中したり、少しタイピングのタイムがあがったりすることで自己肯定感が上がる。そして、通う場所があることは大事だ。
バスの中も社会だし、施設の中も、バス待ちの間利用する隣の大きなイオンの中も、社会だ。
私、多分、がんばっているんだ。
はたから見たら、哀れなアラフォー女かもしれない。
でも、どうせできることしかできない。
この12年間、いやというほど痛感し続けている。
今持つ目標は、結構大変なものかもしれないし、
そんなことしている間に就職探せよって言いたいひともいるかもしれない。
でも、
私、他の就職支援施設の見学にも行ってみたが、どんどん不安になってきてここは無理だ、と思った。
集団の中に自分が居ることを想像したら、どんどん苦しくなってきた。
だから、やっぱり今は”就職に向かう活動”が無理なのだ。
昨年よりも、そういう意味では”集団の中”に入る不安が強いし、昨年は大丈夫だった試験会場も、今の状態のままでは怖い。
そういう意味でも、難関ではある。
でも、心は、、向かおうとすることを拒否していない。
このもがきもきっと、
壮大な風景に変わる日がくるのだろうか。
信じていていいかな。
推しがいるしあわせも、
おいしいものが食べられる喜びも、
「早く働け」といわず家においてくれる家族のいるありがたさも、
障害年金をもらえるしあわせも、
サポステにいくたび声をかけてくれる職員のみなさんのやさしさも、
噛みしめていかないと。
King&Princeのふたりが、
いつも周りに感謝を忘れないように、
もっと私も今のありがたさを感じなきゃだ。
感謝が足りないとよく言われる。
そして、何より、自分のしていることに自信をもっと持ちたい。
自分のことも、周りのことも、もっと愛してあげられますように。
未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。