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鬱病pizzaの2023年を振り返る

誰が興味あるのかはわからないが、一応今年を振り返ってみたくなった。
お暇な方がいらしたらでいいので、お付き合い願えれば。


脳内がずっとKing&Prince(関連)

今年の漢字や流行語など、全く知らないまま今年が終わりそうだ。
昨年たまたまハマったKing&Princeがこういうことになって以降、応援せずにいられなく、とにかく気にかけ、無職でお金をかけることはできないなりに応援した。でも、逆に彼らから安心をもらったり、力をもらったりしてばかりだ。
特に、推しである永瀬廉の言葉たち。
詳細はマガジンに全てまとめている。
というか、今年の記事はほぼKing&Princeのネタばかりだ。


Wordの検定を受けることができた

将来に焦った結果前に進めていないんだと思い、何もかも諦めて過ごそうと思った今年の初め。でもKing&Princeのみんなに刺激を受け、できることをやろう、サポステで勉強しているWordの検定を受けよう、ということを目標にした。検定会場に行くこと、そこで試験を、正常なメンタルで受けることが最大の目標だった。
無事に達成でき、文書処理能力検定2級に合格した。
おかげで、少し自己肯定感が上がった。
”今年はこれができた”が作れたこと、
”次はこれができるかも”が生まれたこと、
小さいけれど一歩進めた気がする。


2通の怖い手紙がきた

これは、本当に怖かった。

1通目を記事にしたが、この手紙の差出人が予想外に、以前の職場からではなかったことが、また怖かった。もう探らないようにしているが、私の現状を知っている、以前の職場や辞めたときの状況を知っている、住所を知っている、、、考えれば考えるほど怖いのでとにかく、考えないようにした。

2通目が、”ご近所一同より”という恐ろしい(かつ不明確な)もので。
前の手紙のこともあり、母と一緒に交番に行って、お巡りさんとともに開封させてもらった。
結構衝撃だった。
両親の夫婦喧嘩の声のこと。それ絡みで、”娘さんが精神病だと聞いている”的な余計なお世話。誰がどう伝え、誰が代筆したのか全く不明。近所を歩くのが怖くなる手紙だった。
本当に、家族みんなで病んだ。

東京に行った

いろいろあって、pizza家の女3人で東京へ行った。

場所を変えること、大事。

とにかく体が不調だった

これはもう、とにかく。

鬱病で、メンタル面の鬱症状が出るのは通常営業だが、鬱病の関係か年齢的なものか、体の痛み(首、背中)で整形外科に通いリハビリしたり、とある症状から腸活をすることになったり、顔じゅうにきびだらけになり化粧水ジプシーしたり、夏の終わりから冬までかけてどんどん体のかゆみが悪化して皮膚科通いしたり。
現在、衣類を全てコットンに切り替え(総額はいくらかな、、、)、とにかくかゆくないように飲み薬塗り薬保湿剤。大出費。

だが、ここで推しの存在が救いとなった。
永瀬廉がイメージキャラクターをつとめている健栄製薬の『ヒルマイルド』シリーズが、私に合うことが分かったのだ。

ジプシーした化粧水類。

ル・マイルドという化粧水が今しっくりきていて、これを使用することとなった。
ヒルマイルドの保湿系商品にもお世話になっている。

健栄製薬の私は回し者ではない。

まさかのことで、推しに感謝している。


友達に会うようになった

一度、調子が悪かったけど規制してきた親友にどうしても会いたくなってお願いした。親友の配慮もあってか、普通に話ができて、たのしかった。
それをきっかけに、”今調子悪いからもう少ししたら”ということを考えないで、会いたいときは会ってみることにした。今のところ、会った友人と会話した影響でどんと調子が落ちることはない。
来年も、タイミングが合ったら会えたらいいな。できるだけ多く。

地元が大雨災害に遭った

我が家はたまたま無事だったが、すぐ近所を歩くと、まだ爪跡が残っている。
TVで見るような光景が、目の前に現れること。
それは、鬱病メンタルを抉った。
大雨は、7月と9月、2回起きた。
一度目で無事でも、2度目でダメになってしまった家もある。

近所の散歩コースが川沿いだが、徐々に取り壊される家、新築だったのに誰も人がいなくなり、がらんどうになった家。一階部分の工事。
気分転換のはずの散歩で心が傷む。

できる募金などはしたつもり。
あとは自分が備えること。

生きていてくれたらいいと思った

これは最近の話で。
友人が亡くなったことを、喪中はがきで知って母が崩れ落ちた。
旦那さんがいる自宅まで、父と共に行ってきたようだ。
物心つく前、私も会ったことがある方。
家族みんな、そのご友人と関わったことがあるようだ。
しばらく、母(私と同じく鬱病)はしばらく沈んでいた。
積極的に会わなかったことを後悔していた。
別に、お互いの生活があったから母にもその方にも罪はない。
でも、いざこうなると、自責の念が湧いてくるのだろう。

私には、東京に住む幼なじみで、どちらかというと過去のこちらの地元でのことより向こうの生活の方になじんでいる子がいる。
毎年誕生日だけは連絡しあうが、ついに今年の私の誕生日、連絡が来なかった。
手紙や暑中見舞いも返ってこなかったり、住所が知らない間に変わっていたり、入籍で苗字が変わったことをこちらにすむお母さんに聞いたりするなど、、、こちらの生活を忘れたいのか、私の連絡によってなにか思い出して迷惑なのか、、、など、考えてしまうこともあった。
でも、今回のことがあって、諦めず、彼女に年賀状を送った。
返ってこなくていい。彼女が生きてさえいれば。
いつか後悔したくない。
そう思った。

私が、誰かにとってもそういう存在でいるのなら、
しんどくて消えたくなりがちだけど、なんとか息をするしかないなと。




来年を、迎えよう。


今年一年、生きてきた自分を褒めよう。

来年も、とりあえずでいいから、生きていよう。

あわよくば、少しでいいから、進めますように。


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