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エッセイ

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2022年12月の記事一覧

書くことについて / エッセイ

書くことについて / エッセイ

 なるべく毎日書くようにしている。この「なるべく」というところが我ながら甘いのであるが、まあ書いている。とりとめのないエッセイであったり、何らかの考察による論文調のものであったり、描写のための文章によるスケッチなどである。創作は今年の二月頃に百枚程度のものを書いた。そのときはいつになく疲弊した。書き上げるまでに一年程掛かった。推敲のために冷却期間としてトータル二ヶ月は寝かせていたが。納得出来ない描

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足の指 / エッセイ

足の指 / エッセイ

 部屋で電話をしながら足の親指を見ていると、「なんや、これ」と思った。所謂、ゲシュタルト崩壊である。その指の腹は手の親指より一回り大きい。その一回りがやけに大きいのである。こんなに大きかったっけと思いながら眺めていると、ゲシュタルト崩壊はその様相を極め、いよいよ我が身体の一部が不可解に思えてきた。不恰好に丸い肉塊。つまむとふにゃふにゃと赤くなったり白くなったりと気ままである。口もなけりゃ目も鼻もな

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創作と恐怖 / エッセイ

創作と恐怖 / エッセイ

『田園の憂鬱』を書いた佐藤春夫。彼は若き日の三島由紀夫に『小説の極意は怪談である』と言ったそうな。この言葉は妙に腑に落ちる。物語というものは人間にとって重要な概念で、古くは古事記にしても、地方の伝説・昔話にしても、宗教にしても、不可解なものや大いなる疑問があれば、人はその答えのようなものを物語に託してきた。
 僕は幼少の頃、妖怪がとても好きだった。テレビの特番なんかで時折やっていた、心霊特集も好き

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学びについて / エッセイ

学びについて / エッセイ

 一生学びというが、その通りだと思う。それは学問に限らず、趣味についても生活についても、汎ゆることが生涯を通じた学びである。
『学び』というと、窮屈な印象をまず受けてしまう方もおいでだろうが、ここで言いたい『学び』はそうではない。趣味にしても何にしても、ただひたすらの苦行としての修練ではなく、楽しみつつも、生涯の学びであるということである。生涯かかっても極まるものではない。そもそも極めるという次元

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