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緒真坂さんの著作を書評する試み。

わたしは新聞に載る書評を読むことが結構好きだ。おもしろそうだな、と思った本は書店に行って覗いてみたり、購入することもある。

今まで、わたしにとって、書評というものは「読むもの」であって「書くもの」ではなかった。しかし、今回のこの記事では、書評を初めて書いてみようと思う。

読書感想文と書評。

どちらも、ある本を読んでから書くという点では同じである。しかし、読書感想文が、その本の内容やあらすじを書き込んでも許されるのに対して、書評は「ネタバレ」になってしまってはいけない。まったく内容に触れないでは書評は書けないのだが、どこまでその本について書いていいものなのか?

自分なりに悩んだ末、わたしはその本の持つ「雰囲気」を伝えてみることにした。

今、わたしの目の前に、緒真坂さんの著作が3冊置いてある。

「極北」、

「アラフォー女子の厄災」、

そして

「ボブ・ディランとジョン・レノンでは世界を語れない」。

先日、「極北」に関しては「あとがき」の部分を紹介したので、今回は「アラフォー女子の厄災」と「ボブ・ディランとジョン・レノンでは世界を語れない」について書評してみたい。

「アラフォー女子の厄災」も「ボブ・ディランとジョン・レノンでは世界を語れない」も、一番最初に数ページの短編が置かれている。

一般的な作品集では、長い作品のあとに、短い作品が続くことが多いと思うのだが、この2冊の本のように、短い作品が先に置いてあると、脳内ウォーミングアップしてから長めの作品の世界に入って行けるような気がしていいな、と思った。

「アラフォー女子の厄災」は、「ささやかな償い」という、本文のページ数わずか2ページくらいの短編から始まる。
内容は書けないが、私の場合は「神社」ではなく、「自販機」で似たような経験をしたことがあり、心情が理解できるような気がした。

「ボブ・ディランとジョン・レノンでは世界を語れない」は「ロボットです」という、これも2ページの短編から始まる。滑稽なような、悲哀を感じるようでいて、こころを暖められたような。(内容に触れずに語るって難しい💦)

少し話が逸れるが(*話を逸らすが)わたしは、推理小説を除いて、小説を読むとき、あとがきを先に読む。

最初にあとがきを読むのは、ストーリーが先にわかってしまうことがあるから、一番最初のページから読む人が多いと思うが、わたしの場合、本の後ろから読むのが習慣になっている。

本の後ろには、初版が発行された年月日や、作品の背景知識が書かれていることが多いから、作品の理解がしやすくなると思うからだ。

現に、英語その他の言語で書かれた書籍では、冒頭に作者の略歴や作品が書かれた時代背景が書かれていることが一般的である。

ということで、「アラフォー女子の厄災」の「あとがき」を読む。

とあるレストランで、アラフォー女子が1人でひたすらコーヒー☕を飲みながら、ダン・ブラウンを読んでいるのを目撃した話が書かれている。

わたしだったら「イタイ😭💔」と言ってしまいそうだが、著者は「か、かっこいい」と思った。わたしはそう思える著者の眼差しが「やさしい!❤️!」と思った。

「ボブ・ディランとジョン・レノンでは世界を語れない」のあとがきには、ブックカフェに置いてある「筆談ノート」に「私は小説が読めないのでつらい」と書いてあったことにショック😿を受けたことが書かれている。

あとがきの最後の一行。

「読書好きで、小説を読めないようなひとにも読める小説を書きたいと願っている。」

この一行に、緒真坂さんの想いが凝縮しているようにわたしには思えた。

まだ、わずかな部分しか読んでいないが、どの本にも難しいことばは出てこない。日常の延長にあることばで文章が綴られている。それがいいなと思う。敷居が低いのだ。

普段本(特に小説)を読まない人にとっては、日常使わないようなことばが出てくると、身を引いてしまう。普段本を読んでいる人であっても、例えばビジネス関係あるいは自己啓発書の類いしか読まない人にとっては、夏目漱石や、ましてや森鴎外はとんでもないくらい敷居が高い。

ところで、緒真坂さんの本を手に取る前、わたしは普通の「単行本」のようなものを想像していた。どの本も「新書」くらいのサイズで持ち運びやすくて、それもいいなと思った。「小説を読めない人」には、本の重さも軽いほうが、心理的な負担も小さくて済むのではないだろうか。

文体だけでなく、本作りにおいても、「小説を読んでほしい!」という想いがつまっている。


最後にわたしの妄想的な作者のイメージを書いておきます。あくまでも個人的なイメージです。

ひと言でいうと「金八先生っぽいタモリさん」。

心の中には、小説を読んでほしい、という「金八先生」のように熱い思いを持ちながら、表面上はタモリさんみたいにクールな感じで、なんとなく面白い。

著作のイメージもひと言でいうと「ドン・キホーテで売っている緑色の岩波文庫」(ドンキに岩波はおいてなさそうだが)。

タコシェのある中野ブロードウェイのイメージが「ドン・キホーテ」で、サブカルみたいな本なのかなと思わせつつ、すごく「純文学」(ほんとに岩波文庫に入ったらいいな😃✨)。

A friend in need is a friend
indeed.

「まさかの友は真の友」
→「真坂の友は真の友」

Noteの中で、緒真坂さんの本について、記事を書きあったり、コメントし合うことができたら楽しいだろうな、と思う。

わたしにとって、緒真坂さんの「紙の本」は強い「これ性」をもつ本になりました。紙の本で溢れかえっているわたしの部屋ですが、いつまでも手元においておきたい本です。

執筆の邪魔はしたくないので、なるべくコメントしないように気を付けますが、毎日更新される記事はいつも読んでいます。

御著書はじっくりスローリーディングしたいので、ちゃんとした感想文は、ずっと後になりそうです。

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