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難曲「腐敗した魚のタンゴ」を語る

こんにちは。
葬送のオーケストラ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」
作曲家です♪

今日は私の作品
「腐敗した魚のタンゴ
TANGO DE PESCADO PODRIDO」
の紹介をしていきたいと思います。

↓↓↓こちらで聴けます↓↓↓

「腐敗した魚のタンゴ」は、

海に浮かぶ[死んだ魚]の骸を見て、
人生の虚しさを想う・・

という
そんな情景を歌った
特殊なタンゴです。

Tango Carroña de pescado あるいは Tango Cadáver de pez podrido

そして、
踊れないタンゴでもあります。

踊れない?
タンゴなのに?

と思うかもしれませんが、
その理由は、
11拍子という複雑な拍子で作られた、
タンゴとは名ばかりの(笑)
技巧的なピアノ曲だからです。

さらには「腐敗した魚のタンゴ」は、
私の作品、
すなわち
葬送のオーケストラ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」
の作品の中でも
1、2を争う
技術的にも難解なピアノ歌曲になります(汗)

踊れないタンゴといえば、
ピアソラが有名なのですが、
そういう方向性のタンゴの分野も
あるという事ですね。

タンゴの作曲家ピアソラ

さて、
この曲の歌詞(テーマ)は
16世紀フランドル地方で流行した
ヴァニタスという
絵画から発生した芸術テーマの様であり、
フランスの詩人ボードレールの様でもある・・
と作者である私は思っています。

ヴァニタス絵画は、
繁栄の象徴である
果物や財宝の中に、
を意味する
シャレコウベや砂時計を置いた
特殊な静物画の事で、
その構図は

この世の繁栄は決して
永遠ではない虚しいものだ


という
[虚栄(VANITAS)]
を意味しています。

ヴァニタス絵画

(VANITAS美術に関しては、
こちらの記事もオススメです↓↓↓)

ボードレールは、
腐肉のプリンスとも言われた詩人で、
死体をテーマにした詩を残しましたが、
彼の作品テーマの根底にあるものも
ヴァニタスと同じ
[この世の虚しさ]
です。

フランス詩人ボードレール

というより、
ボードレールに限らず、
またフランス詩人に限らず、
南ヨーロッパ西ヨーロッパの詩人の多くは
崩れ逝く死(Cadáver)や、
メメントモリ芸術
多かれ少なかれ内包しています

(多くの現代日本の詩の様な、
「汚いものを隠蔽し、
美しいもので着飾ろう」

とする精神とは真逆の、
「社会性が隠したものを暴き、
世界の真実を切り取り、
魚拓として言葉に記そう」

という信念がそこにあるのです。

それは、

「どんなに美しい都市を建設し、
世界を取り繕った所で、
その片隅には
甲虫の干からびた死骸や、
下水には
悍ましい小動物の死体に蛆が沸き・・」

の様な表現として現れる訳です)

「やがては静寂が訪れる・・

産声の騒乱から、
殺し合いの罵り・・
腹足類の這う墓穴の湿度の音まで・・」

(黒実音子(墓の魚)
「納骨堂の囁き」より)


彼らの精神の根底には、
キリスト教という信仰があり、
キリスト教は、
ヴァニタス(Vanitas)や、
トランジ(Transi)や、
ダンス・マカーブル(La Danse Macabre)の様な
死の哲学を吸収し、
下地にして来ました。

楽観主義的な
南欧のキリスト教徒達にとって、
は隠蔽される陰鬱なものではなく、
着飾るこの世界への
皮肉や風刺
に近い存在です。

そうした精神性の歴史の中で
南欧ラテンの芸術は
形成されてきたのですね。

さて、
「腐敗した魚のタンゴ」
を以下に掲載しておきます。

↓↓↓

◆◆
「腐敗した魚のタンゴ」
作詞作曲 黒実 音子
◆◆

陽気で浅薄、ずる賢い海の古老よ
魚の屍のように、唇には青ざめた化粧
何くわぬ顔で人を裏切り
祭るは俗世を逞しく生きる泥水の霊

腐敗に喰らいつくウジこそが我々の姿
人を信じない臆病な獣のように
そうして何百年も彷徨ってきたのだ
悲しみを黒き布の中に隠して

喜びと愛、嫉妬と偽りを
くり返し、我々は生きる
夜の海に浮かんだ腐った魚のように

失ってしまうのだ
帰る場所 笑う友も
戻れない無限の道を
ただひたすら旅をする女の骨

裏切り、切り捨てた者達を思う
裁判の火の中を一人、生き残った蛾よ
どこまで飛べればお前は満足なのか?
醜く生きあがけば楽園へ行けるのか?

人生とは黒い魔術に似ている
楽しみはするが、何も惜しまず
そうやって涼し気に進んで行くだろう
主の楽園を目指し

喜びと愛、嫉妬と偽りを
くり返し、我々は生きる
夜の海に浮かんだ腐った魚のように

失ってしまうのだろう
いつかあなたや、全てを
だが、時は過ぎ去ってゆく
まるで虚無を楽しむ為に

素晴らしき日々、再生と未来に
向かって、我々は生きる
夜の海に浮かんでいたしがらみも、
いずれは消えるだろう

夕暮れの向こうに楽園はある
いつか私もそこに行こう
魔法など無い、
そこにあるのは、
腐った魚と無垢な希望、悲しみの水

◆◆


いかがでしたでしょうか?

海に浮かぶ腐敗した魚の骸を見て、
人生の虚しさを想う。
人生など、どんなに栄華を掴み取ろうと、
最後は同じ惨めな腐肉となるものだ。
だが、その腐肉こそが
世界の栄光であり、救いであり、
汚濁すら内包して、
世界は全てを循環させている。

音楽の方は、ボルヘスを思わせる
厳格で仄暗い
スペイン的なピアノ伴奏が特徴で、
元来はベーゼンドルファーという
特殊な重いピアノの為に作曲しました。

アルゼンチン作家ボルヘス

徹底的に
現実の痛み
腐肉悍ましさ
突き付けながら、
それでも最後には
地平線上に消えていく魚の骸
キリスト教的浄化が訪れる・・
そんな作品となっています。

(腐敗とキリスト教芸術に関しては、
こちらの記事もオススメです↓↓↓)

という訳で、
そんな作品を日本で制作していく
私や、私のオーケストラ
墓場(LA TUMBA)
と、博物誌
「墓の魚」
これからも
よろしくお願いいたします~。

蛆虫の作曲家(私)




【1000視聴突破ありがとうございます♪】
「墓の魚」のラテン詩と、
メメントモリ曲の融合した
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「死んだ珪藻とマキシロポーダのミサ」
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