見出し画像

広島一人旅で平和への思いを新たにしたのです。

年末までに、学会や施設の見学会へ現地参加するため、いくつか国内出張が入った。鳥取県と鹿児島県にそれぞれ行く予定だ。特に、私にとって九州は初上陸になるから、今から楽しみだ。

これまでの学生生活において、旅行として遠出をしたことはいくつかあるのだが、高校生のときの修学旅行で沖縄に行ったのを除くと、一番遠かったのは広島県だった。

広島県に行ったのは、私が学部4年生として研究室配属される直前の2月である。その数日前に友人とたわいもない話をしているとき、明日から明後日の夕方まで空いていることを思い出して、不意に一人旅に行こうと思い立って、弾丸で行くことにしたのだ。

なぜ広島にしたのかというと、これから研究室に入って科学技術者として生きていくであろう人間であるにもかかわらず、人間の科学技術の粋を集めた結果として生み出されたとんでもない惨禍を、変わらぬ形として残してくれている「原爆ドーム」を、未だ肉眼で見たことが無かったからである。

今振り返って思い出したのだが、その当時、せっかく行くのだから旅行記でも書いてみようか、と思って、出発前と旅行中にいろいろとメモを残しておいたのだが、結局それが文章化されることは無かった。きちんと文章化しておけばよかったなぁ、もったいなかったなぁ、と思う。

ただ、その旅行時のメモは今でも見られるように保存してあって、原爆ドームや平和祈念資料館に行って何を考えたか、ということが書き記してある。

旅行記を書くつもりでその前書きだけはある程度の文章として綴ってあったので、当時学部3年生だった私が書いた当時の心境をここに引用してみる。

私が漠然と広島に行きたいと思い始めたのは2016年4月頃である。・・・私の反戦への思いは、ここ最近に鑑賞した舞台劇によって、以前よりもさらに確固たるものへと変化している。・・・空襲下における民衆の様子を通して戦争の恐ろしさ、酷さを目の当たりにし、このような悲劇を2度と起こしてはならないと痛感した。このように戦争・平和に対する思いを深める中で、学生、いや人生最後となるであろう春休みで時間の取れるうちに行かなければ、もう一生行くことはないかもしれない、との思いで、今回の広島行きを決心した。なぜなら、私は以前から原爆ドーム並びに平和祈念公園は、日本国民として一度は訪ねるべき地であると考えていたが、それ以上に、そこを訪れることによって人類史上最悪の兵器である原子爆弾の被害を実際に自分の目で見て確かめ、感じる必要があると思ったからである。またそれと同時に、化学を専門に学び、いずれは科学技術者になる身として、核エネルギーを悪用した核兵器が今後二度と使われてはならないことを再確認するためである。

これを書いたのは今から6年前だが、昨今の情勢を見ると、あの恐ろしい核兵器が再び用いられようとする不穏な動きを感じざるを得ない。

戦争という、人類の生存や一人一人の個人の生活基盤を根本から揺るがしかねない事象が、一体なぜ起きてしまうのか?

誰の幸せにもならないことが、当然のように行われている事実をどう受け止めれば良いのか?

私にはまだわからない。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。