マガジンのカバー画像

インド旅行記

55
2001年8月末から2001年11月末までインドのダラムサタにボランティアで行っていた時の旅行記です。
運営しているクリエイター

記事一覧

帰国

帰国

2001年11月27日。いよいよ帰国の日である。インドの安宿は大概24時間で換算するので、2日前に朝の8時にチェックインした私は、今日は朝の8時までにチェックアウトしなければならない。ニューデリーで泊まったホテルは、場所はメインバザールに入って200m、大きく同系列のスター・パレスの大きな看板が見えてきた細い道を左に曲がってすぐのスター・パラダイスである。ここの目玉は、オーナーのサジャーン氏が日本

もっとみる
日本語教師

日本語教師

2001年11月26日。今日もニューデリーでは何もすることがない。これが何日も続くと沈没と呼ばれるようになるのだろう。オールドデリーやヤムナー河畔にいけばオールドデリーの中心部チャンドニ-・チョウクやインド最大のモスクであるジャマー・マスジッド、1639年にアグラ城をモデルとし建築が始まり、1648年に完成したラールキラー=レッドフォート、マハトマ・ガンディ(1948)、インデラ・ガンディ(198

もっとみる
ネパール人少女売春

ネパール人少女売春

2001年11月25日。ニューデリーの駅前にやってきて、まずしなければならないのはホテルかゲストハウス探しである。気候的には野宿もいいだろうが、セキュリティーの面で難がある。ウプハール・ゲストハウスのような、日本人のたまり場になっている安宿もあるのだが、実を言うと個人的にそういうゲストハウスは避けたかった。なぜなら、そういうところに行くとたいてい髭を生やした長旅自慢の人間がいて、そいつを中心にして

もっとみる
デリーへ

デリーへ

2001年11月24日。バスに乗り込むと大勢のチベット人(デリーに出稼ぎに行くのだろう)やもう帰る外国人旅行者でいっぱいだった。チケットを見ながら自分の席を確保すると、大きい荷物は床に置き、パソコンが入ったリュックは膝の上において寝る体制に入った。眠るといってもダラムサラの薬局で20ルピーで買った睡眠薬(後で知ったのだがそれは軽い安定剤であった)を飲んで窓辺に浮かぶツェリン・ドルジェの顔をボーット

もっとみる
最終日

最終日

2001年11月24日。いよいよダラムサラとお別れする日がやってきた。今夜の夜行バスでデリーへ向かう。残り少ない時間である。使ってないほうのベッドに広げてあった衣類やパソコン一式、書籍やお土産をバックに思いっきり詰め込んで帰りの準備をした。残るは今日一日の予定である。今日は一切の予定は無い。しかしながら、私にはしておかなければならないことがあった。ヒマラヤへのお別れの儀式である。儀式といっても大げ

もっとみる
送別会

送別会

2001年11月23日。ダラムサラ滞在は明日までである。明日にはダラムサラを去り、デリーに向かわなければならなかった。これでもうあのオヤジとはしばらく(永遠に)あえないだろうな~と思い、ムーンライトカフェにチャイを飲みにいった。静かな夕暮れ。通りはいつものように外国人旅行者と地元のチベット&インド人、それに牛や羊が通り過ぎていく。しかし、この日の夜はなんだかセンチメンタルになっていた。ダラムサラに

もっとみる
TCVにやってきたカルマパ17世

TCVにやってきたカルマパ17世

2001年11月22日。今日こそは本当のTCVのお祭りである。朝早く起きると、朝食をとらないでムーンライトカフェでチャイを飲んだ後、MALL RORDをテクテクと歩いてTCVへと向かった。途中、チベット人の団体がタクシーに乗ったり歩いたりして続々とTCVへ向かっている姿が見受けられたので、やはり今日はお祭りがあるのである。昨日の閑散とした道ではない。マクロードから40分ほど歩いただろうか、ダル湖の

もっとみる
TIPA

TIPA

2001年11月21日。今日はTCVでお祭りがあると聞いていたのでひとりテクテクとMALL RORDを歩いてTCVへと向かっていた。お祭りがあるといっても確たる証拠は無い。ただの伝聞である。本当にTCVでお祭りがあるのならマクロードから続々と見学者が向かっていてもよさそうだと思ったが、人通りは疎らであった。時折車やバイクが通り過ぎるが、それにはマクロードの住民が乗っている気配は無かった。
「本当に

もっとみる