見出し画像

女子中学生は星空で泳ぐ。

真夜中の学校の夏のプールに忍び込んだことがある。

中学生の時、付き合っていた女の子とふたりで。


ある日の休み時間。夜のプールで泳いでみたいね、と僕が言うと、彼女は少し考えたあとに、うん、いいんじゃない、と言った。

え、じゃあ行こうよ、と言うと、さっきよりも長く考えたあと、うん、行こう。と彼女は言った。

真夜中の学校に忍び込む。それだけでもスリリングなのに、真夜中の学校に忍び込んで、そしてプールで泳ぐ。いつもの日常にため息をついていた僕は、とてつもない物理法則を発見したかのように、心が高揚した。その日の夜中に決行することになった。

服の下には水着を着て、午前零時のコンビニで待ち合わせをする。僕はぎりぎりに到着したのだけれど、彼女は来ていない。

立ち読みをする。冷房が効きすぎていて、体は冷え、鳥肌が立つ。少し体が震えていた。そして、君、中学生だろ?夜中になにしてるの?と、店員に声をかけられやしないかひやひやする。出来るだけ大人のふりをして、友達の大学生が迎えに来るのを待っている、という芝居をしながら立ち読みをし続けた。とにかく全部が震える。早く来て。

10分ほど遅れて、彼女が到着した。白いシャツにデニムの短パンにビーチサンダル。白いシャツだと暗闇で目立つやん、とかなんとか文句を言ったけど、いいやんそんなの。早く行こうよっ。と彼女は自転車のペダルに足をかけた。シャンプーの匂いがする。

静まり返った住宅街を二人で自転車で走り抜ける。どこかの家のテレビの音。虫の声。自転車を漕ぐ音。とても静かに学校へ向かい、とても静かに自転車を止めた。

フェンスをよじ登り、プールサイドに荷物を置き、どちらからともなく服を脱ぐ。そして僕から先にプールに入った。夜のプールは真っ黒で、水の中に入るというよりも、気体のなかに埋もれるような感覚だった。夏の太陽で熱せられたぬるい水が、体を包む。

彼女も、静かに水に入ってきた。

少しでも音を出せば、ものすごく響くほどの静寂だった。泳いでいるというよりも、まるで浮遊しているような、漂っているような、飛んでいるような、流れているような、1ミリも動かずに座っているような、そのすべてを合わせたような動いているような動いていないような、不思議な感覚だった。

暗闇の中で泳ぐって、実はとてつもなく不気味な経験だと思う。けれども、その不気味な経験もしばらく泳いでいるうちにだんだん慣れてきて、楽しくなってくる。スリルや恐怖に慣れて、楽になってくる。

ふと気づくと、彼女が水に浮いて空を見上げていた。僕もそばにいって、空を見上げる。

星空がある。

そして、星空とプールの境目はなにもない。すべてが真っ暗で、星空はプールに映る。その星空の中にくらげのように漂っている気がしてきた。なんの目的もなく、理由もなく、漂うだけ。中学生でもなく、生き物でもない。

彼女も同じことを感じたのか、不思議、とつぶやいた。僕はうんと頷いた。これは経験しないと分からない感覚なのかもしれない。スウェーデン織のグースアイの横糸をリラックスさせて織っていかないと生地が硬くなるとか、沖縄の手びねり陶芸で指の後が付きすぎると下品になるとか、なかなかに説明が難しい。


そうやって、プールに浮いていると、遠くの方で足音が聞こえた。ざっざっざっ。誰か散歩でもしているのかな、と思った。でも、足音が近づいてくる。それどころか、明らかにこちらに向かって歩いてくる。

時刻は夜中の2時。明らかに緊急事態。人なのか、それ以外のナニかなのか。明らかな緊急事態。人生史上初。

彼女も音に気付いたらしく、息を飲んだのが分かった。二人で音をたてないように、頭を低くしてプールの隅に隠れた。潮干狩りの時に、カニや魚を見つけて、それを捕まえようとすると、とっても素早く彼らは隅に逃げる。指が届かないような狭い隙間に逃げ込む。僕も彼女も、体をぎゅっと縮めて、プールサイドの隅に張り付くように息を殺した。あいつらはこういう気持ちだったのか。

懐中電灯がついた。プールの周りを歩いて、フェンスを照らして回っている。人だ。人以外のものじゃなくてよかったけど、人でもそんなに状況は良くない。警察なのか、警備員なのか、学校の先生なのか、誰なんだ。

プールの周りをその人は歩き回り、さまざまな場所をライトで照らしてまわった。警備員の定期警備なのかなと思ったけど、それにしては念入りだ。とてもまじめな発掘調査員のような動きで念入りにプールの周りを点検する。何かを探すみたいに。

僕も彼女も蟹のまま息を殺している。心臓がものすごく熱く脈打っているのがわかる。彼女の息遣いが聞こえてくる。血液ってこんなに熱いものなんだと知った。

ライトの明かりが、一点を照らして止まった。少し顔を出してみると、彼女が僕の手をぎゅっと握った。プールサイドに置いた荷物がばっちり照らされている。まるで舞台の主人公みたいに、ばっちりと二人の荷物が照らされている。そして、男性の声がした。

おうい、出てこぉい

十秒ほど考えて、僕と彼女は二人で頷いた。諦めて投降する。

警備員の制服を着た60歳くらいのおじいさんが僕たちを照らしている。

なんね、二人はここの生徒かいね? はい。

夜中になにしてるのあなたたち。はい、すみません。

おじさんびっくりしたよ、もう。君たちでよかったよ。怖いよ、もう。ちょっと待ってて、今開けるから。んもぅだめだよ、怖いよもう。

僕たちはどんな裁きが下るのかとうなだれていた。でも、この作戦はそもそもこのスリル込みでの挑戦だったのだ。想定外ではない。でもうなだれた。あしたの全校集会とかで話があるのかな、担任や教頭に怒られるのかな、彼女の親に怒られるかな、なんかめんどくさい作文とか書かされるのかな、あぁ、なんでこんなことしたのかな。

がちゃ と、プールの鍵が開けられた。

あのね、おじちゃん、警備員だからね、起きたことは全部報告しなきゃいけないの。仕事だからね。だからね、あのね、あら、あんた女の子だったの?彼氏と、彼女?なの?へぇ、青春だねぇ。おじちゃんもね、子供の頃はたくさん大人を困らせたよ。子供はそういうもんだからね。

でね、おじちゃんは報告しなきゃいけないのよ。仕事クビになったらいやだからね。嫁さんに叱られるからね。あのさ、でさぁ、君たち、もう、家に帰ってねなさい。そして、こんなことはもうしない。厳しい警備員の人だったら、君たち学校に報告されて親に連絡がいって、もう遊べなくなるよ?

じいさん警備員でラッキーだったってことで、帰んなさい。そこに防犯用の装置があって、プールに人が入ったりすると作動するの。だから僕が来たのよ。今日は、その装置が誤作動して僕がここに来た。中を見たけど誰もいなかった。って報告書には書くから。だから君たちも、友達に今日のこと言ったらだめだからね。君はちゃんと、彼女を家まで送ってあげなさい。危ないからね。それじゃ、荷物まとめて、さ、カギ閉めるよ。気を付けてかえりなさいね。 

言われたとおり彼女を家まで送って、僕も家に帰った。プールでのすべての経験が強烈すぎて、その後どんな会話をしたのか全く覚えていない。

星空に浮かぶ経験と、蟹になっておびえて縮こまる経験と、みしらぬ警備員が情状酌量してれた事で、この思い出はとてつもなく鮮明に記憶に残っている。

そして、警備員のおじちゃん、noteに書いちゃいました。


この記事が参加している募集

夏の思い出

もしサポートして頂けた暁には、 幸せな酒を買ってあなたの幸せを願って幸せに酒を飲みます。