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キャリアが壊れてもそれでも。1980年代の生徒と私の小さな教室

幼い頃から先生に憧れていて、「大きくなったら何になりたいの」と聞かれると、いつも「先生」と答えていました。
未来のために出来ることとして、体験を共有します。私のしてきたことが、保護者の方や教育者の方のお役に立てたらと願っています。

昭和40年頃は、女性が社会に出ても、会社で重要な仕事をしている方を見ることはほとんどありませんでした。数年働いたら結婚して退職するのが当たり前で、25歳を過ぎると「売れ残り」と呼ばれたものです。このような状況で、教師という仕事は責任があり、やりがいのある仕事です。

しかし、教育実習中に目にした職員室での人間関係が、当時の私には幻滅するもので、教師への道は諦めました。それでも、教育に関係する仕事がしたいと願い、教育を扱う民間企業に就職しました。

その後、職場で出会った夫と結婚し、共働きの生活を開始。結婚前にはいろいろと話し合い、希望を抱き、約束もしましたが、彼は研究以外のことは何もできず、自分の世話さえままならない人でした。

私はフルタイムの仕事と家事をこなし、二重労働に押し潰され、高熱で倒れ仕事を失うことになりました。主婦業に専念する日々が始まり、子育ても始まり、母は他界してますので一人で子育てをしていました。

やがて、夫が病気になり、仕事を調整し休養してもらいました。しかし、収入も減りますから、私は昔の職場の教材を使わせていただいて、自宅でできる小学生向けの教室を始めました。主婦業と両立できる仕事として、午後から夕方までの間、遠回りをしましたが教育が仕事になりました。

私の教室は、以下の3点を目指しました。

  • 子供たちが安心して通える場所

  • 学習を通じて理解する喜びを実感できる場所

  • 自分の成長を感じられる場所

具体的には比較を禁止し、比較したい子には過去の自分とのみ比べることを勧めました。比較されませんから、子供たちは安心して自分の課題に取り組めます。分かるから進む、進むとまた分かるようになる。だから学習が面白く、集中力も高まります。その結果、有名進学校に進学する生徒も現れ、親御さんから感謝の言葉をいただくことも増えました。勉強が得意な子だけでなく、ハンデのある子も含めて、どの子も、学びの面白さを体験してもらえたことが誇りです。

教育は力になります。未来を生きる力を、どの子も獲得できるように奮闘される現役世代の方々の、日々の努力にエールと感謝を捧げます。