すけ

感じたこと/考えたこと

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最近の記事

いい『塩梅』を探して

今、舌の上でアーモンドチョコレートがほんのりと溶け始めている。 香ばしいアーモンドと甘やかなチョコレートの塩梅ったらない。 机に投げ捨てられた赤と透明の包み紙を眺めながら、 自分の人生の『塩梅』を思索している。 夫としての自分 父としての自分 社会人としての自分 一個人としての自分 どれかを前面に生きようとすると どれかが蔑ろになって上手くいかない。 どうにもこうにも思考の整理ができなくなった結果、 久しぶりにnoteを開いていた。 現実に疲れたり迷ったりしたとき、

    • 一粒万倍日×天赦日の好き日に

      2ヶ月ぶりの投稿。忙しさやら、断捨離やら、ポケモンやらに追われた結果。 ただやはり、思考を表現し、記録したいという欲はずっと抱えていたみたいで、 ニュースで「今日はとても縁起のいい日です。何かを始めるといいですよ。」 なんて、ほのめかすから、「あ、note再開しよう。」という始末。 今日は朝からゴルフのラウンドに行った。 新年初打ちだったので、とても気持ちよくプレイできた。 そして、夕方家に戻ると、 「今日はとても縁起のいい日だから、赤ちゃんの名前、いよいよ決めてもいい

      • 2022年、わくわくベスト5入り!

        先週末、妻と『佐賀インターナショナルバルーンフェスタ』に行った。 大学生のときにインスタで見て、「行ってみたい!」と 思い焦がれていたところ。 とにかく、打ち上がったバルーンが川にリフレクションする 構図で写真が撮りたい!と、朝4時に起きて出発した。 赤ちゃんが生まれるまでに、2人でたくさん出掛けよう。 そう思っての遠出だったが、やはり妊婦は大変だ。 車内でも、シャトルバスの中でも、会場に着いてから目的の場所に 歩いていくまでも、 とてもしんどそうだった。 それでも、 「

        • じいちゃんの死のそばで考えたこと

          先週、じいちゃんが死んだ。 腰やら肺やらを痛めて病院にいたじいちゃんが死んだ。 コロナで何年も会えていなかったじいちゃんが死んだ。 亡くなった、と書かないのは、 この折に「生」と「死」に向き合ったからだ。 これは、その手記である。 1. じいちゃんと私 お経と木魚の音の中、私はじいちゃんについて回顧した。 脳裡に浮かんだのは、幼い記憶だった。 公園で花火をしたこと トライアルに行ってコインゲームをしたこと スイカを食べたこと 元気?と聞けば、「腰が痛ぁい」と言ってた

        いい『塩梅』を探して

          家族になるということ

          もうすぐ新しい車を買うことになった。 残価クレジット設定で購入した今の車のローンが5年で切れるからだ。 見事にぶつけ倒した我が愛車は、20万の下取り価格しかつかなかった。 次の車はもっと、大切に乗ろう。 なんて、悠長な気持ちで次の車を探しにMAZDAの店に行った。 大学を卒業して、まだ社会の仕組みを理解する前に、 ディーラーさんに言われるがまま(とても良くしてくれた)、 特段何の支障もなく、考慮する条件もなく、色と設備で決めた。 ただ、今回は5年前のそれとは訳が全く違っ

          家族になるということ

          あと200日で会えるらしい

          コロナ陽性者として、8月を迎えてしまった。 妻とともども、しっかりとやられた。 むしろここまで、2年半、よくかからなかったと思うが、 よりにもよって、妊娠が分かったこのタイミングで かからないでくれと腹立たしく思う。 少し甘く捉えていた私に対して一石を投じる出来事だった。 もう、自分たちだけの体ではない。 しかも、赤ちゃんはお腹でじっと堪えることしかできない。 それなのになぜ、危険にさらすような行動ができようか。 コロナにかかったことで、何か作用しないだろうか。 そうい

          あと200日で会えるらしい

          『父になるまで日記』を綴り始める目的

          妻が妊娠した。 それは1ヶ月前。お互い仕事を終えた家で。 泣きながら「早く帰ってきて」との申し出。 色んな可能性が脳裏をよぎったが、 最近の妻の状況と、電話での声質から、 「もしかして、もしかするぞ」と期待した。 「赤ちゃん、できた」 ああ、今までドラマや漫画などで何度も見た光景だが、いざ自分事となるとこうも嬉しいものなのかと。まだ得体もしれない生命を身籠った妻のお腹を本当にさすりたくなるのかと。その神秘さにちゃんと感動するのかと。 この日は、ただただ幸せに満ちた夜だ

          『父になるまで日記』を綴り始める目的

          歴史を味わう〜軍艦島〜

          コロナで自宅にいる時間が長かった一昨年の春。 時間を持て余した私は、なにかできないかと探し、「世界遺産検定2級」をとった。もともと世界史が好きだったため、その勉強はとても楽しく有意義だった。 その際に、日本の世界遺産についても学び、私が住む九州にもたくさんの世界遺産があることを知った。屋久島や琉球王国のグスク及び関連遺産群、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産など、魅力的な場所がたくさんだ。ことさら、北九州近辺には、八幡製鐵所も沖ノ島もある。とても誇らしいことだ。 八幡

          歴史を味わう〜軍艦島〜

          正しく傷つくこと

          『執念』 確か中学のバスケ部のスローガンだったような気がする。 その言葉が脳内に現れると、同時に紺色の横断幕に書かれた白い行書体のそのスローガンが蘇る。 試合に勝つなどという執念はどこにもなく、その時代特有の不安定さと校内環境の悪さからただひたすら人への信用を無くし、自身を失い、傷つかない術を探した。小学校までは1ミリも感じなかった殺伐とした空気の中、 ああ、この人ってこんなことをしちゃう人なんだ ああ、大人って全員が頼れるような人じゃないんだ なんてことに嫌でも気付かさ

          正しく傷つくこと

          「感情」は生き延びるための戦略

          1日に2600回以上持ち上げ、 平均すると10分に1回触るといわれるスマホ。 何を隠そう、1日中予定の無かった今日に関しては、5000回以上持ち上げたかもしれないほど、 私はスマホ依存症である。 朝起きてすぐ、顔を洗う前に天気予報と株の値動きを確認し、 通勤中、信号に引っかかればインスタを開き、 仕事の休憩には、ラインとメールのチェックをし、 帰りの車中では、ラジオに興じ、 皿洗いをしながら、youtubeでゴルフやカメラの勉強をし、 その他、メモや日記、写真、天気、音楽

          「感情」は生き延びるための戦略

          信じるもの

          おそろしく時間の有り余った3連休の初日に、とある長編小説を読み終えた。 西加奈子の「サラバ!」 上中下にまたがるとても内容の濃い作品を1ヶ月以上かけてじっくりと読んだ。 自己中心的で、自我の強い母親と、 「わたしを見て」の思いが奇行に表れる姉、 どこまでも優しく他を尊重する父、 の家族のもと、イランで生まれた主人公の圷歩。 母姉の対立に、どこまでも静観を貫き、 不穏な空気の渦中から退避し続けてきた幼少期。 そこから、大阪、エジプト、東京と、様々な場所で、たくさんの出会いの

          信じるもの

          阿呆で愛しい生き物

          人間は、適応することができる。 肩肘に力を入れて、新しい環境に飛び込んでも、 なかなかの割合で、慣れる。 それまでに造り上げてきた人間関係などを懐古する時間が減り、 今の環境でなんとか生きていこうとする。 この適応能力は、もちろん人それぞれだし、 でも、なかったらしんどいと思う。 先にポジティブな方について言及した。 裏返してみれば、なんでもすぐに、「当たり前」と なるということだ。 初めは、喜怒哀楽さまざまな感情が動くのだが、 いかんせん人間には適応能力が備わっているた

          阿呆で愛しい生き物

          「それ」の終焉

          出会いは覚えていない。 私にとって、求めずとも決まった場所にいる当たり前の存在。 振り返ってみると、本当に長年を共にしてきた。 センター試験1日目、場の雰囲気に飲み込まれそうになった時、一緒に食いしばって緊張を乗り越えてくれた。 グアム旅行で、ファイアーダンスを目の前に、一緒に極上のビールとBBQを味わった。 自分のカメラを手に入れた日も、恋人と別れた雨の夜も、就職が決まった時も。 妻と付き合った日も、プロポーズした日も、籍を入れた日も。 ここ最近の記憶する喜怒哀楽の全て

          「それ」の終焉

          気になる。

          趣味は、人間観察です! なんていう台詞に酔って愛用していた時期がある。 その頃から、4、5年経ったからこそ思うが、 私は基本、人に興味がない。 なんだ、真逆じゃないか、と苛立たないでほしい。 なぜそのような趣味をうそぶいていたのかというと、 ときどき、猛烈に気になる人や存在が、不意に表れ、脳内を占拠するからである。 人間らしい人が好きだ。 よくも悪くも、奥行きがあってほしい(ギャップとはまた違う)。 能面のような、温度を感じない、誰にでもよい顔をする人が私にとっての一番の

          気になる。

          「多い様」の外を知る

          昨年、賛否の渦の中、それでも感動を与え倒した東京オリンピックが行われた。コンセプトは、「多様性」。狭い視野、偏見、固定概念は、もう前時代的であり、「令和の日本は誰ひとりとして世の中から排除しませんよー。そんな世界にしましょうよー。」と誇示していた。それに対して、目を輝かせて同意し、濁りなく応援していた私。 それから5ヶ月後、この本と出会った。 https://www.amazon.co.jp/正欲-朝井-リョウ/dp/4103330635 浅井リョウの『正欲』 題名と表

          「多い様」の外を知る

          生かされるんじゃねえぞ!

          毎朝6時10分に起きる。 朝ごはんを食べて家を出るのは6時45分。 とうの昔に慣れた渋滞に流され7時20分職場着。とうの昔に慣れた残業をこなして19時前に帰る。 先に風呂に入り夕食を食べ、ベッドに入るのは22時30分。 驚くべきほど体に染み付いたこのルーティンを繰り返す毎日だが、 何かふっとしたタイミングで、それを俯瞰する。 まるで誰かお金と決定権をもった深めの椅子に座った人に、こう生かされているようだ・・・ そう感じるのだ。 母親の腹を蹴飛ばすほど、生まれた瞬間嬉しく

          生かされるんじゃねえぞ!