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「それ」の終焉

出会いは覚えていない。
私にとって、求めずとも決まった場所にいる当たり前の存在。
振り返ってみると、本当に長年を共にしてきた。

センター試験1日目、場の雰囲気に飲み込まれそうになった時、一緒に食いしばって緊張を乗り越えてくれた。
グアム旅行で、ファイアーダンスを目の前に、一緒に極上のビールとBBQを味わった。
自分のカメラを手に入れた日も、恋人と別れた雨の夜も、就職が決まった時も。
妻と付き合った日も、プロポーズした日も、籍を入れた日も。

ここ最近の記憶する喜怒哀楽の全てを共にしてきた。


そんな存在を、5分で失った。


「あぁ、これは全部抜かないとだめだね。」

愛想を持ち合わせた、たちの悪い悪魔はそう呟いた。
3週間前に通い出した、歯科の院長先生である。
2021年の目標に高らかと掲げていたが、忙しさと怖さを理由に一度も訪れることはなかった去年。
年末に痛みがひどくなり、愛すべきビールさえも攻撃してくる有様だった。
来年こそは行こうと決心し、おずおずと初診。
こちらの愛着なんか全く考慮せず、あっさりと親知らずを撤去することを命じた。
それも、4本すべて。

失礼な書き方をしたが、もちろん、私のことを想っての判断である。
親知らずに阻まれて、その隣の歯が全然磨けていなかったらしいのだ。
このままいくと、その大切な歯たちまでが、虫歯になって朽ちていくと。
分かる。道理は分かるのだ。でも、
怖いのだ!!!

「親知らず 抜く 痛い」
「親知らず 抜く 方法」
「親知らず 抜く 必要 ある」
「親知らず 抜く 子ども 感想」

私の検索履歴を見れば、おずおず具合が見て取れる。
ましてや、子どもがどう感じたかを調べようとするなんて、卑怯極まりない・・・そのくらいに怖かったのだ。

職場の同僚に励まされながら、覚悟を決め、いざ。

今回は、左上。(1回の通院で1本しか抜けないのだとか・・・なげえよ〜)
麻酔針を、4,5回歯茎にぶすぶすと刺していく。
正確に分からないのは、もう4回目くらいには、
左上の唇から歯茎までの感覚を失っていたからだ。
ドラマの見過ぎか、左上歯茎という、超、超部分麻酔にも関わらず、なんだか体にいつも以上の重力がかかり、とりまく空気がどろっとしてきた。

あぁ、全身麻酔があれば、たしかに手術って大丈夫だな〜
小学生の時、ブラックジャックにハマっていたな〜

なんてことを、気を紛らわすために考えていた・・・ら、

バキッ!バキバキッ!!!


やりやがった。ペンチだ。ぜったい、ペンチだ。

こういうやつ。いや、ちがうな、こっちか!

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うん、こっちだな。間違いない。
運動場に深々と打ち込まれた釘を抜くときとほとんど同じ音がする。

勘違いしないでほしい。
痛いから憤慨しているのではない。
痛みなどない。あるのは、鈍い「バキッ!」だ。
そうではなくて、屈辱なのだ。
上述したように、この親知らずには、院長さんには
知り得ない、私との深い思い出がある。
それを、こんな不躾な道具で・・・!
しかも顔を覗き見ると、ミルクを入れたコーヒーをかき混ぜるくらいに何でもないですよ、みたいな感じで・・・!!!

私は目を閉じて、離れゆく存在に思いを馳せた。


「よく頑張りましたね。こちらが親知らずですよ〜」

赤ちゃんか!!!と突っ込みたくなる歯科助手さんの台詞とともに、私はつい先程まで自分の体内に埋め込まれていた、「それ」を眺めた。

キモチワルッ

これが、親知らずか。なんとも生々しい。
絵文字で出てくる「歯」と同じ形をしている。
真ん中に至っては、黒ずんで活火山のようにくぼんでいる。

養老孟司の『「自分」の壁』で書いてあった。
「自分」とは、どこまでが「自分」なのか、と。
体内にあるときには、何にも感じず共に寝食している、例えば排泄物などが、一度体外に出てしまえば、「汚いもの」に成り代わる。その境界線は、なんなのか。
生首にしてもそう。体にくっついている顔には何一つ違和感を覚えないのに、一度体から切り離されて置かれると、違和感しか覚えない。

歯科助手さんから、見せられた「それ」は、
まさに、体外の「それ」であった。

歯よ。気持ち悪く感じてしまってごめん。守ってあげられなくてごめん。
院長さんよ。悪魔よばわりしてごめん。ちゃんとした器具を使っていたのにごめん。
歯科助手さんよ。顔が長いな〜って思ってごめん。

いろいろな「ごめん」を感じながら、
私と左上親不知との関わりは終焉を迎えた。

次回は左下。道のりは、まだまだ長い。

suke

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