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歴史を味わう〜軍艦島〜

コロナで自宅にいる時間が長かった一昨年の春。
時間を持て余した私は、なにかできないかと探し、「世界遺産検定2級」をとった。もともと世界史が好きだったため、その勉強はとても楽しく有意義だった。

その際に、日本の世界遺産についても学び、私が住む九州にもたくさんの世界遺産があることを知った。屋久島や琉球王国のグスク及び関連遺産群、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産など、魅力的な場所がたくさんだ。ことさら、北九州近辺には、八幡製鐵所も沖ノ島もある。とても誇らしいことだ。

八幡製鐵所は、『明治日本の産業革命遺産』の中の一つである。幕末から明治にかけての歴史も大好きな私にとって、ずっと訪れてみたかった場所があった。
それが、『軍艦島』である。その名の通り、遠くから見ると、戦艦「土佐」のようだと当時の長崎日日新聞が紹介したことからそう呼ばれるようになった島。正式名称は「端島炭鉱」。明治の日本が革新的に進歩していった背景にあった立役者である。


今回は、「軍艦島コンシェルジュ」というツアー会社で予約をし、デジタルミュージアム見学と、軍艦島上陸というセットの内容だった。
ミュージアムでは、当時軍艦島に住んでいた方の生の話を聞けたり、映像で当時の生活や採鉱の様子を学んだりできた。世界遺産検定テキスト上での学びが立体的になる感覚だった。
そして、近くの乗船所から、出港。

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片道30~40分くらいあった道程も、ガイドさんの話が面白くあっという間だった。軍艦島だけでなく、長崎周辺の世界遺産について様々なことを教えてれた。例えば、三菱の成り立ちについてや、キリンビールのマークの意味、などである。

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やはり、鎖国下で長崎だけが貿易を行う場所として指定された意味合いは歴史的にすごく大きかったのだと感じた。そして、トーマス・グラバーという男がいかに、長崎、そして日本に多大な影響を与えたのかを思い知った。なんにつけても顔を出してくる。恐るべし・・・。

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遠くから観た軍艦島はやはり、ものものしい軍艦のようで、島なのに木々よりもコンクリートの色味が強いその見た目に異様さを感じた。50年前くらいにはここに大勢の人が住んでいたということが不思議でならなかった。

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上陸するとそのものものしさはより一層で、50年の年月と雨風によって建物のほとんどが風化していた。最盛期の人口密度は東京の約10倍ともそれ以上とも言われている。それほどの人たちが、三菱に雇われ、石炭採掘のためにこの島に移り住み、家族とともに生活をしていた。表面上の勉強段階では、「え・・・しんどかったのではないか」と思っていた。歴史の恐ろしいところはそこである。今と比べて考えてしまうのである。小さな島に移り住んで、6畳1間に家族で暮らし、顔をまっ黒くして、危険とともにある仕事をする。その事実だけで捉えてはだめだ。

実際の話を聞いたり、肉眼で見たりすれば、内状が分かる。当時の鉱員の給料は公務員の何倍もあり、電化製品の設備も本土と比べ物にならないくらいに普及していた。島内の人たちは家族のように仲がよく、島の学校の校長先生が亡くなった際には島中の人たちが参列したとのことだ。

そんな生活もエネルギー革命と同時に終わりを迎えた。石炭ではなく、石油の時代になったからである。なんとも時代背景とともにあった島である。端島炭鉱で採掘された石炭のおかげもあり、日本は近代化した。

歴史と自分とのつながりを感じること

それは、得も言えぬ奥行きのある気持ちになるものだ。
知ることから。そして、考えること。想像すること。体験すること。
今ここにある自分を取り巻く環境を、色んな角度からつないで、厚みのある実感を伴った人生でありたいと思う。


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夕方には、中華街で大好きな麻婆豆腐を食べた。
これまさに、歴史的な背景あり。味噌のコクの中に奥行きを感じながら味わった。

長崎、つよい。

suke

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