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このnoteで目指すもの
太田幸夫 略歴
デザイナー。1939年、愛知県生まれ。多摩美術大学卒。同研究科およびイタリア国立美術学院修了。東京造形大学、ピクトリアル研究所などを経て、多摩美術大学元教授、日本サイン学会元会長。著書に国際本『ピクトグラム〔絵文字〕デザイン』(柏書房)、『サイン・コミュニケーション』(全2巻・共編著・柏美術出版)、『コミュニケーションデザイン』(全5巻・共編著・遊子館)など。非常口サインの国際規格
『絵ことばLoCoS協働研究』の呼びかけをスタート
絵ことばLoCoSの研究会はこれまで、講談社からの出版依頼によって1973年 太田の単著としてB5判300ページの日本語版が刊行されました。先般、本noteで紹介した「絵ことば LoCoS 1〜3」は、その単行本の中の単語、文法、文例、発音をまとめて紹介したものです。
絵ことば LoCoS -1
絵ことば LoCoS -2
絵ことば LoCoS -3
LoCoSを知った全国の異なる分野の人
絵ことば LoCoS -3
LoCoSの文章は1966年イタリア(ベニス)留学当時、日本語と同じ縦組みでしたが、主語のすぐ後に動詞や助動詞が並んで結論がわかりやすい英語の横組み S+V+O の方が、合理的社会に相応しいと思って、横組みの語順にしました。
ところが動詞の働きをいかに表現するかで1年以上の自問自答に苦しんだ結果、左の主語と右の目的語または補語を結びつけ、関係づけるものと理解できました。その意味は一本の横棒で表現
絵ことば LoCoS -2
LoCoSのキャラクター
LoCoSは「視覚言語(絵ことば)」であるため、形を見れば意味がわかるように心がけた。これらの絵文字はそうした例だ。存在を意味する「・」を加えた下記の8種類の「意味の要素」を用意した。
円は「太陽・日」を表し、L型の針が入ると「時計」、針だけで「時間」、長針に点で「今」、長針の左に点で以前、長針の右に点で「以後」となる。
太陽の真ん中に点で「今日」、左で「昨日」、右で
絵ことば LoCoS -1
LoCoSは1964年〜66年、太田幸夫がイタリア国立ベニス美術学院に留学した時、言語の違いに困惑し、見るだけで分かる絵ことばのデザインを研究・開発して、形、意味、文法、発音を一体化した世界初の視覚言語を考案した成果です。帰国後、東京・銀座の松屋デザインギャラリー展(日本デザインコミッティー主催)で、デザイン界の法王と崇められた同コミッティー理事長・デザイン評論家勝見勝氏の推挙により、未完成ながら
もっとみる避難場所のピクトグラム
歴代7人の総理大臣を支えた石原信雄元内閣官房副長官が、防災情報機構理事長であった時、石原様から太田が直接依頼されて提出した避難場所表示デザインの素案の一つを、中央7省庁を集めて正式採用させたとのこと。現在その避難場所の絵文字は、全国全ての小中高の運動場や大きな公園などに設置されています。建物の非常口から屋外の避難場所まで昼夜を問わず一貫した「避難誘導サイントータルシステム」を目指して、蓄光剤を含む
もっとみる非常口のピクトグラム
非常口サインは当初、小学校5年生にならないと学習しない「常」の字を真ん中に3文字の「非常口」が並んだ文字表記で、保育園で目にするのも同じでした。'72大阪と'73年熊本のデパート火災で260名の死者が出て、10W1本の蛍光灯内装サインが、煙で見えなかったのではないかと国会でも問題になり、消防当局は20Wと40Wを2本内蔵した巨大文字サイン灯を全国に取り付けました。
八王子の大学(東京造形大学)で
オリンピックのピクトグラム
1964年の東京オリンピックで世界の歴史上初めて、国際行事における絵文字の案内サインが整いました。デザイン界の法皇と謳われたデザイン評論家勝見勝のディレクションとそのデザイン制作に協力した若い日本のデザイナー軍団10余名の業績です。施設案内用ピクトグラムは迎賓館での共同制作だったので、デザインの制作者と利用者の立場を兼ねることができました。その結果、統一感は希薄ながら、客観性と理解のしやすさを特徴
もっとみるピクトグラム(絵文字)
ここでは、「人とものと情報」を円滑に関係づける「インターフェース(媒体)」を取り上げます。マン・パーソン・インターフェースは、人と人の関係を取り持つ伝達媒体。マン・マシン・インターフェースは、人と機器類の関係を取り持つ伝達媒体。マン・スペース・インターフェースは、人と環境の意味を取り持つ伝達媒体の合計3つです。最後のスペースは、物理的環境だけでなく、情報空間の広がりまでも意味するものと思ってくださ
もっとみる多様な話題にご期待を
このブログでは、多くの話題を取り上げます。非常口サイン、LoCoS(絵ことば)、絵文字、ピクトグラム、サイン、サイン植栽、歯根治療法、薬の正しい服用法、慶應義塾幼稚舎、多摩美術大学、英語版映画「日本の家紋」、避難誘導サイントータルシステム(認識編と実践編の2冊)、コミュニケーションデザイン、ISO国際標準化機構、国際専門誌『グラフィックデザイン』、デザイン界の法皇・勝見勝、東京造形大学、目で見るこ
もっとみる歩んで来たデザインの道
多摩美術大学に入学してデザインの道を歩み始めた結果、早速、二つの幸せな出逢いがありました。一つは日本画出身でグラフックデザイン界のパイオニア、杉浦非水先生から「便化」と呼ぶ形の単純化と形象化を学んだこと。和服の柄も家紋の形も、日本画の基礎画法である“便化”(べんか)の手法でデザインする。それが「意匠」です。太田が160番台で1960年代に入会した日本デザイン学会は現在、2000名規模の全国組織に成
もっとみる私の進路:デザインの原点
デザインを学ぶ私のルーツは、生まれた実家の呉服商にありました。高3の進路指導の時、「意匠など、どうだろうか」と声をかけてくださった物理担当でクラス担任の村瀬先生(後の校長先生)は、私の生家が呉服店であったことをご存知だったのです。意匠の意味がデザインとわかった瞬間、例えようもない大きな喜びでした。
赤子の時から和服の豊富な色と柄に幾重にも囲まれて、絵本の代わりに紋帖を手にするしかない環境でした。