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私の進路:デザインの原点

デザインを学ぶ私のルーツは、生まれた実家の呉服商にありました。高3の進路指導の時、「意匠など、どうだろうか」と声をかけてくださった物理担当でクラス担任の村瀬先生(後の校長先生)は、私の生家が呉服店であったことをご存知だったのです。意匠の意味がデザインとわかった瞬間、例えようもない大きな喜びでした。

赤子の時から和服の豊富な色と柄に幾重にも囲まれて、絵本の代わりに紋帖を手にするしかない環境でした。国宝の燕子花図(カキツバタ)屏風で有名な尾形光琳も、京都の呉服商の生まれ。意匠と呼ばれる造形に寄せる思いでは、共通点があると言えるかもしれません。

晴れ着を新調する“座売り”での会話は まるで、人生の新しいページを創り出すように、実に楽しい会話がいつまでも続きました。しかし高価な買い物だから客・主ともに“真剣な楽しさ”であることは、子供心にもよくわかりました。紋付の着物ともなれば、人生最大の喜びと悲しみに際して、両親や先祖に対面し心を新たにするためか、売り場の空気が違って感じるほどでした。

1300年の歴史をもつ家紋のデザインは、人々の生活の中に日本文化の審美眼をつちかいました。さらにそのデザインの無名性(アノニマス)故に、身にまとうたびに全ての人の人生の誇りともなってきました。

武家紋は、戰(いくさ)の目印として歴史を塗り替えてきた事実もあるけれど、デジタル時代の現代においても、日本人は全て、自分の家の家紋を何度も目にしていながら、“見飽きた”ということは一度もないと言えるでしょう。見るたびに心身が洗われる思いがする。そして誇りすら覚える。こうしたデザインとしての生活文化の話題を、ブログによって共有し合い、相互理解が得られれば素晴らしい。

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