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多和田葉子さんの『百年の散歩』を読んで、これは「I miss you」という感情を長い長い物語で表現した「喪失の物語」だということに気がついた。

I love you を様々な作家が日本語でどう表現したかを紹介した本が一時期、話題になった。

夏目漱石の「月が綺麗ですね」や二葉亭四迷の「死んでもいいわ」などが有名だが、僕はそれらのロマンチックな表現を読みながら、これ、「I miss youの訳し方」というお題で誰かまとめてくれないかな、と思った。

外国語を日本語に訳す場合に、なかなか一言ではニュアンスが伝わらない言葉は多いのだけど(その逆で外国語には翻訳できない日本語もある)、その中でも僕が好きなフレーズのひとつに「I miss you」がある。

一般的には、「あなたがいなくて寂しい」「あなたが恋しい」「会いたい」と訳すことが多いと思うけど、どれもなんとなくニュアンスが違うように感じる。

だから、これをいろんな作家さんがどう表現するのかを集めた本がもし出版されれば、僕は間違いなく買い求めるだろうなと思っている。



多和田葉子さんの『百年の散歩』を読みながら、あ、この小説には、数えきれないくらいの「I miss you」が溢れているな、と思った。

つらつらと、言葉遊びを交えながら綴られる、メトロポリタンの散策記の主題は「あなたの不在」だ。

作中、一度も登場しない「あなた」を、語り手は執拗に待ち続ける。

「あなた」と語り手の関係はまったく明らかにされないまま、語り手が「あなた」との待ち合わせに赴く過程をひたすらに綴った作品だ。

そもそも、「あなた」は本当に存在するのか?

おそらく大多数の読者は途中から、その疑念が頭から離れなくなるだろうし、作者もそう疑われることを楽しむかのように「あなたの不在」を様々な表現をもって語り続ける。

そして、物語の後半ですべてが明らかにされた時、読者である私たちは、嗚呼、これは「I miss you」という感情を長い長い物語で表現した「喪失の物語」だということに気がつき、そうか、この散策記は切なく哀しいラブストーリーなのだということを噛み締めるのである。

あなたがいない、という寂しさが、恋の終わりではなく、それこそが「恋愛の一部」だとしたら。

この物語が示している通り、私たちがその「喪われた恋」から解放されることは、一生、ない。

それは悲劇なのか、それとも。

本書は「語り手とベルリンという街の物語」であり、ラブシーンなど一切描かれることはない。

それでも、本書を読めば、これが一級品の恋愛小説だということが分かるはずだ。

個人的には、『となり町戦争』と並ぶ、「ラブシーンを描かないことで最高のラブストーリーになった」小説として、記憶に残る作品となった。

「I miss you」を日本語に訳すとすれば。
その回答例として、僕なら、本書を一冊まるごと差し出したいと思う。

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