◆読書日記.《E・H・カー『歴史とは何か』》
<2024年3月23日>
<総評>
エドワード・ハレット・カー『歴史とは何か』読了。
英国の歴史家による「歴史とは何か」というシンプルな問題について主に六つのテーマに分けて論じた講演録。
E・H・カーは1961年にイギリスのケンブリッジ大学にてこのテーマについて6回の連続講演を行った。その書籍化されたものが本書の原著となる。
「歴史とは何か?」……こういうシンプルな疑問というものには、明確な答えなどなく、時代によって、国によって、個人によって、様々な解答が出てきてしまうものだ。
だが「明確な答えなどない」からといって「研究する意味がない」という事にはならない。
「歴史を研究する」という事は、数学のように一意的な答えがあるわけではなく、自然科学のように実験を行って誰でも正確性を検証できるようなものでもない。
ではいったい「歴史」なるものを学問とする意味はどこにあるのか? そもそも何故、人類は今まで「歴史」なるものを編んできたのか。
つまり「歴史」というものの存在意義であり、それを学問として研究する意義について、その根本を問題にするのが本書の内容と言っていいだろう。
こういった「根源的な問題」「根本の問題」といったものを対象としてきたのは、古代から「哲学」の分野の役割だった。本書の内容も「歴史哲学」なのである。
本書もあくまで「歴史家であるE・H・カーによる"歴史"の見方」を紹介しているにすぎない。
が、歴史哲学というものは、こういう「暫定的な見解」が残される事こそが重要なのかもしれない。……この事についてはまた後ほど詳しく述べるかもしれないが、今は一端脇に置いておこう。
本書のメインテーゼはとてもシンプルだ。
「歴史は、現在と過去との対話である」
本書ではこの内容をパラフレーズした箇所が幾度も出てくる。
――ちなみに、自然科学方面の研究者からは、こういう「答えがアヤフヤ」に見える学問をする事に何の意味があるのか?と、しばしば否定的な疑問を呈される事がある。
しかし、政治についても経済についても生活習慣や伝統文化についても、科学についてさえ、過去を学ばず、過去の経緯を全く踏まえずに決断する事などできない。
この長い人類の積み重ねを全く無視した「過去との対話なしの決断」というのが、いかに無謀な事なのか。
人間が「記録し、それを次世代に継承する」という行動をとっているからこそ、人類には「歴史」というものがある。だからこそ、人間は歴史によって「現在と過去との対話」が出来ているのだ。
「いま/ここ/それ」しかない動物や昆虫の世界には、「歴史」は存在しない。
そう考えれば「歴史」というものは「"個人"が記憶している個人的な過去の経験や知識」を対象としているのではない、という事は分かるだろう。
「歴史」とは個人的な記憶ではない「多数の人間に共有されている過去である」という条件があり、それが「個人的な経験」ではなく「多数の人間に影響のある過去である」という条件もあるだろう。
それらの積み重なりが、われわれ人類を前々へと進歩させていく原動力となったとは言えないだろうか。
そして、人類の「歴史」は未だ「暫定的」な歩みの途中でしかなく、その流れの中にいるわれわれとしては、その次の世代のための「積み重ね」として、暫定的にでもいま現在の「歴史とは何か」という問題を、考える意味があるのである。
◆◆◆
本書で採り上げられているテーマは6つあり、それぞれに1章ごと章を分けて説明していて、そういった所もとても分かり易い内容となっている。
1章:歴史家と事実
2章:社会と個人
3章:歴史と科学と道徳
4章:歴史における因果関係
5章:進歩としての歴史
6章:広がる地平線
章タイトルだけを見てもこのテーマの重要性にはピンと来ないだろうが、それぞれ歴史を考える上では非常に重要になってくる問題で、それぞれを歴史家として深掘りして言及しているという点に、本書の優れた特徴がある。
採り上げられているテーマが根本的なものだからこそ、本書が現在でも古典的な本として長く読まれているのだろうと思わせられる。
という事で以下、本書を読んで考えた事をつらつらと。
<1章:歴史家と事実>
上にも述べたが、自然科学の研究者が、しばしば歴史学をアヤフヤで単なる解釈でしかない学問に意味を感じない……等と言っている事に自分は疑問を感じていたので、正直歴史家からのこの一言にはドキリとさせられた。
しかし、ここで注意してもらいたいのは、歴史家は「解釈」ばかりを必要としているわけではないという事だ。
その前に当然、大前提として「事実」がなければならないのである。歴史家にとって「事実」とは、自分の仕事を行うための必要不可欠な道具であると言えるのかもしれない。
だが、更に言えば、歴史は「事実」だけでも「歴史」にはならない、という事である。
過去にあった事件の内容を、正確に記録し、またはその記録から過去にあった出来事を正確に再現しようとする事は「歴史的事実」を研究するために重要な事だ。
だが、それら「歴史的事実」をいくら収集しても、それは単に「過去の出来事を羅列した」だけであって、それ自体に意味があるというわけではない。
――そこで著者による有名な「歴史とは、歴史家とその事実のあいだの相互作用の絶えまないプロセスであり、現在と過去のあいだの終わりのない対話」という言葉が出てくるのだ。
例えば関ケ原の合戦は正確には西暦何年に行われたのか?正確にはどこで行われたのか?参加した兵士はどれほどいたのか?……といった「事実」は単に「素材」であって「歴史」ではない。
合戦であっても政治的な暗殺であっても、それぞれを何の関連もなく綴れば、それは単なる「素材の羅列」でしかない。
「素材が自ら語る」という事は無くて、あくまでその素材を"何のために採り上げるのか"というのが重要なのである。
人間社会には、全世界で、無数の大小さまざまな事件が毎日にのように起こっている。例えば、それら全てを古代から現在まで、仔細漏らさず羅列すれば「人類の歴史」になるだろうか?
否。そんな事には、何の意味もない。それは、上の記述をお読みになってもお分かりになる事ではないだろうか。
大小さまざまな事件を全て仔細漏らさず記録する事など不可能なのである。
記録されるものというのは、昔から現代まで無限に並べられた事象の内で「重要な事がら」だからこそ記録され、歴史になってきた。
では、何を以てして「歴史的に重要」だと判断するのか?――そこに「客観的な判断基準」は、ないのである。
例えば、関ヶ原の合戦は「日本の歴史」の内の重大な事件として採り上げられるに足る重要な出来事であったのかどうかというのは、言わば「歴史家が関ヶ原の合戦をどう評価するか」にかかっているわけである。
人類の歴史上、発生した全ての出来事について言及する事などできはしない。
だから、歴史家の仕事というのは、そういった無数の「歴史的事実」の中から、歴史的な意味を読み取って「重要」と思われるものを寄り分け、流れを作る事にある。
つまり、それが上の引用文中にも言われている「歴史家の解釈」というものであり、そういう文脈での「歴史とは解釈のことです」という著者の主張に繋がるわけである。
歴史という仕事には「客観的編纂」の結果としての「歴史」というものは、ないのである。
学校で教わる「日本の歴史」や「世界の歴史」というものも、個々の歴史家の主観的な解釈の綜合でしかなく、暫時更新されるべき知識だと言えるだろう。(そう考えると、現在の学校の歴史教育が「暗記科目」のようなものになってしまっているという状況は問題であろう)
しかし、こういった「歴史は解釈である」というテーゼが前面に出てくると「歴史というのは主観ばかりで、正解や間違いなど判定できるものではない」「歴史には客観性はない、科学的でもない」という極論が出てきそうである。
そこで問題となるのは「歴史家は"客観性"というものを、どこに置いているのか?」という問題である。
これについて著者は「6章:広がる地平線」で自らの見解を示している。
要は、――歴史的事実を自分の都合のいいように、偏った「解釈」をしても、それもそれで歴史の「解釈」の内の一つだろう?――等といった「客観的ではない解釈」を、歴史学は許容するものではない、という事だ。それを称して「一面的だ」という非難に繋がる。
また、新たな事実を示す歴史的遺物が発見された事によって、それまでの主流を占めていた見解が否定されてしまっても、――それでも既に否定されてしまっている学説を繰り返し唱えているようなものを称して「古臭い無意味なものになってしまった見地の産物である」といった非難に繋がるわけである。
<2章:社会と個人>
本書の第二章めは「社会と個人」という視点で歴史を論じているが、こういう視点というのはぼくにはなかったので非常に新鮮だ。
歴史を動かしているものは何なのか?歴史に採り上げられる社会現象の多くは個人の行動によって引き起こされるから「歴史的な人物」に注目すべきだ……というスタンスもあれば、社会現象の多くは大衆によって引き起こされなければ起きず、人間とは所詮、社会および経済的諸力の操り人形なのだ……というスタンスもある。
こういう「個人か、社会か?」という問題は偏った見方で、最終的にはそのどちらかが重要なのではなく、どちらも重要で、歴史というのはシンプルなシステムに還元する事のできない言わば複雑系なのだ……と考えるべきなのだろう。
「ある歴史的現象はある人物が主導したので、その偉人の動機によって起こされた」とするのも一つのスタンスだが、けっきょく個人の行動というものは彼が望んだ動機そのままの結果を産むわけではない。
むしろ個人的な動機によって引き起こされた事が全く違う結果を生み、それが社会現象に繋がる事も稀ではない。
社会現象というものは様々な諸力が関係していて、その結果として――多くは偶然の内に――「歴史的な事件」に発展していたりするものだ。
「社会から切りはなされた個人」などというものはないし、社会も結局「個人」が集まって出来たものだ。両者が、互いに両者に食い込んで複雑な諸力となっている。
だから、歴史というものは「個人」ばかりのものでなく、かといって「社会」だけのものではないというわけだ。
考えてみれば、当たり前の事なのだが、こういった「原理・原則」がいつの間にか失われるからこそ、こういった原理論を固めなければならない理由となるのだ。
◆◆◆
著者は「歴史家が扱っている事実の研究を始めるに先だって、その歴史家を研究せねばならないのです。(本書P.29)」とも言っている。
この見解については、ぼくも最近この手の書籍を読む時に気を付けている事だったので、まさに我が意を得たりといった気持ちであった。
「客観的な視点人物としての歴史家」というものを想定するのは不可能で、けっきょく歴史家も現在進行中の「歴史」の中を共に歩んでいる一人でしかなく、そのスタンスやその視点を無視した歴史叙述はできないという事。
いかに科学的で客観的な見方ができる人物だったとしても、その歴史家が生きている時代や、その歴史家が暮らしている地域を通して得られる知識や概念といったものには必ず制限がある。
歴史家個人が「大衆」になれはしないのだから、「個人の視点」という制限を破って神のような俯瞰的視点に立つ事などできはしないのだ。
また、歴史家個人は現代進行形の「歴史」の中を歩んでいる人間の内の一人にすぎないのだから、「現代」を抜け出して未来からの視点に立って現代を客観的に分析する事もできはしない。
歴史家がいくら「客観的たらん」としても、その"個人的な"立ち位置から出る影響というものは無視できない要素として出てしまうものなのだろう。
本書ではそれを説明するのに、ドイツの著名な歴史家マイネッケが、変化の激しかったドイツの時代状況の中で、時代が移るごとにその歴史観がどんどん変化していった事を「違った三人のマイネッケ」がいて、それぞれの著作でそれぞれの世界観のスポークスマンになっている、とその違いを説明しているのが印象的であった。
著者も述べているとおり、歴史というものは純粋な形式でそのまま記録される事はなく、記述者も完全な客観的立場に立っているわけではない。歴史的な記録というものは常に「記録者の心を通して屈折して来るもの(本書P.27)」なのである。
これは何も歴史学だけの事ではなく、政治学でも経済学でも宗教学でも文化人類学でも、似たような事が言えるのではあるまいか。
だから、ぼくは本を読むにあたって「この著者は、一体どういったスタンスからこの主張を述べているのか?」という部分は意識するようになったし、最近のレビューでも冒頭に必ず<著者略歴>を記すようにしているのである。
どういった時代の、どの国のどの地域で、どういう思想的影響関係を持った人物の主張なのか?という事を知るのは、同じ文章を読むにしてもまたその意味が変わってくる。その人がその本を書いた「意図」に関する重要な手がかりになるものだからだ。
その文章の内にある「記述者の心による微妙な屈折」を読み取らなければ、事実の部分までは読み取れないだろう。
それはその書物が書かれた「動機」にも関わってくる事だし、その人のパースペクティブの方向性を知る事に繋がる。
だから著者が言うように「歴史家が扱っている事実の研究」にとって、それを「書いた人の研究」が重要になってくるというのも良く分かる。
◆◆◆
歴史というのは不思議なもので、何故か日本では「歴史が長い」と言っただけでそれに「権威」を帯びさせてしまう。
例えば「ウン百年つづく名家」といっただけで何かしらの権威が宿る。歴史はまさに「権威付け」に利用されてきた側面がある。
封建制の時代は「王の権威の正統性」の保障としての「歴史編纂」というのが定番だった。だから古代から編まれてきた歴史は「支配層側から見た歴史」だった。
その歴史を国民の意志で自ら編むようになったというのは、民主主義として国民が歴史という権威を手に入れたという事なのだろうと思う。
逆に、歴史というものがどうしようもなく「権威」を帯びてしまうものだからこそ、未だに独裁的な政権は歴史修正を行うし、ファシズム的な人間は自分の都合のいいように歴史を解釈したがるという傾向がある。
どちらも、真実や知識などというものは眼中になく「歴史の権威」という側面に目がくらんでいるというのは明白だろう。自分に強制的に従わせるための「権威」だからだ。
世の中にある所謂「偽書」というものも、こういった「歴史の権威」を利用している所があると思う。
つまり「この神社の由来」とか「この一族の由来」なんかを、古い記録として偽造する偽書のたぐいだ。
巨大な支配層から宗教、一族、個人に至るまで「歴史」を悪用しようとする人間は少なからず存在するのだ。
「歴史的な事実」の探究のために、その記録や歴史書を読む際「その歴史家を研究せねばならない」のは、それがしばしば権力者に利用されてきたという「歴史的事実」があるからに他ならないだろう。
<3章:歴史と科学と道徳>
「はたして歴史学は科学か否か?」――という問題は、社会科学の分野ではイヤというほど耳にする疑問であろう。
特に思うのは、19世紀になってからこの「科学か否か?」という考え方というのは、あらゆる分野に広がった問題だったという事である。19世紀という時代では、様々な学問が、自ら科学である事にたいへんこだわっていたと言えるだろう。
昨年、概論書を少しだけ齧った言語学についても、19世紀近代の言語学者は「科学」である事に非常にこだわった。
そのためにインド・ヨーロッパ語圏の語彙変化について「〇〇の法則」と呼べるものが次々に発見された事を受け、近代言語学の学会は非常に沸き立ったのである。「言語学は遂に"科学"と呼ぶに相応しい成果をあげたのだ」と。
これは言語学に限った事ではなく、他の分野でも厳しく「〇〇学は果たして科学か否か?」という問題は厳しく問われていた事であり、それぞれの分野で「科学」たらんとする姿勢というものが重要視されてきた。
歴史学の場合も同じく19世紀まではいわゆる「法則」的なものも存在していた。
それが例えばヘーゲルのいう「理性の奸計」でったり、マルクスのいう「唯物史観」であったりするのである。
特に自然科学の分野が科学技術や科学文明を大きく進歩させたという点で、これほどヨーロッパで「科学」がもてはやされた時代もなかっただろう。
だが、そういった考え方も20世紀に入り、ヨーロッパが二度の世界大戦を経験すると、変化が訪れる事となる。
著者も「十八世紀や十九世紀の科学者たちが一般に法則を信じていたような意味では、もう誰も法則の存在を信じてはおりません(本書P.83)」と書いているように、少なくとも歴史学の分野では、現在はもう「法則」などといった言葉を使って「科学」たらんとしよう、等という意識は薄れているようである。
これは何も歴史学のみの趨勢ではなく、多かれ少なかれ「科学」と呼ばれる分野には広くあてはまる傾向なのだろう。
では、そういった現代的な「科学」の考え方をも踏まえた上で、それでも歴史学は「科学」と言えるのか?――著者は、それでもやはり歴史学は「科学」である、と結論付けている。
逆に、「歴史学やその他の社会科学を称して「科学」であると主張するのは誤解を招く」と主張する人々は、何を以てして歴史学を科学として見る事に疑問を持つのか。著者は凡そ次のような観点からの主張だろうとしている。
(1)歴史は主として特殊的なものを取り扱うのに反して、科学は一般的なものを取り扱う。
(2)歴史は何の教訓も与えない。
(3)歴史は予見することが出来ない。
(4)人間が自己を観察するのであるから、歴史はどうしても主観的になる。
(5)科学と違って、歴史は宗教上および道徳上の問題を含む。
本書ではこれらの主張に、一つずつ著者が反駁を加えて「だからこそ歴史学は科学である」と結論付けているが、こういった反対意見を紹介して議論を深めている所が、本書をより面白くしている部分だと思う。
詳しい内容は是非とも直接本書に当たってもらいたいと思うが、ぼくが特に面白い議論だと思ったのは(1)の「歴史は主として特殊的なものを取り扱うのに反して、科学は一般的なものを取り扱う」というテーマだろう。
これは、歴史的な事件というものは、歴史上一回しか起こらない「特殊な事件」だからこそ、特別に取り上げられているものであるからして、その「特殊事例」を採り上げている以上、それを一般的・普遍的な事物を扱う「科学」と同列のものとは言えないのではないのか?という問題である。
それに対して著者は「科学者も同じことですが、歴史家は既に言葉を使うことによって一般化を運命づけられているのです(本書P.90)」と反論している。
これは言われてみれば確かにそうだと納得せざるを得ない。
著者は「歴史は特殊的なものと一般的なものとの関係を問題にします(本書P.93)」という。
歴史はヘーゲルの「理性の奸計」やマルクスの「唯物史観」のような法則性に則って流れているわけではない。だからこそ、個々の事件は「特殊的」であるのは当然としても、それらの事件がそれぞれ全てまったく関係のない散文的な事件であるという事でもない。
「理性の奸計」のような「超歴史的法則」がないからこそ、人間は個々の事件を一般化し、一般化する事によって何かしらその中から意味や教訓を汲み取ろうとする、そういう取り組みこそが「歴史」であって、散文的な事件の羅列が「歴史」なのではない、という事なのである。
<4章:歴史における因果関係>
著者は「歴史の研究は原因の研究(本書P.127」と言っている。
本書では、こういった微妙な問題に対してはっきりと答えを言ってくれているのが初学者としてはありがたい部分でもある(もちろん、これも20世紀イギリスの一歴史家の見解でしかない、という事は念頭に置いておきたい)。
考えてみれば、歴史の研究において「原因の研究」というのも一筋縄ではいかない問題だ。(こういう「原因の研究というものが、いかに重要で、いかに一筋縄ではいかないか」という事に気付かせてくれる点も、この手の概論書の利点だろう)
というのも、「2章:社会と個人」でも言及した様に、「歴史というのはシンプルなシステムに還元する事のできない言わば複雑系」のようなものだからだ。
歴史はそういった複雑なものだからこそ、歴史学が「歴史的事実」を多く収集していくほどに、多くの歴史上の「なぜ?」の原因に関わりそうな素材が集まってくる。
逆に、歴史の素人ほど「歴史上の事件が起こった原因は〇〇だ」とシンプルな答えを求めがぢになるのだろう。
そうではなく、歴史家は一つの事件に対して普通、考えられる原因を複数集めてくるのである。歴史家というのは、多くの「原因」を取り扱うものだからである。
しかし、そこからが、専門家の本当の問題になってくるのである。
原因は複数あり、全ては複雑に絡まり合っていてどれも権利上同等の原因であり、ゆえに決定的な原因などはないのである――と言ってしまう事は、実は簡単な事なのだ。
「決定的な原因などはない」と言ってしまう事に問題があるとすれば、それは「歴史的事件はコントロール不能である」と言ってるも同然だからだ。
歴史的事件における様々な原因は、更なる分析にかけられる必要があるのである。
何故なら、そこで原因の一般化を行わなければ、歴史から有効な教訓は得られないからである。
歴史が科学的な視点を持っていると主張しえているのは、自然科学が自然の中の法則を見出して自然をコントロールするためにあるのと同じように、歴史の中から何かしら有効な教訓を抽出する所にある。
歴史的事件に関する多くの原因と考えられるもののリストを作り上げた歴史家が次にする事は「このリストを秩序づけよう、諸原因相互の関係を整理するようなある上下関係を設定しよう、出来れば、いかなる原因を、いかなる種類の原因を――歴史家の好きな言葉で申しますと――「究極において」、あるいは、「結局のところ」、究極原因と見るべきか、あらゆる原因の中の原因と見るべきかを決定しよう(P.131-132)」という仕事なのである。
物事の原因を、シンプルな一つの原因に還元してしまうというのは、無学な素人がやりがちな、単純な間違いである。
かといって、物事の原因を、権利上同等な複数の諸原因の集まりとして終わらせてしまう事も、間違いなのである。――単なる「素材の羅列」では、意味がないのだ。上にも述べたように、素材が自らものを語るという事はないからだ。
だからこそそこに、歴史家による「解釈」を介入させる必要性が出てくるのである。
歴史上の事件における「本当の原因」などというものは、「歴史における客観的な視点人物」ではない歴史家が把握できるものではない。が、それでもあえてその多くの「原因」の中に入り込んで序列を作り、一貫した流れを見出し、「その歴史家なりの解釈」を入れなければ意味がない――それが歴史家の仕事であり、それが「現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」をするという事の意味なのである。
<5章:進歩としての歴史>
この章の冒頭に、著者はイギリスの歴史家F・M・パウィックの次のような言葉を引用している。
「ミスティシズム」というのは、言わば神秘主義の事である。
歴史を神秘主義的に見るという事は、歴史というものが何か超歴史的な法則を以てして動いているといったような――例えば神の手によって動いているとか、ヘーゲルが言うような「理性の奸計」によって動いている、といったような――考え方で見るという事でもある。
キリスト教的な、歴史にはスタートとゴールがあるといったような目的論的歴史観も、ミスティシズムの内に入るだろう。
また、「シニシズム」とは冷笑的なスタンスをとる冷笑主義的な事を言う。
例えば、歴史はあらゆる原因の絡まった複雑系だからこそ、そこから意味を読み取ろうなんて事は不可能だ、歴史から未来の予測をたてよう等という行為はムダな事なのだ、といったシニカルな態度がこれに当て嵌まるだろう。
あるいは、歴史から教訓など生まれない、そもそも歴史などというものには何の意味もないのだ――という虚無主義的な態度もこの内に入るだろう。
こういったスタンスに陥ってしまうと、そもそも歴史などという学問を研究する意味さえもなくなってしまう。
だからこそ、そこに「建設的な見解」が必要で、更に著者は「歴史における判断の基準は(略)「最も役に立つもの」ということになります(P.190)」とさえ言っているのである。
著者によればイギリスの歴史家ジョン・アクトンは、歴史とは「進歩する科学」と言い、「歴史」とは人類の進歩の歴史である事を前提としている、という当時のイギリスの歴史学の考え方を紹介している。
ここで言う「進歩」というのは、上にも引用したように「獲得された資産の伝達を基礎とする」ものであって、歴史学で言うなら歴史的事実の記録であり、その中から得られる「最も役に立つもの」の伝達だと言えるだろう。
そう言った意味で、著者はシニシズムには反対の立場に立つし、歴史家の解釈は「役に立つもの」が得られるか否かというスタンスでなければならないと主張しているわけである。
無論、歴史とは明るい進歩ばかりの歴史が続いていたのではなく、「退歩」や「退化」と呼べる状況も多く見られた。それぞれの事件が「進歩」という流れによって一方向に絶え間なく流れているわけではない。
歴史というものは決して意味のある連続体ではなく、時間的にも空間的にも連続した明確な進歩の流れというものがあるわけでもない。その多くは非連続的で、散文的で、しばしば断片的で、明確な因果の流れなど見えるものではない。
だが、そこに意味の流れを見出すのが歴史家の「解釈」であって、だからこそ歴史は「現在と過去との対話である」――という著者のメインテーゼが出てくるわけなのだ。
<6章:広がる地平線>
歴史が、著者の言うように「現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」を続けなければならないという事は、歴史が未だ「現在進行形」であるからに外ならない。
今も、おそらく構成の歴史家から「歴史的事件」に認定される事件というものは世界中で発生しているはずで――だからこそ歴史というものは日々絶えず状況を変え進行して行っているのである。
また、時代によって歴史家の「見方」というものも、否応なく変化させられてしまうものだ。
著者が例にとっているように、19世紀は思想的にヘーゲルが絶大な影響力を示したし、20世紀に入ればマルクスが「唯物史観」を提示し、「マルクス主義的な歴史観」という「見方」が産まれる事となった。
何より、ぼくが昨今ヨーロッパの様々な学問に関す文献を読み漁っていて実感するのは、20世紀初頭の二度にわたる世界大戦の経験が、特に西ヨーロッパに与えた影響というのは、絶大だったという事だろう。
この辺りの事情は、今後この前後の歴史書を読み比べて実感してみたい所である。
ぼくは以前、ヘーゲルの『歴史哲学講義』を読んだ際に「自信満々なヨーロッパ」の時代の自己意識というものに触れる事が出来たと思ったものである。
科学文明がいかにヨーロッパの生活状況を変化させたのか、世界中に植民地を作り、宗教や文化や科学技術を南半球に導入させ、いかに自らの優位性を誇っていたのかという「ヨーロッパの自信」というのが、当時いかに西洋世界に溢れていたのかというのが良く分かったものだ。
例えばヘーゲルにとってみれば、アフリカや南米がヨーロッパ諸国にいいように蹂躙され征服されてしまったのは「文明を進歩させる努力を怠ったせいだ」……といったような見方だったのである。
そういった、かつての「世界の中心」であったヨーロッパが、二次大戦の後は無残にも東側と西側に分断され、アメリカとソ連という、巨大な覇権国家の睨み合いに挟まれた一地方になり下がってしまった。
こういった情況の変化というのは「歴史」の見方にも当然影響してくるわけで、西ヨーロッパはかつての自信を喪失し、態度を改めねばならなかったわけである。
歴史観が変わるのは戦争や紛争などの具体的な事件だけではない。
20世紀に入ってからはグローバル経済が世界を連動させる事になったし、TVやITといった世界規模の情報ネットワークも、人々の考え方や見方を飛躍的に拡大させた。
科学技術というものも、人々の見方や考え方を変化させ、拡大させるものだ。
歴史というものはこのように日々絶え間なく動いているものだし、それを「解釈」する人間のほうの見方や意識や知識も、日々変化し広がり続けているのである。
歴史に普遍的な見方が存在しえないというのは、こういう事情がある。
過去というものは日々次々に詰みあがっていくものだし、未来というものも、詰みあがっていく過去にあわせて状況を変えていくものだ。
歴史家の営為である「現在と過去との間の対話」が「尽きることを知らぬ対話」でなければならない理由とは、そういう所にあるのだろう。
<結語>
……という事で、いささか引用が多くなってしまったが、今回の読書で、ぼくの中では「歴史」に対するイメージというのはだいぶ固まってきたと思う。
ぼくとしては歴史学のスタンスとして以前から最も気になっていたのは、1章のテーマである「歴史家と事実」であった。
果たして歴史家にとって「歴史的な事実」の扱いをどの程度重要視しているのかというのが疑問だったのである。
現代的な「歴史学」とは、「歴史的な事実」の正確さを追求する事のみを求めるからこそ「科学」というスタンスをとっているのか、それとも「歴史的な事実」を踏まえて流れとしての歴史を編む事のほうが、歴史家の使命としては重要なのか。
本書でE・H・カーは「事実」と「歴史」の関係性を魚屋に例えていたのが印象的で、説明されてみれば、確かにと非常に納得がいったのである。
「歴史的事実」とは魚屋に並べられる魚のようなもので、それだけを以てして「料理」とは言えないし、魚が並べられているだけでは、我々のおなかを満腹にさせる事はできない。
魚屋に並べられている魚は、お料理されてこそ、やっとわれわれのお腹を満たす事が出来るものに変化するのである。
例えば、保元の乱が正確に西暦何年の何月に発生したのか、平治の乱の内容が正確にはどういった内容のものだったのか、といった事実をいかに正確に把握したとしても、それは素材を揃えた、という事に過ぎず、それをどういう文脈で捉えどう解釈するかという視点が入ってこそ「歴史」というものになっていく。
「素材」が無ければそれを料理する事はできず、素材が意味を持つ事もない。しかし、素材がゴロッと転がっているだけでもそれは「料理」ではなく、それが我々の役に立つ事はない。――両方が必要で、両方が揃ってこその「歴史」が成立する、というわけだ。
そして、ぼくとしては「歴史学」と「歴史哲学」との違いについて、自分なりのだいたいの目安ができたという事は大きかったと思う。今回の場合は、とにかく「歴史学」の範囲が理解できたという事が大きかった。
ぼくにとって「歴史」から得られる教訓というのは、思想的には「現代という時代特有の常識的な見方」というものを相対化してくれる意味があった(無論、それだけではないが)。
言わば「時代的な外部から、自らの常識を相対化する視点」という意味で興味があったのである。
以前読んだ本で日本中世史家の網野善彦は、日本人が「日本では伝統的に〇〇だった」と言った場合の「伝統」というものは、遡ってもせいぜい江戸時代くらいまでしか遡れない、それ以前の中世以前の日本というのは、今の常識からはだいぶ違った常識があった、というような事を書いていたのが印象に残っている。
「現代とは違ったパースペクティブ」を知るという事も、思想的には重要な事だ。
上に引用した様に「科学は「多様性および複雑性に向かって」、「統一性および単純性に向かって」同時的に進むもの」だという。
科学や歴史と同じように、思想に関してもシンプルな法則に則った単純な見方で全てが説明できると考えるのは素人考えで、現実は常に複雑でカオスなのである。だから、多視点的な考えと多用なスタンスを理解しながらも、その中から「統一性および単純性に向かって」考えなければならないのだ。
ぼくが昨年、言語学をかじり、今回の様に歴史学の概念を理解しようと思っているのも、そういった「自分とは違った視点を獲得する」という事の一環に外ならない。
そういったわけで、「歴史」の専門家というのはどういった考え方をしているのか、という事は以前から気になっていた事なのだ。
本書の見解はあくまで1961年時点でのイギリスのいち歴史家の見解でしかないわけだが、そうであっても歴史家の原論を踏まえておくという事は重要だ。
手がかり、足がかりが何もない状態と、例え時代が古かったとしても何かしらの足がかりになるものがあるという状態では、やはり差は大きい。
「他人の意見」というものはいつだって自分の視点とは違ったスタンスを教えてくれるという意味で意義深いものだと思うのだ。
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