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企業の「本源的価値」を巡る三大革命(2)

前回のあらすじ
企業に本源的価値という「絶対的な真実」は存在するかー。歴史上初めて株式の本源的価値の公式を明らかにしたWilliamsは「株式価値とは企業が将来生み出す配当の期待値を、投資家の期待収益率によって割り引いた現在価値である」と主張した。それにより配当の源泉となる損益会計が、企業価値評価に決定的意味を持つに至ったが、それは同時に、歴史的文脈や作成者の意図と本質的に不可分な会計によって映し出される企業価値もまた絶対的ではなく「相対的な真実」だということを意味していた。前回はこちら。


第二の革命:企業価値の「支配者」

「賭博」から「科学」へ

Williamsが1938年に示した、株式の本源的価値を表す公式―現在の配当割引モデルーによって、株式の投資理論が初めて学問として確立されたと言われる。その後、数々の数理ファイナンス理論が発展することになるが、その特徴は、高度に洗練された数学や統計学を用いた「科学的」な手法にある。その後の株式投資、ひいては企業「価値観」に大きな影響を与えることになる主要な理論は以下の通りである。

現代ポートフォリオ理論:複数株投資の「科学」
Williamsが示した公式は個別企業の株式価値を解明したものであったが、投資家は通常複数の銘柄に投資することから、ポートフォリオ全体の投資価値を考慮する必要があった。1952年、Harry Markowitzは個別株式のリターンを平均値$${E[r_i]}$$と分散$${\sigma_i}$$で評価し、さらにリターンの確率分布が正規分布に従う仮定の下で、複数銘柄に投資するポートフォリオのリターン$${E[r_p]}$$とリスク$${\sigma_p}$$が以下の式で表されることを示した。
個別株投資とポートフォリオ投資の重要な差異は、ポートフォリオの個別銘柄間のリターンの関係を共分散$${\sigma_{ij}}$$で表すことで、読みが的中した銘柄とそうでない銘柄でリスクが相殺され、個別株投資より少ないリスクでより高い期待リターンを追求できる点である。この現代ポートフォリオ理論が、その後の投資理論と実務を飛躍的に発展させることになる。

$${E[r_p]=\sum\limits_{i=1}^Nx_iE[r_i]}$$、$${\sigma_p^2=\sum\limits_{i=1}^Nx_i^2\sigma_i^2+\sum\limits_{i=1}^N\sum\limits_{\substack{j=1 \\ j≠i}}^Nx_ix_j\sigma_{ij}}$$

Harry Markowitz(1927-2023)と現代ポートフォリオ理論

資本資産価格モデル(CAPM):割引率の「科学」
Markowitzのモデルは、組み入れる銘柄の個別期待リターンや個別銘柄間の共分散を計算するため、銘柄数の増加と共に計算量が膨大となるという実務上の問題を抱えていた。こうした状況に対して、1964年にWilliam Sharpは個別銘柄間の関係を共分散ではなく、市場全体のリターンとの関係で捉えられるとの発想から次の資本資産価格モデル(Capital Asset Pricing Model; CAPM)を開発し、大規模なポートフォリオ投資にも理論の適用を可能にした。
CAPMでは個別株のリターン$${E[r_i]}$$を、無リスク利子率$${r_f}$$、ベータ$${β_{iM}}$$(市場の期待リターンに対する感応度)、市場の期待リターン$${E[r_M]}$$によって表現する。企業価値評価の実務でも、企業が生み出す将来配当を割り引くための「投資家が期待する利子率」を算出するにあたり、CAPMが主要な方法の一つとして用いられるに至っている。

$${E[r_i]=r_f+β_{iM}\big(E[r_M]-r_f\big)}$$

Willliam Sharp(1934-)と資本資産価格モデル

Modigliani-Millerの定理:企業財務の「科学」
投資家が期待する利子率すなわち期待収益率は、投資家の反対側にいる株式の発行体である企業の視点では株式発行に伴う株主資本コストと解釈でき、負債調達コストである金利と合わせて資本コストと総称される。MarkowitzやSharpが投資家のポートフォリオ投資の問題に取り組んでいた頃、ModiglianiとMillerは企業の立場から、より有利な資本コストが得られる負債と株主資本の最適な構成比率に関する研究を行っていた。それまでの企業財務論は、主として企業が発行する社債や株式に関する制度論的考察もしくは財務諸表から計算される財務諸比率の分析などが中心だったが、経済学的な視点から考察を行い、1958年に「どのような企業の市場価値も、その資本構成や配当政策とは無関係である」という革新的な命題を提示するに至った。
続けてModiglianiとMillerは考察を進め、「企業全体の収益率は、株式に対する期待収益率$${r_E}$$と負債に対する期待収益率(つまり金利)$${r_D}$$の荷重平均資本コスト(Weighted-Average Capital Cost; WACC)$${r_{WACC}}$$に等しい」という命題を導き出した。このWACCの概念は、今日の企業価値評価の実務において、株式価値と負債価値の総和に対して適用する割引率という重要な意味を持つものになっている。さらに「配当政策は企業価値$${V}$$に影響を与えない」とする配当無関連性命題は、「将来配当の割引現在価値こそが株式の価値を決める」とする配当割引モデルを真っ向から否定する内容となっており、命題とモデルの整合性をどう理解するかもその後の大きな論点となった。

$${r_{WACC}=\dfrac{E}{E+D}r_E+\dfrac{D}{E+D}r_D}$$

$${V_{t-1}=\dfrac{V_t+X_t-I_t}{1+r}}$$

Franco Modigliani(1918-2003)、Merton Miller(1923-2000)とMM定理

Black-Scholesモデル:オプション理論の「科学」
オプションとは、特定の資産を将来の一時点において予め定められた価格で売買する権利を指す。オプションは古代ギリシア時代にも見られた非常に歴史の深い取引だが、その価値をどのように求めるかは長らく解明されてこなかった。こうした中、1973年にFischer BlackとMyron Scholesは、それまでに発展を遂げたファイナンス理論を基礎に極めて高度な数学を用いてオプション価格算定式を導出することに成功した。このBlack-Scholesモデルは、オプションと同じリターンを生む安全資産(借入)と原資産(株式)の組み合わせから構成されるポートフォリオの価値からオプション価格を導くものである。
この理論はオプション価格の算定のみならず、企業価値評価の文脈でも重要であることが認識されるようになった。株式は全ての負債を支払い終えた後の企業価値の残余請求権と見なせることから、一種のコール・オプションと捉えられる。企業価値の予想値とその実現可能性(リスク)、負債金額とその償還期限などのパラメータを特定すれば、モデルが株式価値を算出することは理論的には可能となった。

上記のような認識は、他のファイナンス理論が明らかにしてきたことと併せて、企業は具体的な数値によって客観的に把握することが可能な存在であるとの見方を強めることとなり、企業財務論の更なる展開に大きな役割を果たし、企業会計の在り方にも多大な影響を与えることになった。

$${C=S\cdot N(d_1)-K\cdot e^{-r_fT}\cdot N(d_2)}$$
$${P=-S\cdot N(-d_1)-K\cdot e^{-r_fT}\cdot N(-d_2)}$$

但し、$${d_1=\dfrac{\text{ln}(S/K)+[r_f+(1/2)\sigma^2]T}{\sigma \sqrt{t}}}$$、$${d_2=d_1-\sigma\sqrt{T}}$$

Fischer Black(1938-1995)、Myron Scholes(1941-)とBlack-Scholesモデル

最も洗練された「エレガントな理論体系」

20世紀後半に急速な発展を見せたファイナンス理論は、金融・資本市場を科学的に分析し、金融資産の価格メカニズムを理論的に解明することに成功し、投資家による合理的な活動実践をも可能にした。

また同時にこうした知見は、企業における事業のリスクとリターンを科学的に評価することを可能にし、企業はただ規模の拡大や利益の最大化を目指すだけでは十分ではなく、資本コストを踏まえた企業内の効率的な資本配分や合理的な意思決定の指針が形成されるなど、「企業が本当の意味で目指すべきことは何なのか」に関する深い洞察をも与えることとなった。

このように急速に発展を遂げたファイナンス理論は、経済学の応用分野の一つとして成立したものだった。特に、効用を最大化する合理的な個人を想定した、新古典派経済学の発想を基礎に生み出されたものであった。かくして構築されたファイナンス理論は、「エレガントな理論体系」を有し、「社会科学の中で最も洗練され、最も高度に発達した分野」と評されるに至った。

ファイナンス理論による会計の「支配」

経済のグローバル化や実物経済から金融経済への転換といった環境の激変と共に、伝統的な原価=実現アプローチに基づく計算メカニズムに基づく会計情報の有用性低下が指摘される中、先進的で高度な理論体系を持つファイナンス理論が、会計の在り方に強い影響を与え、遂にはその「支配下」に置くようになるのに、多くの時間はかからなかった―。

ファイナンス理論の発展は事業のリスクとリターンや企業価値への洞察を深めるに留まらず、企業そのものの見方を大きく変えるに至った。これまでのゴーイング・コンサーン(継続企業の前提)としての組織体とする伝統的な見方に替わり、投資プロジェクトの集合体としての見解が急速に広がった。国境をまたぐM&Aなどの積極化に伴い、投資意思決定の観点からは「利益」よりも企業や事業の「価値」を評価することが重視されるようになった。またその評価自体も市場価値によるべきであり、直接観察できなければ、ファイナンス理論に基づき算出したものが妥当であると考えられるようになった。

従来の企業会計においては、総資産額が企業価値を表してはおらず、会計上の簿価と経済的な価値との間に、直接的な関係はなかった。そうした状況下で、従来の会計の形式的な枠組みを基礎として、ファイナンス理論を取り込み時代に即した有用な情報を提供し得る会計への変革が企てられた。

新古典派の市場原理に立脚するファイナンス理論によれば、企業が保有する全ての資産、負債を市場価値、すなわち公正価値で評価すれば、そこで示される総資産額は企業価値を表し、純資産額は株主資本価値を表すことになる。このため、従来の取得原価ベースで作成された貸借対照表が不完全であり、公正価値評価された貸借対照表は完全であるとされる。このような背景から、「世界共通の会計基準」を目指して作成されている国際会計基準は、金融資産に留まらず、実物資産まで公正価値評価の対象としている。

国際会計基準による公正価値の測定方法
PwCあらた有限責任監査法人『IFRSを開示で読み解く(第37回)「公正価値測定」①概要』

前回の議論の通り、Williamsが企業の株式価値のよりどころを配当に求めた結果、その配当の源泉となる損益会計、つまり会計のフロー面が企業価値の本質的意味を持っていた。それに対し、公正価値評価の重要性の高まりに対応し、次第に資産や負債といったストック面から企業を捉えることが重視されるようになり、その結果、一期間の事業活動の成果としての損益を算定する損益計算書の存在感が希薄化する一方、ある時点に企業が保有する資産や負債の価値を算定する貸借対照表は単独でも投資家にとって有用なものと捉えられるようになった。こうして「利益をまず定義し、利益を積み上げた結果が純資産である」という収益・費用アプローチから「資産と負債をまず定義し、期首と期末の資産・負債の公正価値の増減で利益を測定する」という資産・負債アプローチへの会計パラダイムの大転換が図られたのであった。

再び前回の議論に戻るが、そこでは企業価値評価に決定的な意味を持つ会計技術が、歴史的な文脈や作成者すなわち経営者の意図と本質的に不可分な「記録された事実と会計上の慣行と個人的判断の総合的表現」であると結論付けた。これは伝統的な会計では、①上述の指摘の通り保有資産の簿価は過去の事実であり現在の価値を反映していない点、②一つの取引に対して複数の会計処理基準が存在する点、③収益と費用の対応に経営者の恣意が入り込む余地があり、利益額の操作が容易に行われ得る点、といった問題点をはらむことを意味している。そこに新時代が到来し「エレガントな数式によって、唯一の誰にとっても正しい資産の公正価値算定を可能とするファイナンス理論」と比較した従来の会計の在り方が、いかに原始的なものであったかが強く意識されるに至ったのである。

かくしてファイナンス理論が会計の在り方に干渉し、市場価値という客観的な指標を基準とし、会計数値の操作可能性を排除すると同時に、会計情報の目的適合性を回復させることによって、遂には会計を支配するに至った。
これは、企業の本源的価値が、会計という人間的な営みに根差した「相対的な真実」とするWilliamsの時代の企業「価値観」から、市場原理に基づく唯一の「絶対的な真実」である公正価値こそが企業の本源的価値に他ならない、とする新たな企業「価値観」への変容を意味するものである。これはあたかも人間が発見し形作ってきた企業の本源的価値が、市場原理という普遍の法則を司る「見えざる手」によって掌握されたようである。
Williamsの「現在価値革命」に続く、この革命的な企業「価値観」の変容を「公正価値革命」と名付けよう。

このような高度なファイナンス理論の発達により、第一に「株式の本源的価値が将来配当の割引現在価値である」というWilliamsの配当割引モデルの発想自体が、配当無関連命題との不整合という強烈な試練に直面することとなり、第二にそのモデルに用いられる期待収益率の推定にCAPMが用いられ、また配当の源泉となる利益が資産・負債の公正価値の増減として再定義されたことで、モデルやそれが立脚する企業会計の映し出す世界観が180度変容を遂げた、という訳である。

ファイナンス理論は企業の「真実」を映し出すか?

ファイナンス理論の発展とそれによる企業「価値観」の変容の歴史を概観したが、果たして我々はこれで企業の本源的価値という「絶対的な真実」に辿り着いたと言えるのだろうか?

結論から言えば、ファイナンス理論を巡る各領域における功罪議論と全く同様に、この理論に立脚した企業価値を絶対視することは、危険と言わざるを得ない。ここで思い出されるのは、2007年の世界金融危機の発端と指摘された金融工学技術への批判が集中した2009年、長年クオンツ養成に尽力してきたWilmottとクオンツの第一人者Dermanという内部者による金融界への批判的指摘である『フィナンシャル・モデラー宣言』の一節であろう。

物理学は、物質が現在の状態から将来どのように振舞うかを驚くほど正確に予想することができたため、ほとんどの金融モデルの設計者を触発した。

しかし、金融や経済では貨幣価値に対する心理的要素が関係するため、話が違ってくる。金融理論は、その独自の法則を発見するために、物理学のスタイルやエレガントさを熱心に模倣してきた。しかし、市場は人間が作るものであり、人間は事象に対する一時的な感情や他の人間の感情に対する期待という形で色々な事象の影響を受ける。本当のところは、金融には基本的法則は存在しないのだ。そして、もし仮に法則があったとしても、再現可能な実験として立証する手立てはない。

われわれは、モデルと数学を必要とする―それらなしのファイナンスや経済は考えられない―しかしながら、モデルが現実の世界ではないことを決して忘れてはならない。(中略)美しさと精密さのために部品を切り落とすことで、モデルは必然的に本当のリスクを暴くどころか目隠しすることになる

ファイナンス・モデルの作成はチャレンジングでやりがいがある仕事である;定性的と定量的、想像力と観察力、アートと科学の結合が要求され、それらの全てが市場や証券の振る舞いの近似的なパターンを探し出すことに役に立つ。最大の危険は昔からの過ちである偶像崇拝である。金融市場は生き物であるが、モデルは、たとえどんなに美しくても人造品である。どんなに努力しても、そこに命を吹き込むことはできないモデルと現実の世界を取り違えることは、人間が数学的なルールに従うという考えによって導かれる将来の惨事を招き入れることになる

Derman and Wilmott, The Financial Modelers' Manifesto(2009)
Paul Wilmott(1959-)、Emanuel Derman(1945-)とThe Financial Modelers' Manifesto

企業価値評価におけるファイナンス理論の席巻も、上記と同種の問題を孕んでいる。ここでは、ファイナンス理論による伝統的会計の支配の是非を巡る主要論点を概観することで、ファイナンス理論が築き上げた株式の本源的価値の「絶対的な真実」が見落としてきたものが何かを整理する。

市場の効率性に関する矛盾
ファイナンス理論が成り立つ前提には、その対象である金融・資本市場が情報に対して効率的であることが想定されており、このことが会計とファイナンス理論を結び付けている。これは開示された情報が瞬時に投資家に正確に織り込まれ、株価や資産価格に反映されることを前提とするものだが、この前提自体に内在する疑問点や矛盾は以下の通りである。

  • 理論が仮定するような情報効率性が非現実的で、説明不能なアノマリーも検出されており、会計支配の理論的根拠はそれほど確かなものではない

  • 情報効率性は情報の中身については言及していないため、将来配当の適切な予想を可能にする情報であれば問題ない。仮に公正価値情報がその目的に最有力だったとしても、他の情報の有用性を排除するものではない

  • 伝統的な会計情報自体も企業価値評価に十分有用である。財務諸表本体以外の、(公正価値評価の文脈で捨象された)注記や追加情報を通じて、投資家は多くの有用な情報を得ることができる

  • 公正価値評価拡大の背景には、直接企業価値そのものを伝達することにより投資意思決定に対する有用性を強化する狙いがある。これは情報を咀嚼できない投資家の合理的行動を促し、情報効率性の促進を企図しているが、この想定自体が市場を効率的とする理論の前提に矛盾する

会計の二つの機能とその関係に関する錯誤
第二の論点は、会計の機能に関するものである。財務会計には、次の2つの機能が存在すると言われる。

  1. 情報提供機能:企業の現状を利害関係者に報告する機能。企業の財政状態や経営成績は、投資意思決定の重要な判断材料となる

  2. 利害調整機能:利害関係者に配当計画などを公開し、利害対立の調整を図る機能。債権者に対する支払利息、国に対する支払法人税、株主に対する支払配当金などの利益の配分を明確化する

これら2つの機能は、その志向性、これに基づく資産などの評価基準、利益算定のアプローチの観点で対比すると、以下の通り対照的である。

財務会計の2つの機能

ファイナンス理論による会計支配は、当然ながら前者に立つものである。この前者への過度な傾倒により、会計情報の利用者の中でも投資家のみに対象を絞り込み、投資意思決定有用性の観点から他方の利害調整機能を無視し、結果としてこれを排除する方向で進められてきた、との指摘がある。この観点での主要論点は、次の通りである。

  • 相互依存の高いグローバルな資本市場が形成され、これを機能させるために投資家に有用な情報を提供できる体制を構築することが世界的にも第一優先事項であるとの認識があると思われる

  • 翻って各国の経済的状況や法制度などの制約を受ける税制や配当規制に関連した利害調整機能については後回しにされ、帳尻合わせが行われている結果となっている

  • 企業経営者が自らの受託責任を果たすための経営活動の記録という観点で、公正価値を用いて資産や負債を評価することによって作成される会計情報は、経営実務にあたる経営者の感覚から大きく乖離したものである

このようにファイナンス理論に全面依拠した企業「価値観」の形成は非常に危険である、との警鐘を鳴らす必要がある一方で、そもそも支配される至った従来の会計理論に内在する構造的課題を見直し、会計の「アイデンティティ喪失の危機」にいかなる答えを導き出すか、ファイナンス理論のみならず会計理論にとっても、まさに真価が問われる局面である。

求められるのは、次なるパラダイムシフト

かくして企業の「本源的価値」を巡る我々の旅は、激動の歴史を辿るに至っている。Williamsが発見した配当割引モデルをベースとしつつ、会計の人間的・総合的側面を重視した収益・費用アプローチに基づく「相対的な真実」を見出すとされた「現在価値革命」、それに続くファイナンス理論の科学的・客観的側面を重視した資産・負債アプローチに基づく「絶対的な真実」を見出すとされた「公正価値革命」を概観した。
両者とも優れた特徴と内在するリスクがあるという点で一長一短である。前項の通り両者の会計アプローチは正反対とも言える関係だが、企業価値分析において、両者の特徴を兼ね備えられる、そんな総合的な視点を伴ったパラダイムシフトは、望むべくもないのだろうか…?

次回へ続く。

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