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企業の「本源的価値」を巡る三大革命(1)

企業の本源的価値とは何か。我々はそこにあると信じた価値を、いかに「発見」し、「形作って」きたのか。今日の投資・経営実務でなじみ深い数々の分析手法が編み出されてきた歴史を紐解くことで、我々の企業「価値観」がいかに形成されてきたのかを探訪したい。


革命前夜:その価値は、砂上の楼閣か?

企業には「本源的(ファンダメンタル)価値」と呼ばれる絶対的な価値が存在し、それは現状分析と将来予測を注意深く行うことによって推定することができる。そして、ある企業の株価がこの本源的価値を下回れば「買い」、上回れば「売り」の機会と考える。なぜならこの一時的な割安・割高状態はいずれ修正され、株価はその本源的価値に収斂するためである。

今日「ファンダメンタルズ投資」として知られる企業価値評価法の最も根本的な思想は、上記のようなものだろう。これ自体は株式に限らず広い意味での資産価値評価に通ずる伝統的な価値観ではあるものの、この思想に基づきいざ投資を実行しようとすると、たちまち2つの壁にぶつかることに気づく。それは、①企業の「本源的価値」が存在する保証はどこにもないこと、②仮に存在するとして、「本源的価値」をどのように推定するかについては何も言及していないこと、である。

「本源的価値」は存在するか

究極的には「神のみぞ知る」ことなので、ファンダメンタルズ投資を行う上ではその思想が真であると「信じる」ことが大前提となっている。現在もファンダメンタルズ投資家の論点は「適正株価はいくらか」であり、「適正株価は存在するか」というそもそもの問いに立ち返ることはしない。

それに対して、そもそも「本来の株価など存在しない」と考える投資家もいる。いわゆる「砂上の楼閣」と呼ばれる考え方で、株価は見かけ、すなわち心理的側面で決まる傾向が強いと主張する。Keynesが『雇用・利子および貨幣の一般理論』の中で例えとして述べた「美人投票」の比喩が有名で、この思想に基づけば、答えるべき問いは「その株の適正価格はいくらか?」ではなく「この株を買いたがっている投資家は何人いるか?」である。
もっとも、砂上の楼閣派もその思想を「信じる」ことが大前提という意味ではファンダメンタルズ派と何も変わらず、両派閥の間には単なる「価値観の相違」が存在するだけである。

「本源的価値」をどう推定するか

投資の方法論については両派閥とも言及していないが、通常ファンダメンタルズ派は企業の利益や資本といった財務情報を重視し、その企業の成長性や安全性を評価する。一方、砂上の楼閣派は株価チャートや経済環境を手がかりに、今後買われるだろうと思われる株を予見する。19世紀以前の株式投資は、両派閥とも極めて素朴な手法に基づき行われていたと考えられる。

価値関連性研究
ところで、「財務情報がどのような意味で企業価値評価に有用か?」というテーマは現在でも「価値関連性研究」という会計学の一大研究領域となっている。投資家の視点に立てば「財務情報をどう使えばリターンを上げられるか?」が関心の的だが、その解釈は複数存在する。例えば、過去業績に基づく財務指標と株価・リターンの間に相関があるとする、最も素朴な意味での価値関連性の見方や、財務情報が開示された直後の株価の反応はある程度予測できるとする、イベントスタディ的な立場も含まれる。
今日のファンダメンタルズ分析上もっとも重要な価値関連性の解釈は「財務情報は企業の将来の業績を予想する有力な手掛かりになる」という考え方である。この解釈を価値関連性の主流派たらしめ、現在も通用する形でファンダメンタルズ派の投資評価手法を飛躍的に洗練させたのは、一冊の本がもたらした本源的価値の革命的「発見」であった。

第一の革命:本源的価値の「発見」

出費の果実とは、出費そのものを上回る金額を期待することである。その金額は複利計算によって時間とともに比例して増加するものであり、さらに、将来利益の現在価値も増加させるものである。(中略)投資家が利益獲得を期待して待つ時間が長ければ長いほど、それを埋め合わせるための期待利益はいっそう大きくなる。しかしながら、ここでの利益は確実なものではない。なぜなら、そこには時間の経過に伴うリスクが含まれるからである。

A. Marshall “Principle of Economics” (1920)

1920年、新古典派を代表する経済学者であるMarshallは論稿の中で、投資の意思決定の本質を上記のように述べた。投資のリターンにはリスクが存在し、それは時間的な経過による測定値の不確実性にある。従って、投資の意思決定に際しては予想される利益を見積もり、それにリスクを考慮した割引計算をする必要がある。

1年後の1ドルは現在のいくらか

「割引」とは将来の利益を、通常とは逆転の発想で捉える考え方である。つまり、「1年後に1ドルがいくらになるか」と考える代わりに「1年後の1ドルは現在のいくらか」と考えるということである。ここに投資の「現在価値」と「割引率」という重要な概念が生まれる。
Marshallの発想をこれらの概念を用いて説明すると「投資から将来もたらされると期待される利益に割引率を適用して現在価値を計算し、それが投資額を上回っていれば投資すべき」ということになる。ここに更に、投資家は基本的に投資によるリターンを次の投資の原資に回し、リターンがリターンを生むよう投資を行うと仮定する。これが投資の期待利益と割引率、現在価値を結ぶ関係である「複利」の概念である。

例えばある投資家が、この株に1ドル投資すれば毎年5%ずつ価値が上がるだろう、と期待しているとする。この時、現在の1ドルは1年後には$${(1+5\%)}$$ドル、2年後にはこの全額を再投資するため$${(1+5\%)(1+5\%)=(1+5\%)^2}$$ドル、同様に3年後には$${(1+5\%)^{3}}$$ドル、10年後には$${(1+5\%)^{10}≈1.63}$$ドルに増えるだろう、と期待していることになる。
複利の割引計算では、これを逆に「10年後の1.63ドルは現在の1ドル$${≈1.63/(1+5\%)^{10}}$$」と考える。さらに10年後を基準に考えると、「10年後の1ドルの現在価値は$${1/(1+5\%)^{10}≈0.61}$$ドル」となるため、現在の株価が0.61ドルよりも安ければ投資し、高ければ見送ればよい。

これらの計算手法自体は実は16世紀以前から知られており、歴史的には金銭貸借(ローン)や生命保険の数理計算に利用されていた。20世紀に入りこれらの手法が次第に企業の設備投資の意思決定、更にMarshallが言及したような金融も含めた投資全般に対する意思決定へその適用範囲を広げてきた、というのが歴史的経緯である。そんな機運の中、ついにこの理論を株式投資へ応用した画期的著作が出版されることとなる。

『投資価値の理論』

1938年、John Burr Williamsが著作『投資価値の理論』の中で示した計算式が、株式の本源的価値を計算するための歴史上初の公式とされている。

John Burr Williamsと著書『The Theory of Investment Value』(邦訳:投資価値の理論)

Williamsは投資家が株式投資に期待する価値のよりどころを「将来の配当」に求め、割引率を「投資家が求める利率(期待収益率)」と定義した。価値のよりどころを将来の収益ではなく配当に求めるのは、次の理由による。

  1. 本質的にはどちらを使っても同じである。つまり配当として支払われなかった収益が将来の配当を生み出すならば、将来の全ての配当を計算すれば全ての収益を織り込んだことになるためである

  2. 収益は投資家に配当を還元するための手段であり、株式の価値はあくまで配当から導かれるのであって収益から導かれるのではない。つまり株式には、そこから引き出せる分の価値しかないと言える

現在の株価を$${P_0}$$、1年後の株価の期待値を$${P_1}$$、配当の期待値を$${d_1}$$、投資家の期待収益率を$${r}$$とすると、現在の株価が1年後に投資家にもたらす価値を正確に反映しているとすれば、それを現在価値に割り引くことで、

$${P_0=\dfrac{d_1+P_1}{1+r}}$$

と表せる。さらに1年後の株価が2年後の株価の期待値$${P_2}$$と配当の期待値$${d_2}$$を正確に織り込んでいると考えると、上式と同様に

$${P_1=\dfrac{d_2+P_2}{1+r}}$$

と表せる。2式から$${P_1}$$を消去することで、2年後の株価と配当の期待値まで織り込んだ時の現在の株式価値は次のように評価される。

$${P_0=\dfrac{d_1}{1+r}+\dfrac{1}{1+r}\dfrac{d_2+P_2}{1+r}=\dfrac{d_1}{1+r}+\dfrac{d_2}{(1+r)^2}+\dfrac{P_2}{(1+r)^2}}$$

同様に、2年後の株価に3年後の株価の期待値と配当の期待値の現在価値を代入し、$${\cdots}$$と逐次的に代入していく。企業は永続的に存在していくと考えると(継続企業の前提)、この操作を無限期間に渡って繰り返すことができるため、無限期間に渡り配当を支払う企業の現在の株価は$${t}$$年後の配当の期待値$${d_t}$$を用いて以下のように表現できる。

$${P_0=\dfrac{d_1}{1+r}+\dfrac{d_2}{(1+r)^2}+\cdots+\dfrac{d_t}{(1+r)^t}+\cdots=\sum\limits_{t=1}^∞\dfrac{d_t}{(1+r)^t}}$$

この式こそWilliamsが示した株式の本源的価値を表す公式であり、現在も配当割引モデル(Dividend Discount Model; DDM)として知られる株式価値評価モデルである。なお、現在と1年後の価値の関係式を$${r}$$について解くと

$${r=\dfrac{d_1}{P_0}+\dfrac{P_1-P_0}{P_0}}$$

となるが、右辺第一項を期待配当利回り、第二項を期待キャピタルゲイン率と言い、DDMでは無限期間に渡る株価上昇に伴う売却益(キャピタルゲイン)も考慮されている。従ってDDMの式に配当しか出てこないからと言って、キャピタルゲインが考慮されていない、との認識は正しくない。

なお実務上は、数学的に取り扱いやすくするため無限期間に渡り配当$${d}$$が一定の成長率$${g}$$で増加し続けるという仮定を置くことで、DDMは以下のように簡略化されて用いられることも多い。

$${P_0=\dfrac{d}{r-g}}$$ (特に$${g=0}$$の時、$${P_0=\dfrac{d}{r}}$$)

かくしてWilliamsによりついに企業の本源的価値が「発見」され、それが『投資価値の理論』を通して広く世に知れ渡った訳である。この革命的発見を、企業価値評価の「現在価値革命」と呼ぶことにしよう。

会計は企業の「真実」を映し出すか?

企業の本源的価値が将来の配当に紐づけられることで、その配当の源泉となる当期利益の予想、さらにそこに至る損益会計の分析が本質的意味を持つようになり、「財務情報は企業の将来の業績を予想する有力な手掛かりになる」という前項の価値関連性の認識へと発展するのである。このように会計情報を重視する立場では、手掛かりという役割以上に「財務情報は企業の本源的価値を映し出す鏡である」といった表現の方が適切かもしれない。

ところで、このようにして推定された企業価値は「絶対的な真実」と言えるだろうか?企業価値が本源的に根を下ろす「企業会計」は、2つとして同じものは存在しない人間の集団としての企業が行う経済的行為を対象とする。その様相は場所や時間によって変化し、時代の価値観に合わせて対象を認識、測定することによって会計情報が形成される。そのような特質から、「会計上の真実性とは、歴史的な会計目的との照合によって判定されるべきものであり、絶対的なものではありえない」とされる。またそのような情報を集約した財務諸表は「記録された事実と会計上の慣行と個人的判断の総合的表現」とも評される。従って会計情報とはその作成者である経営者の「意図」を盛り込んで作り出された「相対的な真実」であると言えよう。

企業の本源的価値はこうした極めて人間的な営みに根差しており、それを評価するのもまた人間である。すなわち企業の本源的価値という「絶対的真実」を求めて辿り着いたのは、原理的な企業価値の「相対的真実」であった―これがWilliamsが我々に提示した企業「価値観」である。

次なる革命の足音

かくしてWilliamsによる現在価値の「発見」により、企業価値は形作られた。この理論を皮切りに、歴史的にも投資や企業財務に関する理解が進み、更なる理論の発展を見る。そしてその発展が、やがて次の革命を引き起こすことになる。そのアイデアはここまで培ってきた我々の企業「価値観」を一変させ、一種の「アイデンティティの危機」をももたらす程の、大きな衝撃を持って迎えられたのであった―。

―次回へ続く。

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