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さぬき
2021年11月3日 15:48
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館※替馬壇・・・かえまだん。俗称キャマダ。平泉に拠って、四囲(しい)を睥睨していた安倍貞任(あべのさだとう)を攻落した八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)は、晩秋の風に吹きさられるる木の葉のように逃ぐる安倍氏の軍勢を追って、森(御殿場)まで来ると、愛馬香月の手綱を静かに引いて留めました。※拠る・・・よる。あてにしてそれにたよる。 たよって
2021年11月3日 10:49
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館昔、面塚(めんづか、現水沢区佐倉河字下川原)に、北郷隆勝(きたごうたかかつ)という人が住んでおりました。※北郷隆勝・・・きたごうたかかつ。仙台藩家臣に名前が残されているので、その人物と考えられる。満々と水をたたえた、四米(メートル)余りの堀の内は、大樹が欝蒼と繁って、南蛮渡来という大鶏の刻を告げる声が、犬の吠えるに似た音を響かせていました
2021年10月31日 20:34
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【七章】沼は静かに女性は静かに小夜姫の前に座ると、深く頭を垂れました。そして自分はかつて、高山なる掃部(かもん)長者の妻として、栄華の生活を送っていたが、あまりの欲深と邪悪さから神仏に見放され、大蛇の苦患(くげん)を受け、この地に棲むこと実に九百九十九年、この年月のうちに眉目良き女を服すること九百九十九人なり、この度は姫君に巡り会い、未来
2021年10月31日 17:44
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【六章】姫と大蛇翌日、吉実の妻は、小夜姫があまりにも美しいので、大蛇の贄(にえ)にすることを可愛想になりました。そのことを夫吉実に話すと、吉実は顔を変えて、実は贄のことは小夜姫にはまだ話していない旨を告げました。いづれ小夜姫に話さねばならぬことなのだが、どういう風に話し出したらいいのか、そのことで疲れた割に昨夜はあまり眠っていないこと
2021年10月28日 12:47
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【五章】小夜姫【二節】筑紫はもう、春が過ぎようとしていました。博多から馬を捨てて、船に乗りました。船路は必ずしも穏やかなものばかりではありませんでした。奈良から再び陸路に変りました。しかし路銀の都合もあって、馬を雇うことはできませんでした。したがって吉実一行はもちろん、姫も硬い草履の旅でなければなりませんでした。慣れぬ
2021年10月27日 19:30
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【五章】小夜姫【一節】丁寧な挨拶をしながら破れた笠を取った小夜姫の顔を見た吉実は、アッとあやうく声を上げるところでした。顔は少し汚れて、髪も幾日も櫛(くし)づけていないらしく、麻糸の乱れを思わせるものがありました。でも澄んだ眼から鼻筋の通り、美しい桜貝を合わせたような唇など、自分の娘を見たのではないかと、いぶかったほどでした。こん
2021年10月25日 13:07
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【四章】松浦長者【三節】それから二十一日目、長者の妻の懐妊は確かなこととなり、夫婦の喜びは一方ではありませんでした。※一方ならぬ・・・ひとかたならず。並ひととおりではない。普通ではない。三月は神隠しの月、五月は彰月、九月の苦しみ、あたる十月と申し、御産の紐を解きます。※産の紐を解く・・・出産する。分娩する。十月十日(とつきとおか)
2021年10月24日 15:59
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【四章】松浦長者【二節】長谷寺への道は難渋(なんじゅう)を極めました。山あり、川あり、森や林、ことに旅慣れぬ長者の妻の苦労は痛々しいものがありました。茨に手は破れ、足は凸凹道によって豆ができ、それが破れて血が流れていました。しかし子を願う一念の前には、その苦労も物の数ではありませんでした。長谷寺に着くと、御手洗川に下りて三十三
2021年10月24日 15:00
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【四章】松浦長者【一節】第二十七代、安閑天皇の代に、九州は筑紫肥前松浦の里に、松浦長者と申す者が住んでおりました。※安閑天皇は在位531~536年。古墳時代。※筑紫肥前松浦・・・つくしひぜんまつら。筑紫は九州の総称。肥前は現在の佐賀県、長崎県。そこに松浦郡があった。※時代背景がバラバラな話が出てくるので正確ではない。その長者の
2021年10月2日 16:04
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【三章】吉実の苦悶吉実一行が釣りに来た日は、贄(にえ)を上納する八月十四日の一ヶ月前に当たっていました。数えてみると確か、今年の贄上納の当番は、机地庄兵ェ尉でありました。※机地庄兵衛尉・・・つくえじしょうべえのじょう。おそらく机地という地域の庄兵衛という老翁。そうすると、来年は吉実であらねばなりませんでした。吉実はすっかりふさ
2021年10月1日 11:46
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【二章】高山掃部長者さて話は変わりますが、その頃より数百年以前、この止々井沼(とどいぬま)のほとり、高山(上胆沢)という所に、掃部(かもん)という日本第一を自称する大長者が住んでおりました。名は祗春(まさはる)といい、祗明、祗広、祗勝という三人の子供にも恵まれ、上下胆沢五十七郡の土地を領有する大地主でした。屋棟は四十八、牛馬は三百五十
2021年9月28日 15:00
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館ずうっと昔その昔、千年ばかりも前のことであります。西山に一人の樵(きこり)が住んでおりました。元は沢山の人達も山に住んで、薪を伐ったり炭を焼いたりして暮らしていましたが、何のためか一人減り二人減りして、今ではこの樵が一人残っているだけとなってしまいました。樵は妻を亡くし、三人の娘と暮らしていました。一番目の娘も二番目の娘も気ままば
2021年9月26日 14:01
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館小山字油池と前大畑の境する所を、昔から俗に大堤と呼ばれ、今なお大きな堤防の残骸が判然としている所があります。灌漑水路のなかった時代に、ここに大きな溜池が作られ、松の木沢を通じ、一帯の稲作りの水源となっていたのであります。※灌漑水路・・・かんがいすいろ。作物栽培に必要な水を、水源から農地まで、人為的に取水・配分・供給する水路のこと。 水源は
2021年9月24日 14:23
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館昔々、止々井沼(とどいぬま)をめぐる村々に、不思議な病気が流行いたしました。※村々・・・新里(にいさと)、都鳥(とどり)、上巾(かみはば)病気にかかる人はほとんどが十六、七才の娘達でありました。この病気にかかると、最初ボンヤリとしていますが、数日すると外に飛び出して駈け廻るというのでありました。さらにそれが酷くなると、狂気のように