胆沢物語『高山掃部長者』【岩手の伝説㉑】
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館
【二章】高山掃部長者
さて話は変わりますが、その頃より数百年以前、この止々井沼(とどいぬま)のほとり、高山(上胆沢)という所に、掃部(かもん)という日本第一を自称する大長者が住んでおりました。
名は祗春(まさはる)といい、祗明、祗広、祗勝という三人の子供にも恵まれ、上下胆沢五十七郡の土地を領有する大地主でした。
屋棟は四十八、牛馬は三百五十足、下男二百五十人、下女百人という豪勢さはまず想像以上で、その威勢には草木も靡かぬ(なびかぬ)ものなしという程でありました。
※屋棟・・・やのむね。屋根の最も高いところ。ここでは四十八棟の館のこと。
※下男、下女・・・げなん。げじょ。奉公人のこと。
しかもこの高山掃部祗春は、慈悲の深い御仁で、悪路を直し、川には橋を架け、貧しき人には衣食を供し(きょうし)、寒き日には酒をもって慰め、如何なる女子供にも情をかけ、召使たちにも温かい声をかけるなど、仏の再来かと有難がられ喜ばれておりました。
この慈悲一徹の掃部祗春に対し、女房は大慾無道、慈悲も情もなく、召使を使うに昼夜の別なくこき使い、寝床には二間の柱を枕にさせ、一番鶏の鳴くも遅しと槌で柱を叩き回り、米粟を搗く(つく)にも上に藁を置き、上げる杵でこれを打たせ、雨が降れば自分が考案した藁みのや編み笠を着させてこき使うという、長者の妻とも思われぬ非道さを重ねたのでありました。
※大慾無道・・・大欲非道(たいよくひどう)のことか。慈悲が全くなく、非常に欲深いこと。
※間・・・けん。長さの単位。一間は約1.8メートル。二間で約3.6メートル。
※槌・・・つち。木製のハンマー。
ことに盆正月などを最も嫌い、一日の休日は(1月1日のことか?)、一人の召使一ヶ年の休業に当たると言って、彼岸節句の神仏に悪態の限りを尽くすので、人々も唖然とするばかりでありました。
もっとも夫の祗春も、妻の邪見にはほとほと困惑し、半ば諦めもしておりました。
※邪見・・・じゃけん。よこしまな見方。誤った考え方。
二年も凶作の続いたある年のことでした。
人々は野の草や木の葉をむしって、死から辛うじて逃れているという日々が続きました。
いや、その生命の拠りどころにしている草木も、野に求めることができないという悲惨さまでに追い込まれてしまいました。
もう人々は死を待つほかありませんでした。
祗春はそれを聞いて、倉庫の一部を開放して人々を救おうと決心しました。
勿論、妻にも相談しませんでした。
相談したところで快く応じてくれぬと思ったからでした。
祗春秘密の救助作業の最中、妻に発見されてしまいました。
怒った妻は、それが報復のように、祗春が邸(やしき)の後に泉を引いて作った池に飼ってあった珍魚を、あっという間に食ってしまいました。
そこで勢い、夫婦の凄まじい争いが起こりました。
邪悪に狂った妻に、祗春は敵いませんでした。
妻の持った棒の一撃に、祗春の命は絶えました。
さすがの邪悪の妻も、祗春の死には仰天しました。
面相は見る間に鬼面に変っていきます。
悲鳴に似た笑い声を高々と吠えるように吐くと、祗春の死骸に喰いつきました。
喰い終わった妻の顔はもう、人ではありませんでした。
血に染まった口の両端には長い牙が見え、乱れた頭髪からは数本の角が立っていました。
夫を喰い終わった妻は、恐れおののく祗明、祗広、祗勝の三人の子も、次々と喰い殺してしまいますと、豪壮を誇った邸宅に火を放ちました。
紅蓮の炎は見る間に四十八棟の館をなめつくしました。
灰と化した掃部長者の屋敷の後からは、祗春親子の遺骨が現れて、人々の涙を誘いましたが、邪悪の化身の如き妻の骨はついに現れなかったといいます。
そうした事があってから、止々井沼の周辺五十七郷には、平和な月日が続きました。
澄んだ沼の綺麗な水に姿を映しながら渡り鳥が飛んできて棲み付き、もう昔語りのように語られる掃部長者の屋敷跡にも草が伸びて、玉のような露が結ぶようになった初夏、突然沼に異変が起こりました。
それは吉実一行の遭ったような事変でありました。
ただそれと大部違うことは、その渦巻く濁流の中に、立った大蛇のあったことでした。
十七本の角をかざし、乱れた髪の間から爛々たる眼が輝き、うねる二十余丈の巨体の凄さ、そして五十七郷を揺り崩さんような大声、
※丈・・・じょう。長さの単位。1丈は約3メートル。20丈で約60メートル。
「如何に上下胆沢の人々よ、これより一年に一人ずつ、眉目良き二八の生娘を贄(にえ)として上納せよ。
さもなくば上下胆沢、ただ一瞬の内に揺り崩してしまうべし。」
※如何に・・・いかに。人に呼びかけるときに用いる語。おい。
※眉目・・・みめ。見目。顔立ち。容貌。
※二八・・・にはち16なので、16歳のことをこう言った。
※生娘・・・きむすめ。処女。まだ子供めいた純真な娘。
と怪声を上げました。
その怪声の凄まじさは、五十七郷の隅々まで鳴り響くばかりでありました。
さあ大変、平和だった止々井沼周辺の村々は大騒ぎとなりました。
豊饒(ほうじょう)な土地と沼からの豊漁に恵まれて、何不自由ない暮らしを送っていた村人には、この世の終わりが来たような思いでした。
中には、二人の娘のある家庭では、密かに深夜を選んで村を去っていく姿さえ見られる有様でした。
郷の主立った人々は、早速集まって対策を協議いたしました。
協議の結末は分っていながら、協議はなかなか進展しませんでした。
三日三夜も協議を重ねた結果は、とにかく大蛇の意に従うより仕方がないということになりました。
そしてその贄の順番を定めねばなりませんでした。
各々代表者は、少なくとも自分の部落からの贄の番を、一年でも二年でも後に延ばしたい希望から、その順番を定める籤(くじ)に手をなかなか触れませんでした。
結局、責任を感じる面々が、順々に籤を引くということになりました。
結果は、第一番は臥牛の冠者、話題の郡司吉実は、十番を越ゆる遙かに後の方に決まりました。
※臥牛の冠者・・・ふしうしのかんじゃ。おそらく臥牛という地域の若者。
郡司吉実には以来、平和な星霜が流れていました。
※星霜・・・せいそう。年月。
その平和に慣れ過ぎたからか、迂闊にも大蛇の贄については、すっかり忘れていたのでした。