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歌詞から気付く

 「電気じゃ闇はうつせないよ」という歌詞が、いつまでも心に残る。星野源くんの、フィルムの歌詞。音楽を聴く時あまり歌詞は重要に思ってない私だが、この曲は歌詞が自然に入ってきた好きな曲だ。
 あかるく周りを照らす電気。つけると何でも見えるけど、当たり前だけど物として存在するものしか照らせない。人を明るく見せることは出来ても、心までは見せることはできない。心が広い、狭いなんていうのは、私たちが考えているだけだ。目に見えない。だけど、本人にとっては、目に見えるものよりも大きい何かにつぶされそうになったりするのだ。綺麗に完璧に生きていると思われそうな人ほど、同じだけ暗くて深い何かが、その人の中に広がっているかもしれない。
 この前雑誌を見ていたら、「頑張っていれば認められると思っている人は、休むのが下手」というふうな記事があった。自分自身にあてはまっていて、ドキッとした。評価されないことが続くと、年齢をいくら重ねても自信がなくなっていく。誰も認めてくれないのか、と。結果ではなく、そこにいくまでの頑張った様子を見てほしいだけなのかもしれない。私はこんなに頑張っていると主張はしないけれど、どこかで見てくれているはず。でも、誰も分かっていないみたい。こんなふうに落ち込むことが、よくある。
 思いがけず、音楽の歌詞に助けられた。藤井風くんの「帰ろう」。自分がいなくなった世界を眺めていても、何一つ変わらず世界は回る、と歌う。その次の歌詞に、私は驚いた。「少し背中が軽くなった」と続くのだ。初めて聴いたとき、何で背中が軽くなるのか分からなかった。安心したということだろうけど、私だったら安心するだろうか。私がいなくなった世界。それは、いつ来るか分からない。だけど、私だけがいなくなったとき、私の周りにいた人だけは困ってしまうだろうと私は考えているのだと気付かされた。私はどれだけ周りに尽くしてきたか。周りの助けになったか。その存在を大事なものと思っているはず、と当たり前のように考えていた。生活している人全てそう思っているはずだと。
 職場で、ベテランの人が突然辞めることがある。報告があったときは皆んなが不安を口にするが、いなくなっても、何とか回っている。残された人の負担は増えるのだが、いなくなったら、それはそれで対応していけるのだ。それを目にして、私が辞めてもそうなんだろうなと寂しく思うこともある。自分にしかない強みを作る、とか考えるけれど、結局雇われている身なのだ。たしかに、生きるのに力を入れすぎていたのかもしれない。
 風くんは私より随分若いけれど、色々な世代の人との交流があって、受け入れ方も柔軟なのだろうと思う。
 背中が軽くなってきたと感じて生きていこうと思う。大きい闇は、背中が重いときに見えるものかもしれない。


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