見出し画像

面接官と喧嘩をしまして...

心の中にある靴箱に、高さ8センチのピンヒールが置いてある。
色は黒。ギラギラのダイヤモンドが散りばめられていて、デザインや機能性は無視した派手さだけがそこにある。
他人から引っかかることを言われた時にその靴を脳内で履くことにしている。

その靴を最後に履いたのは、2019年の晩夏だった。


日中はまだまだ暑さが残る日。
転職活動で、ある出版社の2次試験を受けるために、住んでいた大阪から上京していた。
当時は新聞社に勤めていて、「なんか今の担当きついしやめるか〜」って軽い調子で転職活動をしていた。

私はLGBTなど性的少数者と呼ばれる当事者である。性的指向はバイセクシュアル。性自認は男性だが、そのグラデーションは7~8:2~3で男性:女性といった感じだ。男という自覚はあるが、ギャル(精神的な意味)という自覚もある。「てかゥチあいつら(男性)の意見賛同できない」ってことが多々ある。
そんなことも相まって、新聞社ではジェンダーの分野の取材をしたかった。
ただ、私が会社から言い渡された担当は事件・事故。社内のある程度決まったレールに、誤って乗ってしまったのだ。そこに閉塞感を感じていた。
ジェンダーや人権の分野を取材する記者は女性が多く、なんとなく軽んじられている空気があり、私がそこにもう戻ることはできない。「それならば…」と出版社に転職をして、自分の追い求める取材や出版物が作れたらいいなと思っていた。

2次試験を受けていた出版社は、大学生の頃から愛読している雑誌を出版していた。マスコミ業界を志したきっかけの一つと言っても過言ではなく、新卒の就活の時にも試験を受けようと思っていたくらいだ(試験日が遅く結局受けなかったが)。
そこではジェンダーを全面に出した企画や特集をしているわけではなかったが、おしゃれで洗練されていて、その中で当たり前のようにLGBTなど性的少数者の人や多様な価値観を持っている人が掲載されている雰囲気がいいなと思っていた。
新聞社で頑張ってきた経歴も抱えながら、新卒の頃にはできなかった仕事や表現がその会社でできるかもしれないと胸を膨らませていた。

2次試験は少し変わっていて、面接が2回、そして筆記試験があった。
面接では各雑誌の編集長クラスの人が3~4人いて、こちらは1人。大体15分くらいの面談を行う。そこには私の憧れだった雑誌の編集長もいるようだ。
緊張と共に、実際にそれを作っている人に会えるのだなと思うと嬉しかった。

試験のスケジュールとかガイダンスがあった後、いよいよ面接の段取りとなった。
廊下に置かれた椅子に腰をかけると、編集部がチラリと見えた。
そこにはたくさんの資料と電話の音があって、新聞社と変わらず忙しそうだ。みんなが忙しそうに、一生懸命に物作りしている雰囲気が好きだと思った。
番号が呼ばれ、中に入った。



「で、あなたはどんな雑誌が作りたいと思っていますか?」
メガネをかけたおしゃれな雰囲気のある男性が私に質問をした。
「はい。私はLGBTなど性的少数者の方達を取材したいと思い新聞社に入り、取材をしてきました。それがなかなかできないポジションになってしまったというのもあって転職活動をしていて。御社の雑誌で家族の特集をやりたいと思っています。性的少数者の方々を始め、今、色々な家族の形がある中でそれを取り上げ、家族というものを問い直すようなものを作りたいです」

本番でここまで流暢に話せたか自信はないものの、おおよそこのようなことを言った。その男性は椅子の背もたれに大きく寄りかかり言った。
「なるほどね。でも君のその企画は売れないね」
冷たいな、という印象だった。

「ただ、過去に家族にまつわる特集をやっていましたよね。〇〇とかとても好きな企画でした」
「ああ、〇〇さん(有名人)の家族が出たものね。はいはい、あれは私が作りました」
「御社の他の雑誌でも有名人の若い頃についての特集などをやっていましたが、あれのLGBTなど性的少数者についての特集があってもいいかなと思いました」
「でも、どれだけ多くの人が求めているかってことでしょう。売れなければ意味がない。君の企画は売るのが難しい。だから編集長としてはゴーサインが出せないね」
私は「はあ…そうですか」と言うことしかできなかった。
「で、あなたは最近の〇〇(雑誌名)で一番好きだったのは何?」
そこで何と無く察したのだが、この男性は私が一番好きな雑誌の編集長のようだった。

「海外の特集が面白いと思いました。私も昨年、その国に行ったばかりなので懐かしいなと、ただ…」
「でしょう。あれはうちの編集員がその国に1ヶ月滞在して作り上げた力作なんだよね」

自分でも予測できなかったのだが、この瞬間に脳内の私は靴箱からヒールを取り出して履いていた。武装とでもいうような”着替え”をして、完全にゴングの音が鳴り響いていた。
身内自慢というか、自分の企画を踏まれた上で内輪ネタを展開してくるその配慮のなさに完全に堪忍袋の緒がキレてしまったのだと思う。

「そうなんですね。ただ、私は自分が記者をやっている経験からして、取材が甘いと思いました。自分が観光で行った時に仕入れた情報が色々と載っていて、新しい情報が多かったという印象はありませんでした」
訪れたのは沈黙だった。試験に落ちたのは当然だった。
2回目の面接は事なきを得て、なんなら感触はよかったが、基本的に「うるせー」ってずっと思っていた。



試験が終わり、ムカムカとしながら歩いていて考えていた。
「売れなければ意味ない」という言葉は、字面通りに受け取っていいのか。

答えはNoである。理由は2つある。
まず1つ目。
ものづくりは究極的に1人でやるものだ。文章を書くことも、絵を描くことも、服を作ることも、花を生けることも。完成を決めるのは作り手のみだ。その個々が集まって、形の上ではグループで作ることもある。でも最後は1人なんだ。
ただし、作ったものを売るとか、消費者の人が求めている形やわかりやすい形に変えたりプロモーションをする仕事は1人でやることではない。互いに意見を出し合い、数字などの裏打ちを確認して、みんなで「世の中への出し方」を決める。それを編集というのだと思う。

あの男性編集長がテーマを聞いた瞬間に「売れない」と言ったのは、編集つまり出版社として複数人でチェックしたり、考えたりすることを放棄していることを意味する。編集長として最終のゴーサインを出して責任を取る必要があるのだろうが、各スタッフが思考をしたり、話し合ったりして「どうやったら売れるか」ということを考えること自体を軽く見ている。最初からさせないという道を選んでいるのだから。

LGBTなど性的少数者についての特集だって、ビジネスとして、雑誌の中の1つの特集として売る方法はいくらでもある。それを売れないと決めつけ、売れるか売れないかを話し合いさえもさせない風土を作っている人間が編集長をやっていて、その雑誌が出してくるコンテンツなんてたかが知れている。

売れなかったとしても、それを編集して売ってみようという行為を出版社がしなくなったら、もういる意味なんてない。売れなかったとしても挑戦しようとしてみたりする姿勢を鼻から放棄している編集者って、何?

2つ目の理由。
人間の興味や表現にはそもそも価値なんてない。
良いも悪いもない。
人が生きていることに意味なんてないし、それを良いとか悪いとかの意味合いをつけるから、「リア充」とか「勝ち組」とかよくわからない思考が出てくるのだろう。
「売れなければ意味がない」は会社を経営している時に出てくる発想だ。そう思うのはあなたの自由。でも押し付けてきたら全力で拒否します。私は社長を目指しているのではなく、編集者を目指しているのだから。

人間は経済活動と切り離すことはできない。
でも、お金を稼げなくたって、人は生きているだけでそもそもOKなのだ。
私はそう思って生きている。

売れないからだめ?そうなのか?
その雑誌はおしゃれな家とか人の価値観とか綺麗な写真とかを特集している。
それは本来、意味があるものなのだろうか。
突き詰めれば意味はない。
だけど、人が豊かに伸び伸びと、より自分らしくあるために価値観を提供しているはずである。
それを届けた先で楽しくなったり、救われたりする人がいると信じて作っているはずである。

その純度の高い作品たちを作りたいという話をしているのに、売れる売れないの経済の話を持って来られても困るのである。
私は就職したら、その会社の責任を負うことになるが、経営について何も権限がないのに経営のことを考えろと言われているようなものだ。考えますけど、責任を持って舵を切るのはあなたの方ではないのですか?

自分の仕事を見事にすり替え、スタッフに押し付けるような会社に入らなくてよかったと心底思うのである。


その後、その雑誌ではLGBTなど性的少数者を傷つけるような文章を載せていた。
謝罪をしていたけれど、面接の時のことがあったので、どこまで本気なのかなと勘繰ってしまった。
私がいれば防げたかもしれないのにね。
編集長の自己保身と古く固まった価値観のせいで、人権感覚さえも失ってしまったのかもしれない。
私はもう、その雑誌を読むことはない。


私は私であることにプライドを持っている。
そこに対してその人自身の価値観で、その人だけの定規で計られそうになったら、脳内にしまってあるヒールを履いてとことん抵抗しようと思う。

ヒールで仁王立ち、ハイポーズ!

<環プロフィール> Twitterアカウント:@slowheights_oli

▽東京生まれ東京育ち。都立高校、私大を経て新聞社に入社。その後シェアハウスの運営会社に転職。
▽9月生まれの乙女座。しいたけ占いはチェック済。
▽身長170㌢、体重60㌔という標準オブ標準の体型。小学校で野球、中学高校大学でバレーボール。友人らに試合を見に来てもらうことが苦手だった。「獲物を捕らえるみたいな顔しているし、一人だけ動きが機敏すぎて本当に怖い」(美香談)という自覚があったから。
▽太は、私が尖って友達ができなかった大学時代に初めて心の底から仲良くなれた友達。一緒に人の気持ちを揺さぶる活動がしたいと思っている。
▽好きな作家は辻村深月


この記事が参加している募集

#就活体験記

11,835件

#転職してよかったこと

5,981件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?