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"やること"ではなく"やらないこと"を決めたらうまくいった

中学3年生の夏休み、僕は自室の勉強机の上でちょっとした絶望感を味わっていた。
試しに開いてみた志望校の過去問が、あまりにもチンプンカンプンだったからである。
特に英語は、今まで読んだ事がなかった難解な文章が並んでいた。
学校の先生も、塾の先生も、僕が志望している高校を告げると「大丈夫、多分受かるよ」と呑気な反応をしていたけれど、本当はだいぶ不味い状況なのではないか。

散々悩んだ挙句、塾の夏期講習の授業終わりに、英語の先生を捕まえて思い切って質問してみることにした。

「先生、ちょっと良いですか?」
「ん、どうした?」
「もっと難しい問題が入ったテキストをやりたいんですけど、どう思いますか?」

先生はなぜそう思うのかを尋ねてきて、僕は過去問を見て焦り狂ったこと、授業で使っているテキストが簡単すぎるのではないかという趣旨のことを伝えた。
先生はなるほど、と頷いた上でこう断言した。

「このテキストで問題ない。俺についてくればOK」
「あー。でも、例えば他のテキストから課題いただくとかもダメですか?このテキストは、結構簡単に解けてしまって」
「結構解けると言っても、授業終わりの小テストで毎回満点取れてる?」

いや満点は取れてないですけど、とまごつく僕に、先生は畳み掛ける。

「騙されたと思って、このテキストだけやってみ。この一冊を完璧にできたらまた話聞くからさ」

その場で言いくるめられた僕は、結局納得しきれず、自分で他の問題集に手をつけるなどした。
しかし、それらの問題集は少し難しすぎて、解く事ができずに心が折れてしまった。
結局、受験生にとっての勝負の夏休みはどうしたら良いのかわからなくなり、自室のクローゼットの中にしまってあったクレヨンしんちゃんの漫画を読んで呑気に過ごした。

新学期が始まると、夏休みほど自由な時間は無くなった。秋ごろには、文化祭や運動会の準備もあった。
難しい問題集を放置して、塾のテキストの予習復習に専念せざるをえない状態になってそのことに少し焦りもしたけど、一つのテキストに集中すると段々と成績が上向いた。

塾のテキストをしっかりとやりながら迎えた、受験直前の冬休み。
その時期になって、改めて心が折れ掛けた問題集や、志望校の過去問を開いてみると、意外と解けるようになっている自分がいた。
英語の先生は、このことを言っていたのかあ、と気付いた僕は、無事に志望校に合格した。
大学受験も、同じように一つの参考書を繰り返しやるスタイルで乗り切った。


レベルアップしたい、現状を変えたいと思った時に、人間は新しいことに手を出しがちだ。
何かをプラスアルファすれば、違う自分になれるのではないかと思う。
ただ、往々にして、プラスするよりも、目の前のことに専念したり思い切ってマイナスしたりしたほうが良くなる時がある。
僕が一生懸命に受験勉強をして最も良かったことは、その学びを得たことかもしれない。

ただ一方で、その学びは歳を重ねていくうちに次第に忘れてしまいそうになることでもある。 

たとえば、仕事で言うと、僕はいまの会社で新しい部門を立ち上げている。
上司から仕事が降ってくる訳ではなくて、どんな戦略で何をやるかを決める、というところから仕事がスタートする。
専門性を持った助言役も社内にいないため、他の企業が何をやっているかをよく調べる事があるんだけど、色々と調べていくと結構焦ってしまう。
あれができていない、この成果は残せていない、と気づいてしまうからだ。
それで凹んでしまうこともあるけど、よくよく考えてみれば、中学3年生の頃の僕のように自分の状態にあったことをコツコツやるしかないのだ。
理想ばかり高くしても心が折れてしまって、クレヨンしんちゃんに逃げることになる。

今の会社には潤沢な予算はないし、手足を動かせるのも僕一人。
だからこそ、あれもこれもと考えた上で、プラスするのではなくてマイナスしていく作業が大事だ。

最近やっとそう思えて、理想論で書き連ねたタスクリストを思い切って削ってみるとすっきりして、迷いなく仕事を進められるようになった。
あれもこれもととっ散らかりながら進めた時の仕事よりも、良い感じの成果が残せてもいる。

仕事のみではなく、この考え方は自分の生活にも当てはまる。
「最近だらけちゃってるなあ」と思った時に、一念発起して早起き・自炊・勉強・運動などなど、膨大なやることリストを作って鼻息荒く取り組む事があるけれど、うまくいくのは最初だけ。
気付けばこなしきれなくなって、その自分に嫌気が差してまただらけてしまって、行き着く先は「最近だらけちゃってるなあ」という、負の無限ループに陥ってしまう。

だから最近僕は、勉強や仕事にならって、自分の生活でも”やらない”ことを決めることにした。
日常でもっと映画が見たい、小説が読みたい、こうして文章を書きたい、やりたい事が無限に溢れてくるけれど、時間は増えないし有限なのである。
自分の生活を省みると、だらだらとスマホをいじって、SNSのタイムラインを遡ったり、YouTubeのサジェスト再生を繰り返したりしている。
それも息抜きにはなっているけど、本当にやりたいことはどっちなのかを考えたときに、浮かぶのは映画や小説だった。

だから、僕はスマホをいじる時間を最低限にする、という選択をした。
朝起きてから仕事するまでの時間、通勤中、夜ご飯を食べてから寝るまでの時間、僕は結構スマホをいじっていたけど、ここ数日はそれを意識してやめてみた。
すると、時間に余白ができた。
その分、小説や映画をみる時間が生まれている。
とても有意義な時間を過ごせている。

この良い習慣がいつまで続くかわからないという突っ込みはあるけれども、”やること”を増やすより、”やらないこと”を決める方が、今の僕には合っていたなと感じている。


情報が溢れかえっていて、憧れやロールモデルが見つかりやすい今の世の中だからこそ、”やること”を決めないと、焦ってしまう。
ただ、”やること”を増やすには限界があるし、無理し過ぎると潰れてしまう。
そうすると自己肯定感も下がってしまう。

だからこそ、自分の状態に合わせて、”やらないこと”を決めるのはすごく大事だ。
あれもこれもではなくて、今の自分にはこれだけ、というものを決めるために、マイナスしていく。
そうすると結果として、やりたかったことにも自然と辿り着くのかもしれない。

中学3年生の受験期を思い返せば思い返すほど、僕の中でその思いはますます確信に満ちたものになっている。
"やらないこと"を選択した先に、色々と見えてくるのだ。


Life goes on / Dragon Ash

<太・プロフィール> Twitterアカウント:@futoshi_oli
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒時代の地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗、制作会社での激務などを経験。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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