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朝のハグ、明日もね

そう考えるようになったのは、東日本大震災がきっかけだった。

2011年3月11日。夕方からのバイトまで、親友の美香と都内のファミレスにいた。
大型トラックが通った?と思う轟音が鳴り地面が震えたあと、ガラスのコップなどが地面に落ちて割れた。悲鳴が聞こえて「やばい」と思い、美香と一緒に駐車場へ避難した。アルコールが回って平衡感覚を失っているときのような、ずっとぐるぐると頭が回っているような感覚に襲われ、いつもの地震ではないと思った。

それでもまだ事の重大さに気づいていなかった。
ファミレスの会計を済ませ、バイト先へ向かうために駅へいくと全ての電車が止まっていた。
しょうがなく他の路線の駅へといくが、やはり電車は止まっている。
ガラケーにアンテナを刺しテレビをつけると、仙台空港に津波が押し寄せている様子をヘリコプターから中継していた。
「あれ、これ、本当にやばいぞ」
さっと血の気がひいた。

そこから心ばかりのボランティアとか、社会のことを考えたりした。
部活のリーグ戦も中止になり、先輩たちの卒業式もなかった。
この状況下でやるべきことは?やれることは?と色々と考え、親友たちとも電飾が最小限に抑えられた街を自転車でぶらぶらしながら、あーでもない、こーでもないと、意見を確かめあった。

そこである一つの考えに達する。
「今日死んでも後悔しないように生きる」
東日本大震災を通し、人がいつ亡くなるかはわからないし、故郷が帰れない土地となってしまう可能性があるということが痛いほどわかった。
最愛の人をなくすことがどれほど辛いことなのか。
故郷を奪われることがどれだけ心の損失になるのか。
ぐるぐると考える中で、自分が今できることはこの「今死んでも後悔しないように」と、生活を続けていくことだった。


それからは、色々なことに挑戦した。

例えば、音楽雑誌のワークショップ。
平日の夜の開講時間は部活の時間と丸かぶりだった。
部活を言い訳に挑戦することを躊躇っていたが、思い切って応募し、無事に書類選考を通過して通うことができた。
ここで太と出会うことができた。

また、石垣島にある新聞社へのインターンシップ。
自分がこの目で、この身で体験をしないと絶対に後悔すると感じ、1ヶ月もしないうちにインターンシップへと行くことを決めた。
1年弱のインターンシップの中で、ジャーナリズムの基礎、そして自分がマスコミ業界に就職しようという決意が固まった。

そして、自分の性的指向について。
これまで見えないように、なんとなく目を逸らしてきた。
LGBTQなど性的少数者の中で、自分はBのバイセクシュアル。
同性に惹かれる思いは封印したとしても、恋愛や結婚ができないわけではない。
ただ、この気持ちに嘘をついたまま生きたくないと思い、好きだった同性の人に告白したり親友たちにカミングアウトをしたりするようになった。
これがなければ、今のパートナーに出会っていないほか、親友たちとの関係だってここまで深くはならなかっただろう。

「今死んでも後悔しないように」生きてきたからこそ、私はたくさんの挑戦ができたし、今の人間関係を築くことができたと自負している。

ただ、一方で、このところ「しんどい」と思うようにもなってきたのだ。
毎日を全力で後悔なく生きるためにはエネルギーが必要だ。
ただ、エネルギーを使っても何も起こらない日もあるし、エネルギー不足な日もある。

朝起きて仕事をして寝るだけのような日。
体調が悪くてなんとなく寝ていた日。
パートナーとだらだらしていたら終わってしまった日。

私はこんな日々に、いつしか「罪悪感」を抱くようになってしまっていた。
「これで後悔しないの?」と。

そんな時、助けてくれたのは、ベタかもしれないけど「明日」という概念なのだ。


カップルにとってはよくあることかもしれないと前置きをし、恥ずかしさを少し脇に置く。

朝。私はパートナーよりも少し早く起きる。
仕事の始業時間の関係で、私の方が先に準備をしたりするからだ。
30分〜1時間遅く起きてきたパートナーは目をこすりながらいう。
「おはよん」
そしてパートナーは、両腕を広げた私に近づいてきてハグをする。
そんな朝が明日も来ると思えるだけで、今日を生きて明日に向かっていこうとしている自分に後悔がないと思えるのだ。

そして最近は習慣として本を読んだり、筋トレをしたり、ギターを弾いたりしている。1日で満足いく結果に到達するわけではない。
だけど、それを明日もやっていこうと思えるだけで、今日の後悔が消えていくのだ。
明日が来るかは確かにわからない。だけど、明日が来ることを楽しみに、目を閉じることを選んだ自分でいいのではないか、と。

「今日死んでも後悔のないように」と思い、日々命を燃やし続けてきた20代。
色々なものを獲得したし、叶えてきたことは単純にすごいと思っている。

そしてそこからさらに発展させ、明日に行動や思いをつなげることができるようになってきた30代。
大人になって、自分の生き方についてそんな修正もできるのだなと少し誇らしい気持ちだ。


今日を一生懸命に、そして明日のことも願って生きることはとても大事なのだ。
震災の復興だって1日では達成できるはずがない。
放射性物質による汚染の問題、壊れたコミュニティの新たな形成、ふるさとの移設など。これは私たちがこれからも付き合っていくことだし、当事者ではない自分もそれに携わっていきたいと思って明日を願っているじゃないか。

「今日の命を燃やし、また明日へと願うこと」
これが私の新しい生き方だ。

<環プロフィール> Twitterアカウント:@slowheights_oli
▽東京生まれ東京育ち。都立高校、私大を経て新聞社に入社。その後シェアハウスの運営会社に転職。▽9月生まれの乙女座。しいたけ占いはチェック済。▽身長170㌢、体重60㌔という標準オブ標準の体型。小学校で野球、中学高校大学でバレーボール。友人らに試合を見に来てもらうことが苦手だった。「獲物を捕らえるみたいな顔しているし、一人だけ動きが機敏すぎて本当に怖い」(美香談)という自覚があったから。▽太は、私が尖って友達ができなかった大学時代に初めて心の底から仲良くなれた友達。一緒に人の気持ちを揺さぶる活動がしたいと思っている。▽好きな作家は辻村深月


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