以前もこのお話を書いたことがありました。
いまも変わらず。
嫌なことは「そんなん知らんがな」と自分事から切り離しています。
これがはっきりと言える・思えるようになったのは、岸見 一郎氏・古賀 史健氏の大ヒット書籍「嫌われる勇気」を読んでからです。
この中に「課題の分離」という言葉が出てきます。
目の前の課題に対して、それは自分の課題なのか、それとも相手の課題なのかを見極め、自分の課題に専念するという考え方をするんです。逆に言えば、相手の課題にまで責任を持つ必要はなく手は出さないということです。
例えば、相手がイライラしているとき、それは誰の課題でしょうか?
当然、相手の課題ですよね。本人の感情なのですから、本人がどうにかするしかありません。それを他人にぶつけられても・・・「知らんがな」です。
一方、自分が感じている気持ちは、他の誰のせいでもありません。出来事をどう認知し、どう解釈し、どんな感情と結びつけるかは、自分の課題です。誰かに相談を聴いてもらうことはまったく問題ありませんが、その感情がわいてきたことを誰かのせいにして責める(無責任な他責)のは、自分の課題を処理しきれていないと言えます。相手からすれば「知らんがな」ですからね。
とはいえ感情をぶつけられると戸惑うこともありますよね。
わたしもそんな経験は数知れず・・・
でも反面教師として、自分の感情は他人にぶつけないようにしています。
ですが自分の中にため込んでしまっては本末転倒です。
自分の感情に責任を持つというのは、自分の感情を正しく処理するところまでを含みます。
感情を正しく処理するには、まずは感情を把握し、言葉にできる状態にすることが大切です。そのうえで、感情の大きさや変化を数値化したり、感情の裏に隠れている本当のニーズに触れることが必要です。
わたしの感覚では、「3.感情の奥にあるニーズを確かめる」という段階で、初めてありたい自分を意識できると考えています。ニーズと価値観は強く結びついています。本当は何を望んでいるのか、それは何を大切にしているからなのか、その向こうにどんなありたい自分がいるのか、をありありと感じられるのは、この第3段階に入ってからなんですよね。
それでもどうしようもない感情にぶつかってしまったら・・・そんなときは「知らんがな」です(笑)
自分でも扱えないような強い感情なら、いちいちまともに扱うのは止めて「知らんがな」と横に追いやってしまうことも必要です。
もし追いやることができないなら、自分の感情と対峙して一人芝居をするように罵り合う、なんて方法もあります。強い感情を持つもう一人の自分に対しては何を言ってもかまいません。その感情がどうなろうが「知らんがな」ですね。言ってはいけない、がまんしなければいけないと抑え込んだ気持ちを思いきり吐き出すことで、想像以上にスッキリできます。わたしは移動中の車の中で一人でぶつぶつ言ってもう一人の自分とよくケンカしてます(笑)
そうやって感情と上手くつきあいながら、自分の課題となることに対しては真摯に向き合います。
これだけは誰かに任せることができません。やるべきことをやり、褒めるときは褒め、認めるべきことは認め、正すべきことは正します。自分を律する=「自律」するわけです。
自律ができると、他人の課題を引き受けたくなったり、必要以上に関係しようと思わなくなります。むしろ「それはあなたが自律的に解決するべき問題だから遠くから見守って応援するよ」という温かな気持ちで切り離すことができます。
「悩むことは成長すること」ですから、相手の課題を解決しようとするのは「悩むチャンスを奪うこと」になってしまいますから。
そうやってわたしは、ほどよく「知らんがな」の精神で過ごしています。
おかげで最近はいろんな問題が起きても変に動じることがなくなりました。
一人ひとりが人生の課題として向き合うべきことを課題とするなら、わたしが取り組むべきは自分の課題だけ。そう思うだけで半分くらいの荷物を下ろした感覚がありますね(笑)
明日もきっといろんなことが起こるでしょうが・・・何があっても「知らんがな」ですね♪
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