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シン・日曜美術館『ジブリの耳をすませば』~転~「自由画検定委員 中篇:雪渡り④」


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2019年 7月 フランス
アルザス地方 コルマール



RESTAURANT JAPONAIS NAGOYA
日本料理レストラン ナゴヤ




「ルカーっと叫んで」の「ルカ」とは福音書の「ルカ」のことなんです。

四福音書の中でも群を抜いて例え話が多用される『ルカによる福音書』のこと…



「ルカー」は狐の鳴き声じゃなかったんですか?


キツネがそんな声で鳴きますか…

「雪渡り」とは「行き渡り」、つまり、この世界にあまねく行き渡るものを描いた物語…

読み解く鍵は「法華経」と「ルカによる福音書」なのです…



いったいどういうことなんだ!

もう御託は要らんから、さっさと説明しろ!


いいでしょう…

二部構成になっている『雪渡り』は、このようにして始まります…


雪渡り その一(小狐こぎつね紺三郎こんざぶろう


 雪がすっかりこおって大理石よりもかたくなり、空も冷たいなめらかな青い石の板で出来ているらしいのです。
堅雪かたゆきかんこ、しみ雪しんこ。」
 お日様がまっ白に燃えて百合ゆりにおいきちらしまた雪をぎらぎら照らしました。
 木なんかみんなザラメをけたようにしもでぴかぴかしています。
「堅雪かんこ、み雪しんこ。」
 四郎とかん子とは小さな雪沓ゆきぐつをはいてキックキックキック、野原に出ました。
 こんな面白おもしろい日が、またとあるでしょうか。いつもは歩けないきびの畑の中でも、すすきで一杯いっぱいだった野原の上でも、すきな方へどこまででも行けるのです。平らなことはまるで一枚の板です。そしてそれが沢山たくさんの小さな小さな鏡のようにキラキラキラキラ光るのです。


この冒頭の描写、とても興味深いですね…

何か気付きませんか、Jean-Paul O'Cahiermont(ジャン=ポール・オカエモン)?


はい、マダム・キマタ…


地面は敷き詰められた大理石のようで、空は一面の青い石の板のよう…

周囲には官能的なユリの花の甘い匂いが漂い、景色は砂糖菓子のようにデコレーションされている…

そして、無数の微小な鏡が乱反射するように、キラキラと光を放っていた…


これらの描写はまるで、ミラーボールが輝くディスコやクラブのことみたいに聞こえます…



そうですね。

そして、この物語で流れ続ける「堅雪かんこ、しみ雪しんこ」のハーモニー…

まさに小沢健二 feat. スチャダラパー『今夜はブギー・バック』の冒頭そのものだと言えます。

ダンスフロアーに華やかな光
僕をそっと包むよなハーモニー
Boogie back, Shake it up 神様がくれた
甘い甘いミルク&ハニー


つまり、ダンスフロアーに行き渡る「華やかな光」というのは…

地上世界にあまねく行き渡る、法華経の「華」のこと…


その通り。

法華経こと妙法蓮華経の正式名称はサンスクリット語で Saddharma-puṇḍarīka-sūtra(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)といいます。

直訳すると「正しい・法・白い蓮・経」で「泥の上に咲く清らかな白い蓮華のように最も美しく優れた正しい教え」という意味ですね。

しかし日本で使われる名称「妙法蓮華経」では「清らかさ・清浄」を表す「白い」が抜けているので、賢治は「雪」を補ったのでしょう。


雪は白いから? なんだか安易な発想だな。


そうじゃありません。

「雪」という漢字は、そもそも「汚れや乱れを掃き清める」つまり「清浄」という意味なんですよ。


え?


「雪」という字は「雨」の下に「ヨ」と書きますが、これは簡易化されたもので、元々は「雨」の下に彗星(ほうきぼし)の「彗(ほうき)」と書きました。

天の下の彗(あめのしたのほうき)つまり「天より降りて地上世界を清浄する」という意味なのです。



天より降りて地上世界を清浄する…

まさに神仏だな…


そして「ダンスフロアーに華やかな光」の「光」とは、四福音書のひとつ『ルカによる福音書』の「ルカ」のこと。

「ルカ」は英語で「Luke(ルーク)」ですが、これはラテン語で「光・ライト」を意味する「lūx/lūcis(ルクス/ルーキス)」が語源。

ルーク・スカイウォーカーの「ルーク」、ジョージ・ルーカスの「ルーカス」ですね。



そうだった…

なんでそんな単純なことに気づかなかったんだろう…


つまり小沢健二は『今夜はブギーバック』の最初のフレーズ「ダンスフロアーに華やかな光」で、この歌の元ネタである宮沢賢治『雪渡り』のテーマ「世界にあまねく行き渡る法華経とルカによる福音書」を表現していたというのか…

天才だな…

名前が似ているだけじゃなく、詩人としての才能も…



そして賢治はこうも言っています。


いつもは歩けないきびの畑の中でも、すすきで一杯いっぱいだった野原の上でも、すきな方へどこまででも行けるのです。


様々な障害物や地形を避けながら遠回りしなければならなかった道が、天より降り来たる「雪」によって真っ直ぐになった…

これがどういう意味なのか、わかりますか?


天から降り来て地上世界を浄化する「雪」によって、野原の曲がりくねった道が、真っ直ぐになる…

これは洗礼者ヨハネが語ったイザヤの預言「主の道」そのものだ…


『ルカによる福音書』
3:3 彼はヨルダンのほとりの全地方に行って、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた。
3:4 それは、預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとおりである。すなわち「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』。
3:5 すべての谷は埋められ、すべての山と丘とは、平らにされ、曲ったところはまっすぐに、わるい道はならされ、
3:6 人はみな神の救を見るであろう」。


「荒野の主の道」とは「カントリーロード」…

その曲がりくねった道を真っ直ぐにせよ…

だから宮崎駿は「コンクリートロード」という替え歌を作ったのですね…



その通りです、マダム。


バウッ!


しかし『コンクリートロード』は自然破壊の上に成り立つ現代文明を皮肉った歌だろ?

宮崎駿は「主の道を真っ直ぐにせよ」を否定しているってことか?



宮崎駿は否定なんてしてませんよ。

『コンクリートロード』の歌詞をよく聞いてください。

「森を切り、谷を埋め」が間違っているとは一言も言ってません。



なるほど。確かにそれが間違いだとは一言も言っていない…

そもそも『耳をすませば』で「美しい」とされる景色は思いっきり「コンクリートロードの景色」だし、「コンクリートロード」を作詞した雫のことを聖司は「才能がある」と言っていた…



たぶん「コンクリートロード」の歌詞を否定的な意味に捉える人が多いのは、愚かな「先入観」が原因でしょう。

「コンクリート=反自然的・非人間的」という偏ったイメージによる思い込み・決めつけですね。

これは「コンクリート」という言葉の本当の意味をわかっていない無知から来るものです。


コンクリートの本当の意味?


「concrete」の本義は「あやふやなもの」を「硬く固める」という意味…

「形のなかったもの・目には見えなかったもの」を「具象化・実体化する」という意味です…

つまり、そもそものニュアンスはネガティブではなく、圧倒的にポジティブな言葉…

なぜなら「concrete」の語源は、ラテン語の「con(共に)+ crescere(成長する)」ですから…



コンクリートロード…

具象化した主、共に成長する道…

めちゃめちゃポジティブな歌じゃねえか!


そうですよ。

だから雫と聖司の未来を暗示させるために歌わせたのです。

あやふやだった自分の道や想いを堅く固めて具象化し、共に成長していく二人のために。



そういうことだったのか…

日本の現代社会が気に入らない宮崎駿の愚痴じゃなかったんだ…


彼はそんなに単純な人間ではありませんよ…

戦争や人殺しが嫌いなくせに、銃や兵器は大好きなんですから…

そうですよね、カリー・オストロさん?


ええ。その通りですマダム。

宮﨑駿に限らず、人間というのは誰でもそう…

矛盾を抱えた存在なのです。


バウッ!バウッ!



では、『雪渡り』の続きを見てみましょう。

「堅雪かんこ凍み雪しんこ」と歌いながら四郎とかん子は森へ…


wait wait wait wait ガッデーム!


え?


まだ大事なことを話していません。

なぜ『雪渡り』で四郎とかん子を導くのは「キツネ」なのか…

そしてなぜ、あんな奇妙な「書き出し」だったのか…


奇妙な書き出し?

地面が大理石みたいで、空が青い石の板みたいだという冒頭の一文のことですか?


そう言われてみれば確かに妙だな…


雪がすっかりこおって大理石よりもかたくなり、空も冷たいなめらかな青い石の板で出来ているらしいのです。


普通は「出来ているようです」だろ?


ホントだ。なぜ「出来ているらしいのです」なんだろう?


これは「報告」だからですね。


報告? 誰が誰に報告してんだよ?

しかもそんな風になっているのは冒頭だけだ。

明らかに変だろ?


『法華経』と『ルカによる福音書』の共通点その4…

冒頭が「報告」であること…


へ?


『ルカによる福音書』の特徴は「たとえ話」の多さだけではありません。

他の福音書マタイ・マルコ・ヨハネとは違い、語り手である著者ルカが読者に向けて「これは私が聞いた話です」と報告する形で始まるのです。


1:1 わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、
1:2 御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、
1:3 テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。
1:4 すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。


何言ってんだよ。

読者に向けた報告ではなく、テオピロ閣下への報告だろ?


「テオピロ閣下」は架空の存在…

そんな人物は歴史上に存在しないのです。


存在しない?


そもそも「テオピロ/テオフィラス(θεόφιλος/Theophilus)」という名前は、ギリシャ語で「神」を意味する「theo」と、「愛する・友人」を意味する「philos」の造語…

だから冒頭でルカは「神を愛する/神に愛される友人たち」つまり福音書の読者である「同志・信徒」に向けて「私が聞いた話」を報告しますと言っているのですね。


マジかよ…


そして『法華経』の冒頭も「報告」から始まります。

有名な「如是我聞(にょぜがもん)」…

つまり「このように私は聞きました」という文章から…


如是我聞 一時仏住王舎城 耆闍崛山中
与大比丘衆万二千人倶 菩薩摩訶薩八万人



如是我聞、このように私は聞きました…

まさに『ルカによる福音書』と同じ始まり方だ…


お経ってのは「唱える」ものだけあってリズミカルだな。

賢治の『雪渡り』にも通じるものがある。


♬堅雪かんこ 凍み雪しんこ♬
♬キックキックキック トントントン♬


♬ボンッゴー シュシュンシュ シュシュシュシュンシャーッ♬
♬火星に住みたい1万人♬


は?


♬ヨッヨーッ ビート ビートでラップ♬
♬ダンスをしたい5万人♬


それは『妖怪ウォッチ』のエンディング曲、コトリ with ステッチバードの『宇宙ダンス!』ですか?


左様。この歌も賢治の『雪渡り』同様に『法華経』が元ネタです。

最初の「ボンゴー」とは「梵語」つまりサンスクリット語のこと…

そして「火星に住みたい1万人 ダンスをしたい5万人」とは「与大比丘衆万二千人倶 菩薩摩訶薩八万人」を言い換えたもの…

だから歌詞が日蓮や智学や賢治の世界観そっくりで「赤・青・黄」なのです。



なんだか『雪渡り』と『今夜はブギー・バック』を足して二で割ったような感じだな。

火星のイカ星人はキツネの投影だ。


ちなみに歌っているグループの名前「stichbird(ステッチバード)」とは、日本語で「シロツノミツスイ」のこと…


しろつのみつすい?


「シロツノミツスイ」とは「白い角、花の蜜を吸う鳥」という意味…

これも『法華経』の正式名称「正しい法、白い蓮の華の経(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)」をモジったものです…



グループ名にもそんな意味が隠されていたなんて…

難易度レベル5ですね…


ほっほっほ。うまいこと言いますね。

さて、話を『雪渡り』に戻しましょう。


えーと、四郎とかん子が森の手前で小狐の紺三郎と出会う場面ですね…


その通り。

『法華経』と『ルカによる福音書』の共通点その5…

「キツネ」です。



à suivre

つ づ く




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