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三津田信三『わざと忌み家を建てて棲む』を精読する(2)

三津田信三『わざと忌み家を建てて棲む』(中央公論新社、2017年)で「実在」のものとして紹介されている年代不明の記録を精読し、その年代を推定しようという試みです。前回は第一章にあたる「黒い部屋」を取り上げました。今回は第二章にあたる「白い屋敷」を考察します。また本題に入る前に、前回の補足と訂正もおこないます。なお、目次の各節には通し番号を用います。

(3)前回の内容の概説と補足、訂正

この試みでは、本文中に出てくる語の歴史性、すなわちその言葉がいつから使われているか、いつまで使われているか、調査することによって記録の成立年代を推定する手法を採用しています。前回の「黒い部屋」では、次のような結果が得られました。

三津田⑥

上掲画像にまとめた調査結果から、作中で作家が推定している、1960(昭和35)から1975(昭和50)年という数字は誤りである可能性が高く、実際には1970年代前半から1980年代にかけて、和暦でいうと昭和45年頃から昭和50年後半、あるいはもっとあとでもありうる、と考えるのが妥当ではないか、と前回述べました。しかしこれは、やや論理性に欠ける述べ方になってしまっている、とあとから気づきました。「プチプチ」の初出年代が早くとも1980年頃以後であるならば、記録の成立年代は1980(昭和55)年頃以降、ということしか推定できません。それを「1970年代前半から」としたのは、「カラーテレビ」の語が1980年代に日用されていたかどうか疑問である、という問題が念頭にあったからです。「プチプチ」が商品名となる以前に、世間で俗称として用いられていた事実を指摘できるのならば、「1970年代前半から」という言い方ができます。そこで本稿ではまずこの辺を洗ってみましょう。

まず現代日本語コーパス「少納言」を使います。これは国立国語研究所と文部科学省内の「日本語コーパス」プロジェクトが共同で開発した『現代日本語書き言葉均衡コーパス』のうち、全文検索の機能を利用できるサービスです。さまざまな種類の文章が収められていますが、書籍に関しては1971年以後のものが登録されていますので、今回の目的に合致します。それで「プチプチ」を検索したのですが、残念ながら1980年より遡る用例は検出されませんでした。

次にデジコレです。前回説明したとおり、国立国会図書館が独自にデータ化した収蔵物の本文検索ができるサービスです。大変便利なのですが、今回は残念ながら「プチプチ」の用例自体が見当たりませんでした。というのも著作権が切れていない文章や、著作権の消滅時期が特定できていない文章はデータ化されていないんですね。それでも目次等は部分的に登録されているので、コラムや記事のタイトルに使われていたのならひっかかるはずです。

続いて新聞記事。朝日新聞の記事のタイトルが検索できる「聞蔵Ⅱ」、日経新聞の記事の本文検索ができる「日経テレコン」、読売新聞の記事の本文検索ができる「ヨミダス歴史館」、毎日新聞の記事の本文検索ができる「毎索」などで調査しましたが、古い用例は発見できませんでした。

思いつく範囲でやってはみましたが、収穫はゼロ。比較的新しい時期の文章が対象となるため、データベース類には権利の関係から収録されているデータがそもそも少なく、存在するとすれば俗語であるため文章には出てきにくい、という問題はあります。こうなると雑誌のコラムや通俗小説など軽めの文章を、自力で膨大に読んでゆくしかありません。いや、さすがにそれはしませんが……。ただし新聞掲載の雑文や、22,058件の書籍を収める「少納言」でもヒットしないとなると、広域に定着した語ではなかった、と見立てることはできるかと思います。

やはり現状、推定できる範囲は1980年頃以後とするのが妥当でしょう。

さて、もう一点。前回、早くとも何年頃、遅くとも何年頃という上限と下限の考察を試みました。早くとも何年、というのは簡単です。新語を見つければいいのです。しかし遅くとも、というのは難しい。なぜならば一度使われはじめた言葉が、全く使われなくなることはありえないからです。となると、制度や流行、概念、ものの状態など、ある時期に消滅したり変化したりするものに注目することになります。作中では池田弥三郎の『日本の幽霊』が〈古本とはいえ汚れておらず綺麗である〉という点から〈初版から二十年も三十年も経っていると考えるのは、ちょっとあり得ない〉と推理している部分がこれにあたります。またカラーテレビを母親がそんなに喜んでいないという点から〈ある程度の普及があったあと〉と考えているのも同様です。ただし後者は作中でもやや根拠薄弱として重視されていません。本稿の場合は、母親が週に一度しか仕事を休んでいないことから、週休二日制の導入以前ではないかという推論を立てましたが、雇用形態が不明のため、こちらも重視しませんでした。結局、作中の内容を根拠に遅くとも何年頃と述べるのは不可能だといえるでしょう。

(4)「白い屋敷」

「白い屋敷」は、作家志望の青年が、移設されてきた田舎の旧家らしき屋敷に居住した際の手記です。作中で「黒い部屋」の親子と出会っており、この二編が同時期に成立したことが示されています。前回同様、各段落ごとに山括弧で本文を示し、「▶」以後に分析を記します。

〈古いSFホラー映画〉(p81)▶早速頭を抱えています。映画には疎いもので……。引用部はつぎはぎされた家の印象を、〈古いSFホラー映画〉に出てきたような〈キマイラ〉と喩えている部分です。〈キマイラ〉は大正年間には国内に紹介されていますから問題になりません。ですが、〈SFホラー映画〉が流通し、かつそれを〈古い〉と感じるとなると、いったいいつ頃のことなのか。「ゴジラ」以後怪獣ブームが数度起きていますが、日本特撮の怪獣映画はSFホラーとはいわないでしょう。アメリカ映画あたりの輸入かもしれません。困ったことにこの手記の書き手は知識階級ですから、知識的背景はかなり大きく見積もる必要があります。どなたか思い当たることがあればお知らせください。

〈台所の土間の隅に設置されているシャワールームと冷蔵庫〉(同)▶「シャワールーム」っていつからあるんだと思って『日国』を引いたら〈*オリンポスの果実〔1940〕〈田中英光〉一四「風呂場(シャワルウム)と兼用になってゐる、その部屋で、ぼくは冷っこい便器に、腰を掛けると、封筒を裏返してみました」〉という用例が出ており、意外と古い。〈冷蔵庫〉はいうまでもなく三種の神器の一つですから、1950年代後半です。まあ発売はもっと古いんですが。

〈シングルマザーなら止むを得ない〉(p87)▶これは明らかに新語です。こういうのは実はWikipediaをとっかかりにするのが早い。この種の社会問題に関する語は特定の論説や書籍の登場によって普及するため、項目内に特記されている可能性が高いからです。で、Wikipediaの「一人親家庭」を見ると案の定ありました。〈英語に由来する「シングルマザー(略してシンママとも)」(single mother)という呼称は、池上千寿子の著書「シングル・マザー 結婚を選ばなかった女たちの生と性」(1982年)によって、日本社会では認知されていった〉。おお、キタ。ウィキには「要出典」のタグがついていますが、裏取りすればよろしい。国会図書館の蔵書を検索できるNDLオンラインで「シングルマザー」を検索すると、もっとも古い蔵書が同書になっています。『日国』には立項されていない語(=刊行の2000年代初頭に、定着語と判断されなかった語)ですし、デジコレでも最古の用例は『思想の科学』1984年3月号掲載の記事「シングルマザー」(武田美由紀)になっているため、池上著が紹介した言葉と睨んでまず間違いないです。

〈中山三柳が、隠居したあと醍醐の里に籠って書き溜めた『醍醐随筆』(一六七一)〉(p92)▶古い本ですが、注意する必要があります。書かれてはいたが、長い間埋もれていて、翻刻されて紹介されはじめた時期が遅い可能性があるからです。で、NDLオンラインで見てみると微妙に判断が難しい。まずこれ寛文年間に板行されています。近代以後だと、中根淑校閲『百万塔 』第10巻(金港堂、 明治25年)としておそらく初めて翻刻され、ついで富士川游編『杏林叢書』第3輯(吐鳳堂書店、大正11年)にも入っています。ですから、あるにはある。しかし手記の書き手がこれらを閲していたかどうか、微妙。古書としてたまたま入手した可能性はあるのですが、戦後において近世随筆を読むとしたら、やはり『日本随筆大成』ではないかと思うのです(伝わるか? このニュアンス)。で、当該古典がどの巻に入っているかというと森銑三、北川博邦編『続日本随筆大成』第10巻(吉川弘文館、1980)になります。どの本で読んだか、を押さえることは文学研究の基本です。この青年の知識背景の評価が難しいので、絶対にこれとは言い切れませんが、戦後もっともアクセシビリティの高かった同書によって『醍醐随筆』を読んだのではないかという推定は、ある程度の妥当性があると思います。

〈世の中が高度経済成長を迎えると〉(同)▶意外なことに『国史大辞典』『大衆文化事典』などにはこの概念の提唱者が出ていないのですが、自然発生語なのでしょうか? デジコレだと1960年11月から突如として経済雑誌類で多用されはじめています。

〈古本屋まで戻り(…)池田弥三郎『日本の幽霊』(中央公論社)を購入した〉(p96)▶作中で作家が分析している通り、1959年発売の書籍です。

〈夕食はインスタントラーメンで済ませた〉(p97)▶『大衆文化事典』「インスタント食品」(宮内泰介)によると、1958年に日清食品が「チキンラーメン」を発売開始し、以後他社が類似商品を展開。もともと森永のコンソメスープなどインスタント食品はありましたが、「インスタント」の語が普及したのはチキンラーメン以後だそうです。

〈涼みながら缶ビールを飲み〉(p98)▶『大衆文化事典』「ビール」(槌田満文)によると、国内で缶ビールが発売されたのは1958年。

〈白色がベースのTシャツだった〉(p99)▶『日国』の初出用例は〈*新西洋事情〔1975〕〈深田祐介〉鎮魂・モスクワ郊外六十キロ「冬のあいだ着古したTシャツを放りこむと」〉。え、新しすぎない? と思ってデジコレで検索しましたが、最古の用例は 『装苑』1970年6月号の記事「SOEN EYE ミディのTシャツ」(北原明子、大倉舜二)です。1970年夏以後、服飾雑誌や週刊誌に出てくるようになりますから、このタイミングで日本に紹介されたと思しいですね。

〈米を洗って炊飯器にセットしていると〉(p109)▶『日本大百科全書』「炊飯器」(正木英子)によると、1955年に電気炊飯器の発売がはじまり、即座に普及しています。まあ家電はだいたいこの時期ですね。

〈ファミレスに入ってランチを食べて〉(p114)▶『日本大百科全書』「ファミリーレストラン」(殿村晋一)によるとアメリカからファミリーレストランの業態が移植されたのは1970年代。もう少し詳しく知りたいので「聞蔵Ⅱ」で検索すると、「朝日新聞」1976年8月25日 東京夕刊の「外食産業 社外報」という記事に、1972年に「すかいらーく」が開業したのが嚆矢だと書かれていました。「ファミレス」と略すようになった時期は不明ですが、デジコレだと1994年に突然複数の雑誌で使われはじめています。「朝日新聞」では1996年まで記事では必ず「ファミリーレストラン」と表現されており、縮約語「ファミレス」が許容されるようになるのは1997年11月20日東京夕刊の記事「ファミレスに日伊枢軸成る 流行のつぼ」以後です。「少納言」を見ますと、書籍における最古の用例は横田克治『ファミリーレストラン(裏)マニュアル 』(データハウス、1994)で、〈チェーンで並・大盛り・特盛りを出すように簡単にはいかないわけなんです。もしも、ファミレスの各メニューで大盛りをお出しできるようにしようとしたら――これはたいへんなこと〉という文章です。デジコレの調査で「ファミレス」が出てきた時期と完全に一致します。以上のことから、1990年代前半に縮約語「ファミレス」が口に上りはじめて、数年以内には文章語としても許容されていった様子が窺われます。このへん、若者言葉や現代日本語の略語についての研究を参照すればもっと詳しいことがわかるかもしれませんね。

〈大学ノートと筆記用具だけである〉(p121)▶『日国』の初出用例は〈*猟銃〔1949〕〈井上靖〉薔子の手紙「スタンドのシェードを加減して其処へ大学ノート一冊を置きました」〉。戦後の語なんですね。

〈ゲシュタルト崩壊を体験しているのか〉(p137)▶本来は学術用語であるにも関わらず、妙に知名度の高い言葉です。こういうのは用例調査が難しい。『日国』には立項されていません。もともと戦後すぐに報告されていた症例のようですが、日本に紹介されたのはいつなんでしょうか。国内の学術論文をリサーチできるサイニーで関連論文を探しますと、二瀬由理、行場次朗「持続的注視による漢字認知の遅延 ゲシュタルト崩壊現象の分析」、『心理学研究』第63巻第3号(1996年)が最も古い論文です。で、読んでみますと、重要な先行研究として同じ著者・行場次朗の「反復提示による漢字のゲシュタルト崩壊」、『日本心理学会第47回大会発表論文集』(1983年8月)が挙げられていました。実見できていないのですが、これよりさかのぼる論文が出てこないので、ゲシュタルト崩壊を日本の認知心理学に導入したのは行場氏とみてよいのではないでしょうか。なお、1985年に発表された文学研究書の書評にも用例があります。松浦直巳「山崎隆司著『無からの形象――ウォーレス・スティーヴンズへの接近』」、『英文学研究』第62巻第2号(1985年)がそれです。読んでみますと、書評対象になっている山崎著の刊行は1983年3月、つまり行場氏の論文より早いということがわかりました。書評の引用には〈遂には「梨」の「本体」も見られなくなるというゲシ ュタルト崩壊なる現象〉が起こると述べられています。厳密な経緯は門外漢にはわかりませんが、1983年頃、独語"Gestaltzerfall"が同時多発的に「ゲシュタルト崩壊」と訳されているんですね。"zerfall"は「崩壊」を意味する語ですから、偶然そうなったのかもしれません。むろん、両者に何らかの接点があった可能性は皆無ではありませんが……。山崎著の書き方からすると、少なくとも著者にとっては目新しい概念だったようですし、心理学の論文も行場氏のものより古いものが発見できないので、このころの語であると見積もってよさそうです。なお、大衆にこの語が普及したのはテレビ番組「トリビアの泉」で2005年頃(すみません、正確な日時わからず)に〈文字をずっと見ていて「こんな形だっけ」と感じる現象の名前は「ゲシュタルト崩壊」〉というトリビアが紹介されたことが大きいと思います。

以上、「白い屋敷」の記述に注釈をつけてみました。まとめてみると以下のようになります。

三津田⑦

「黒い部屋」の内容は1980年代以降である、と推定したのは先に述べた通りです。これに「白い屋敷」を加えても、齟齬をきたさないことがわかりました。「シングルマザー」と「ファミレス」は重要な情報です。「ファミレス」という略語の発生時期が厳密ではないとはいえ、「シングルマザー」の初出である1982年よりもさかのぼることはないと考えてよいでしょう。昭和57年以後、おそらくは平成期、とみることができそうです。前節で問題だった「プチプチ」の初出を考慮しなくてよくなったのはありがたい。やはり作中で作家が推定している、1960(昭和35)から1975(昭和50)年という数字は大きくずれているというのは間違いなさそうです。

次回は、「赤い医院」以降の分析を進めていきます。こちらは、今回までのようにうまくいくか、ちょっと不安なのですが……。

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