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タカダ・コーポレーション解散ライブ【はじめに】
タカダ・コーポレーションと言うコンビをご存知だろうか。
かなりのお笑い好きしか知らないと思うが、私が約10年程組んでいたお笑いコンビである。
現在、夫とのコンビ「夫婦のじかん」を組んでいる私だが、以前は「おやき」という芸名の相方と、男女コンビを組んでいた。
左が私。
右がおやき。
タカダ・コーポレーションは2015年に解散した。
普通、芸人の解散というと「経済的理由」や「方向性の違い」な
パーやんが飛んだ日。
私たちタカダ・コーポレーションは「SMショートコント」という少々突飛なネタで一時期お笑い番組に出演していたのだが、驚くことにその後10年間、ショートコントたった3本で生計を立てられていたのだ。
「3本で10年」。
これは驚異の数字である。
なんてコスパの良いことだろうか。しかし芸人の世界というのはコスパの良さを求めることが最善ではないことも多い。
私たちだって好きでショートコント3本でやってき
おやき、人間じゃなくなる。
私たちは約1ヶ月の掃除期間を経てNSCへ復活することができた。
当初は数ヶ月くらいかかると言われていたのだが、当時選抜クラスに入れていただいていた講師の方々の後押しもあって、早めに復帰できたのであった。
本当にありがたくて頭が上がらない。
そんな中、私たちの復帰を後押ししてくださったN先生という方のネタ見せ授業があった。
お見合いのコントの中で私が
と言うセリフがあったのだが、N先生がこ
おやき、ハートの髪型に。
東京NSCをクビになった私たちは当時のNSCスタッフだった1つ先輩のフルーツポンチ亘さんにこう言われた。
何とも優しい先輩である。
優しさとは関係ないが、当時亘さんは何故か髪の毛が青色だった。
やはり芸人たるもの目立たなければという気持ちは自然なもので、それが髪型に表れる人は、当時はより多かったと思う。
そんな中、掃除をしていた私たちにとある構成作家さんが近付いてきた。
反省の意を勝手に
おやき、第1形態完成。
タカダ・コーポレーション結成から2週間足らずで、私たちは東京NSCをクビになった。
クビになった当日は、あまりのことにボーッとしてしまい、家にどうやって帰ったのかも覚えていない程だった。
そして翌日、今後のことを話し合おうと新宿で待ち合わせをすることに。
今後のことを話し合うと言っても、何を話し合うのだろう…。
クビになったから、フリーでやっていこうと言うのだろうか。
正直まだコンビを組ん
おやきから連絡がありました。
先日、突如おやきからLINEがありました。
まずい…。
このnoteバレたか…?
因みにこのnoteはおやきの了承なしに勝手にやっております。
その辺を心配してくれる人もいます。
タカダ・コーポレーション結成
養成所の集団コントの授業で一緒になった私とおやき。
当時私は、「平安コスメティック」という女コンビを組んでいた。
(因みにこの「平安コスメティック」というコンビ名は、平成ノブシコブシ徳井さんが昔組んでいたコンビ名と同じらしく、こんな妙な名前が時を経て被るという奇跡を起こしている。)
コンビ仲がうまくいっていないわけではなかったのだが、私一人でネタを作る形式だったというのもあり、慣れないネタ作りに
おやき、まさかの遅刻の理由
元相方おやきは、とにかく時間を厳守するタイプだった。
何をするにも15分前行動。
大学まで柔道をやってきた体育会系の習慣のようだった。
そんなおやきが、あるとき集団コントのネタ合わせに来ない日があった。
遅刻することなど一度もなかったため、みんなは事故にでもあったのではないかと不安になっていた。
すると、集合場所の品川の公園に、一台の古い原付バイクが到着した。
おやきだ。
40分ほど遅れ
衝撃、初めてのおやき。
おやきを初めて見たのは、吉本の養成所NSCの授業だった。
NSCでは、ネタ見せやダンス、感情表現等いろいろな授業があり、その中の「集団コント」で一緒になったのだ。
因みに、当時のおやきは「おやき」から駆け離れた姿だった。
みなさんが何となくイメージするおやきはこんな風だと思うが、
出会った頃のおやきはこう。
体型こそぽっちゃりだが、金髪で眉毛が昔の田舎の高校生男子くらい剃られていた。
後々