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クビになる。

4月に養成所に入り、7月にタカダ・コーポレーションを結成した私たち。

当時吉本の養成所東京NSCは西大井という所にあった。
そして地方出身のおやきは、上京し、NSCのある西大井に住んでいた。

NSCではネタ見せの授業がたくさんあるのだが、ここで肝心なのがネタ合わせの場所である。
ネタ合わせ、特に慣れない養成所生のネタ合わせは騒音になることも多く、実際に当時の西大井周辺ではネタ合わせに対する苦情の声も出ていたため、西大井でのネタ合わせは全面的に禁止されていた。

そのため、当時の東京NSC生は隣の品川駅等に移動してネタ合わせをしていたのだ。

しかし西大井に住んでいたおやきは、品川まで行くのがとても面倒だった。

そこでおやきは、

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と言ってきた。

「絶対」に力を込めて話す奴ほど信用ならない。
そんなことは数々の映画や漫画で見てきたはずなのだが、この時の私はまだ、人を疑うということを知らなかった。

一抹の不安を抱えながら西大井の公園にてネタ合わせを始めた私たち。


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当時私たちは、漫才でもコントでもなく、おやき発案の「ドキドキ体操」というリズムネタをやっていた。

「ドキドキすること」が起きたらブリッジで踊るというようなショートコント形式のネタだったのだが、この「ドキドキすること」として提案するおやきのネタが、全く共感できないものであった。

・同級生の女の子から久々に電話が来たと思ったらマルチ商法でドキドキ。

・花瓶を割ってしまった子に「正直に謝れば大丈夫だよ」とアドバイスしたのに先生が来た瞬間自分のせいにされてドキドキ。

・ビンタされてドキドキ。

「ドキドキ」が全く共感できないものばかり。

これはもう少し後に気付くことなのだが、全て「おやきがMだから」ドキドキするという、普通の感覚の人が共感できない大きな理由があったのだった。

こういう経緯があり、後に私たちは「SMショートコント」というネタをやることになっていく。

因みにおやきは、この「ドキドキ体操」を非常に気に入っており、相方を代えてはドキドキ体操をやり続けるという猟奇的な行動を取っていた。

勿論、私の前に組んでいた現シソンヌじろうさんとのトリオのときもこの「ドキドキ体操」をやっていたのだ。

少し話は逸れたが、私たちが西大井の公園でネタ合わせを始めてわずか1分が経過した時だった。



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突如背後から声がした。

恐る恐る振り返ると、当時東京NSCのプロデューサーであったSさんがこちらを見ていた。


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私たちはNSCの授業中に必ず付けなければならない顔写真入りの名札を没収され、結成わずか2週間足らずでクビになったのであった。 

次回、おやきがついに「おやき」の第1形態になります。

解散ライブのチケット代がわりにサポートいただけましたらこんなに嬉しいことはありません!リアルに1児の母なので養育費にさせていただきます。