おやき、人間じゃなくなる。
私たちは約1ヶ月の掃除期間を経てNSCへ復活することができた。
当初は数ヶ月くらいかかると言われていたのだが、当時選抜クラスに入れていただいていた講師の方々の後押しもあって、早めに復帰できたのであった。
本当にありがたくて頭が上がらない。
そんな中、私たちの復帰を後押ししてくださったN先生という方のネタ見せ授業があった。
お見合いのコントの中で私が
と言うセリフがあったのだが、N先生がこう言った。
普通じゃない見た目になった「正村」くんは、急遽来週までに芸名を決めることになった。
このnoteの中ではわかりやすく「おやき」と言っていたが、実はこの時点ではまだ本名の「正村」で活動していた。
私もこの当時は確か「正村くん」と呼んでいた気がする。
そして早速、芸名会議が行われた。
私はとても悩んだ。
芸名というのはその人の芸人人生を左右するものであり、とても重要なものだ。
軽い気持ちで決められるものではない。
そして、しばらく考え込んだ末、ようやく一つの名前が降りてきたのだ。
秒で却下された。
その他いろいろな芸名を提示してみたものの、やはり最初に思いついたチンパくんに思い入れが強くなり、なかなか良い案が浮かばなかった。
さりげなくチンパくんをもう一度織り交ぜてみたものの、全て却下だった。
結局芸名会議はなかなか進まず、当時東京NSCのプロデューサーであったSさんにも相談してみるとおやきが言い、その日は別れた。
そう、Sさんとはクビ宣告をしたあのSさんである。
Sさんは吉本の社員さんであり、NSCの講師をしているわけでも、構成作家等の仕事をしているわけでもなかったのだが、とにかくNSCの全てのことを管理している方であり、面倒見も良かったため、いろいろと相談をしている人も多かった。
余談だが、私は未だにSさんとは時々みんなで集まって食事会などをしている仲である。
(コロナ以前)
すると翌日、おやきから電話がかかってきた。
まさかの決定通知。
Sさんと相談し、何かいい案があればまた芸名会議でもして決めるのかと思っていたが、どうやら既に決定していたようである。
恐る恐る私が聞くと…
は?
そう呟くのが精一杯だった私などお構いなしに、おやきは芸名の説明を始めた。
としか言えなかった。
て言うか私たちの最終目標はルミネなのか?
様々な疑問が過ったが、どう思いました?と聞いたおやきに対し、
「それ以外の芸名だったら何でもいい」
と答えてしまうくらい、とにかく変な芸名だったのだ。
しかしおやきは気に入ったようで、とうとう芸名は正式に「おやきtheつなちゃん」に決まり、芸名登録の手続きを完了させた。
はじめのうちは耳馴染みがなかったが、日が経つにつれ、人間離れした見た目と「おやきtheつなちゃん」という芸名がマッチしているようにも思えてきた。
そんな中、NSCの授業にめざましテレビが取材に来られるという機会があった。
当時フジテレビの新人アナウンサーであった高橋真麻さんと私が番組の中でショートコントを披露することになり、おやきもコンビの相方として初めて地上波に映ることとなった。
いつもの5倍のテンションで自己紹介し、ばっちりオンエアもされていた。
しかし、人間離れした見た目とテンションの新人芸人の紹介テロップには、ガッツリと本名が表示されていたのだった。
次回、おやきが空を飛びます。
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