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パーやんが飛んだ日。


私たちタカダ・コーポレーションは「SMショートコント」という少々突飛なネタで一時期お笑い番組に出演していたのだが、驚くことにその後10年間、ショートコントたった3本で生計を立てられていたのだ。


「3本で10年」。


これは驚異の数字である。
なんてコスパの良いことだろうか。しかし芸人の世界というのはコスパの良さを求めることが最善ではないことも多い。
私たちだって好きでショートコント3本でやってきたのではない。いろいろなネタを作っては演ってを繰り返し、結果ショートコント3本しかお金には換えられなかったのだ。

今日は、そんな埋もれていったネタたちの中でも最も忘れることのできないネタ「パーやん」の話を聞いていただきたい。



おやきとのネタ作りは、いつも突拍子もない一言から始まる。

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「空を飛びたい」という言葉のインパクトに気持ちを持っていかれがちだが、「そろそろ」という表現から「空はいつか飛ぶもの」と思っていたことが想像できることが恐ろしい。
そしてここから、空を飛ぶという要素をどうやってコントに入れていこうかとネタを作っていくのだが、そもそも当たり前だが「空を飛ぶ」ということが本当に難しかった。

ひとまず空の飛び方は置いておいて、どういう設定で空を飛ぶかを話し合った。

するとおやきが、

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と言った。

おやきはとてもパーマンが好きだったのだ。

まだサブスクもあまり無かった時代だったが、TSUTAYAでパーマンを借りて来ては夜な夜なそれを観ながら眠るという、アラサーぽっちゃり男子としては少し猟奇的な行動を取っていた。

私もパーマンは勿論、藤子不二雄作品は全て好きだった。
パーマンの世界観をコントでやってみたいという気持ちもわからなくない。

しかし、

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こうしてコント「パーやん」が生まれたのだった。


ざっくりとコントの内容を説明すると、

ピンチに陥った女性(私)が、「誰か助けて〜!」と叫ぶとパーやんがやってきて、なんだかんだあって結果的には助けられ、「パーやんありがとう!」とさよならすると、パーやんは空を飛んで帰っていくという流れだった。

「空を飛んで帰っていく」という箇所以外は特段変わったところも無いのだが、とにかく「空を飛ぶ」というのがかなりの難所だった。


結局自力で空の飛び方がわからなかった私たちは、とりあえずそのまま作家さんとのネタ見せへ向かった。


空を飛ぶところまではコントをやり、

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と、真剣なネタ見せの場でふざけていると思われても仕方のないような発言をせざるを得なかった。

しかし、東京吉本の若手を取りまとめている作家のYさんがここで耳を疑うかのようなことを言ってきたのだ。


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「お前ら何言ってるんだ」
「空を飛ぶってどうするんだ?」
「自分たちで考えろよ」
「劇場に迷惑は掛けるなよ」

そんな言葉が返ってくるとばかり思っていたのだが、

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むしろ、空を飛ぶネタ誰かもってこないかなと長年待っていたと思われてもおかしくないような発言である。
普段どちらかというと雑な言葉を使いがちなYさんが、フリーザを思わせるような敬語を使っているところにも、Yさんなりの特別感を感じざるを得ない。


それからYさんは、空の飛び方を意気揚々と私たちに説明し始めた。


昔何かの企画でやったことがあるようで、細かい説明は一度では把握できなかったが、Yさんは縄と滑車を使って空を飛ぶ装置が作れるということがわかった。

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と私が聞くと、

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と、またもや最後はフリーザ敬語で締めくくり、後は当日のお楽しみとでも言わんばかりの雰囲気でその日のネタ見せは終わった。


そしていよいよライブ当日。

空の飛び方を全く聞かされていないまま本番を迎え、不安が無いわけでは無かったが、Yさんのあの自信たっぷりな表情を思い出し、きっと空も飛べるはずとなんとか信じるしかなかった。


しかし……



ライブ会場にYさんの姿が無かった。


仕事で遅れているのだろうか。
遅れるにしてもリハーサルの時間にはいてくれないと、空の飛び方がわからない。

不安になり、後輩の作家に尋ねてみた。

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リハーサルの時間まであと30分。


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リハーサルまであと20分。

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Yさんは全く現れる気配も無く、連絡もつかなかったのだ。

Yさんは縄と滑車と言ってはいたが、滑車を手にしたところで、私たちには使い方がわからなさ過ぎた。 

とりあえず縄を作家のIくんに用意してもらうことにして、その間どうやって空を飛ぶかおやきと2人で必死に考えた…。


そして大慌てでIくんが用意してくれたのが、


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縄だ。

私が東急ハンズに行ったとしてもこれを買うだろうという、縄中の縄。


しかしこの縄の縄さ加減を見て、益々これでどうしたら空を飛べるのだろうかとわからなくなってきた。


そうこうしている間にリハーサルの時間になってしまった。

舞台が明転してから、会話部分等は端折りながら、音響のきっかけのある部分だけを確認していくリハーサルの作業。

コントの終盤、はけていったパーやんに対し

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と言う私のセリフきっかけでパーマンのエンディングテーマが流れた。

すると、舞台の中幕が開いていき、

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パーヤンが空を飛ぶのだが…


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正直、まだどうやって飛ぶかを決めきれていなかった私たち。

しかしもう時間が無い。

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私たちの心は決まっていた。

私はおやきの腰に縄を巻き、ぎゅっと締めた。

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そして舞台の上手下手の上方で見学していた後輩芸人のみんなに縄を持ってもらい…

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一気に引いた。



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全然浮かない。


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1mmも飛ばなかった。


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リハーサル大失敗。



結局一度も空を飛ぶことなく本番を迎えることとなった。

因みに、パーやんの衣装はヘルメット部分だけ作っていて、体部分はボディペイントだったのだ。
素肌に縄をくくり絞めているのだから、そりゃ痛いはずである。

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するとおやきがダンボールを腹回りに巻き付け始めた。

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後輩にも協力してもらい、両側から縄を引っ張ってみた。


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謎の男気を見せ、いよいよ本番が始まった。


パーやんのボディペイントというインパクトもあり、序盤中盤はまずまず暖かい雰囲気のままコントは進んでいった。


そしてラスト。

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私のセリフをきっかけに音楽が鳴り始め、中幕が開いていく。

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中幕が開くと、ダンボールを腹に巻いているパーヤンがうつ伏せ状態で待機。

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意味がわからなさ過ぎる。



しかしもう飛ぶしかない。


後輩たちが両側から一気に縄を引っ張る。

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ズルッ!!


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開始1秒でダンボールが滑り飛んでしまった。


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ダンボールを用意した意味が全くなかった。


しかし、ここでおやきの目の奥に炎が灯った。


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この合図を感じ取った後輩たちが、覚悟を決め力一杯引っ張った。


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この世のものとは思えないうめき声と、聞いたことのない何かが潰れるような音と共に、パーヤンは、3cm浮いたのだった。


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そしてここからは私の人間としての尊厳を守るため、公開にはできないのだが、この後まさかの不幸が私の身に襲いかかった。

ただ、それだけで有料記事にするのも申し訳ないので、この話のオチと共に、実際の当日のパーやんの写真や、コミケのコスプレイベントに参加したパーやんの写真も紹介していきたい。

もし記事を読んでみたい、または応援してくださるという方がいましたら、この先へどうぞ。


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