僕は生きていけなくなりました。これまでの罪とこれからの道。
この記事は僕の感情や個人的な内容を多く含みます。
僕の弱さ、現在の状況を包み隠さずに、ありのまま書いてありますので、自分にとって有益な情報だけが欲しい方はブラウザバックをお勧めします。
さて、僕は生きていけなくなった。
どうしたものか。
人間が生きていくために何が必要かを改めて考えてみると、なるほど、いろんな要素がある。
健康。
これは2ヶ月間の休職期間を経てなんとか回復した。現在は、心身ともに健康的だ。
生きる意義。
うん、これも自身はないけれど、ちゃんと持っている。これも問題なさそうだ。
お金。
うん、マズいね。
傷病手当だけでは生きていけない
あの日の僕は、仕事で過度のストレスを抱え、ついに限界がきた。
そのまま心療内科に向かい、「適応障害 + 躁鬱症状」と診断され、そのまま会社を休職した。
その時僕は医者から言われるがままに、しっかりと、ガッツリと、仕事を休んだ。「適応障害」の一番の治療は、仕事から離れることだったから。
周りで働いている友人を見ると後ろめたくなったけど、なんとかして”自分は今、休んでも良い人間なんだ”と思い込んで、騙して生きてきた。
けれど、本当はそうじゃなかった。
休職期間中、収入の無くなった人を支援するために「傷病手当」というものが用意されている。
これは本当にありがたい制度で、僕のように精神、もしくは身体に不調をきたして休まざるを得なくなった人に対して、一定数の手当てを支給するものだ。
支給される額は過去12ヶ月分の給与の平均の3分の2。
要するに、これまでもらっていた月給のうち、66%が保証されるということだ。
一切働かなくても7割程度が保証される訳なので、かなり美味しい、いや、ありがたい制度だと言える。
要するに、
一般的に、給与の7割ももらえていたら生きていけるでしょ?
贅沢はできないけど、これで体の調子直して復帰か転職しろや
という制度である。
ところが、僕はこの傷病手当だけでは生きていけなかった。
まず大前提として、十分に貯蓄がある人、そもそもの基本給が高い人は、おそらく傷病手当だけで問題なく生活できるだろう。
ただ、僕の場合、ちょうど2ヶ月前の引越しで貯蓄はほとんどなくなり、
しかも会社の近く、港区に引っ越したことで家賃は2倍以上になってしまった。
さらに、僕の月給は、まあそれほど高くない。
その分副業がOKな訳だけど、それでも収入が多いとは言えない。
そんな中での給料7割。
もちろん余裕を持って生活している人であれば問題なく生きていけるだろうが、今後を見越して拠点を移動したばかりだった僕にとって、この7割というのはあまりに少なすぎた。
正直なところ、今月の家賃、これが払えない。
アテにしていた傷病手当の支給が遅れたこともあるけれど、どっちみち予定通りの日に7割の給与が支給されていたとしても、ジリ貧で結局いつか払えなくなっていただろう。
僕は今月の家賃すらも払えなくなった。。
そして、僕は死んだ。
社会的に「死ぬ」ということ
とはいえ、
ええ、もちろん、生きています。
こうして記事をせっせと書いている訳なので、もちろん生きている。
こんな危機的状況で悠長に記事を書いている場合か!
というごもっともな意見は腹の中にしまっておいていただきたい。
僕の罪を記録するため、そして、同じような状況に置かれた人に、エールを送るために、僕はパソコンを開いたのだ。
冒頭で言ったように、生きるためには「お金」が必要不可欠だ。
その必要不可欠なものがなくなったということは、要するに、社会的に「死んだ」ってことだ。
単純に、自分が払うべきお金以上の請求が来るってことは、破産してるのと同じだ。
法的な破産手続きに入っていないだけで、「破産」と何一つ変わらないのだ。
社会人は皆、一生懸命に毎日働き、そのお金でなんとか家賃や食費、光熱費を払っているんだ。
それができないってことは社会人として「終わり」。
死んでるのと何ら変わらない。
では、家賃の払えない僕は一体どうするのか?
夜逃げして橋の下で暮らすか、
名前を変えて外国にでも行って別人として暮らすか(まあ、そんなお金もないのだが)。
こういう時、答えは一つしかない。
そう、親のスネをかじることだ。
僕の罪。
僕の罪を懺悔しよう。
結局のところ、頼れるのは親しかいなかった。
うちの家庭は比較的裕福な方だったが、それは昔の話。
今では父は退職し、母はパートだ。
実家で暮らす姉を含む3名の食費を稼ぐために、母は汗水を垂らし、父もアルバイトを始めたそうだ。
60歳にもなる2人を散々働かせて(今も働いているのだが、2人は僕に自由に習い事をさせるため、塾に入れるため、大学に入れるために何十年も働いてきた。)、挙句、僕はまだ2人からお金をむしり取っている。
体調を崩したんだから仕方ない?
それは僕が振りかざすことのできる唯一の言い訳だが、もはやそんなものは何の意味もなさない。
僕が大学生の時、数ヶ月分の家賃を親に払ってもらった時があった。
その時も確かバイトが決まらなくて、家賃が払えなかったんだよな。
それ以外にも、あまりに多くの迷惑をかけてきた。
理系大学に入ったのにロクに理系の勉強もせずに文系の学部の授業を受け続け、
挙句、そのせいで半年間の留年。
幅広い分野を学べたんだから良かったじゃないか、なんて擁護は期待できないだろう。
やっとの思いで卒業した僕だけど、勉強に精一杯で就活をしてなかったので、卒業してからの就活。
理系の学部を卒業して、その後就いた職業はまさかのデザイナー。
「は?」と言って、親たちは落胆したことだろう。
その仕事は月100時間の残業だった。
そんな過酷な状況でストレスを抱え、体調を崩した僕に、
父も母も、「もう頑張らなくて良い」と言ってくれた。
僕はそのまますぐに会社を辞め、再びバイトを始めた。
しばらくしてIT系の企業にデザイナーとして就職した僕。
両親はとても喜んでくれた。
長く続けば良いなと、僕も含め、誰もが思っていた。
それから1年が経ち、突然息子から電話がかかってくる。
「申し訳ないが、適応障害と診断された。」
「仕事が続けられそうにないから、明日から休職する。」
その時、両親はどれほど絶望したことだろう。
一体どれほど、迷惑をかければ気が済むのか。
育て方が間違っていたのか。
なぜこんなにも、何もかもうまくできないのか。
それがこんな僕に抱く、正直な思いだろう。
人の気持ちがあまり分からない、そんな僕でも、それくらいは分かる。
僕の罪を懺悔しよう。
僕のこの人生における罪は、頑張って僕を育ててくれた2人にかけたいくつもの迷惑だ。
子供の頃はどこに行っても優等生だった僕。
生徒会長として卒業式で立派なスピーチをし、それを見た親は泣いていた。
今、両親が流す涙は、それとは全く違う。
あの頃の誇らしい僕は彼方に消え、自由、いや、身勝手で迷惑ばかりかける子供となった。
だとしたら、「育て方を間違ったのか」なんていう疑問が出てくるのも当然かもしれない。
僕は今ここで、僕の罪を懺悔する。
その懺悔が金になるのなら良いんだけど、この場で悔いたところで何の意味もない。
だけど、僕は今ここで、2人に心の底から詫びたい。
僕は理想的な息子でありたかった。
あの日スピーチをして会場を沸かせた僕のように。
いつだってテストで100点を取って得意顔をしていた僕のように。
それこそが、2人の幸せなんだろう。
今の僕が生み出すのは罪、不幸だけだ。
僕の罪を懺悔しよう。
決められた進路に逆らって、自由な道を進んだ僕。
その結果、今僕はどこにいる?
これまでに、2人に何を見せられただろう?
大学を卒業させたのなら、その後は2人で平穏でゆったりとした老後を送れると期待していたのだろう。
そんな2人に、僕は水を刺すように金をせびる。
その分2人は明日も、明後日も、これからもずっと、
汗水垂らして働いていく。
その時僕は何をしているのだろうか?
働くこともできず、
僕は今日も好きなように時間を使い、毎日をゆったりと生きる
本当は、二人がこうなるべきなんだ。
さあ、僕の罪を懺悔しよう。
贖罪。
さあ、罪を償おう。
打ち首にするなり、煮るなり焼くなり好きにしたらいい。
そうでないのなら、自ら電車の走るホームに飛んで行くか。
それとも高いビルから地上飛び降りてみるか。
もうすでに死んでいるのも同然だ、
今更どうなろうと、関係のないことだ。
でも、それで何かが変わるのだろうか。
僕は自分の罪をなんとかして償わなければならない。
それだけじゃ足りない。
それを何倍にもして返さなきゃいけない。
これまで何度も期待させ、裏切り、迷惑だけをかけ続けてきた人生だった。
これからの全てをかけて、それを何倍にもして返さなきゃいけない。
例えば、
復職してまた体調を崩さないだろうか?
職場に戻って居心地は悪くないだろうか?
そんな疑問が渦巻くけれど、
そんなことはもうどうでも良い。
僕が選択できる道はわずか2種類。
①会社に戻って働きながら一週間のうち数日を他のバイトで賄う道。
いきなり週5日勤務するのはキツイから、バイトと並行しつつ、肩慣らしをするという作戦だ。
②会社をきっぱりと辞め、別の仕事を探す道。
こちらはリスクは大きいが、僕の気持ちが晴々するし、収入も増えるかもしれない。
僕はおそらく①を選ぶだろう。
どっちにしろ、常にリスクはあるんだ。
僕がまた精神に不調をきたす可能性。
ある日突然休んだ僕を会社側が解雇してくる可能性。
でも、そんなものはどうなるか分からない。
そんなこと考えてる暇があったら、自分のため、2人のために動いた方がずっといい。
もう一度挑戦して、やっぱり復職が難しければ、その時は辞めたらいい。
辞めて、とにかく働けば良い。
その後就いた仕事がどんなに退屈でも、働くしかない。
僕は今、恥にまみれている。
忘れっぽい僕は、こんな自分の姿すらもそのうち忘れてしまうのだろうか。
だが、少なくともしばらくの間、僕はこの恥にまみれた姿を忘れないだろう。
もちろん、僕の人生は親のものではなく、僕自身のものだ。
でも、誰かから受け取った「恩」は返さなきゃいけない。
それが何年頑張っても返済できないくらい溜まっているのなら、明日から一個ずつ、しっかりと返して行かなきゃいけない。
この2ヶ月、全部が無駄だった訳じゃない。
自分の弱さを知り、
変えるべき部分を知り、
自分の個性を貫き通すべき部分も知った。
自分の弱さで明日の自分が傷つくことを知った。
僕には苦手なことが多すぎることも知った。
そして、僕が恥にまみれていることを知った。
あの時親を涙させた僕と、今親を泣かせている僕。
2人で一緒に謝ろう。
そして、昔の僕はさようなら。
今の僕は、今の僕だ。
今の僕なりに、全力をかけて、恥にまみれて生きていこう。
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