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【目印を見つけるノート】613. オリーブの木の下で新しい歌を歌えるように

出だし、世界史の授業のようになりますが、よろしければ😅
先日、テレビでグラナダ(スペイン)のナスル朝の遺構を特集している番組を見ましたが、幾何学を駆使した本当に素晴らしい装飾でした。

見たことがなかったのです。
さんざん、レコンキスタと書いているのに。

レコンキスタ(キリスト教国家による国土回復運動のこと、718~1492)、イベリア半島にイスラム教の国家が進出していた時期ということです。時期、といいましたがそれは約800年も続きました。その間に地元のキリスト教勢力が断続的に戦いを挑んでいました。最終的にはアンダルシア地方のグラナダという町に拠点を持っているナスル朝だけになり、他の地方の連合軍に敗れました。

ちなみに、そのカスティーリャ=アラゴン連合軍の女王(王もいますが)が有名なイザベラ女王ですね。
コロンブスの航海を支援したひとです。

800年というのは半端な長さではありません。1492年を起点にすると、718年は中国は唐代であの有名な玄宗皇帝が即位した頃です。フランク王国のピピン3世の治世、日本がちょうど平城京!
うーん🤔、その物差しでは分かりづらいですね、800年(正確には774年)。

今を起点にすれば、1247年、えーと、鎌倉幕府、御成敗式目の15年後です。後で攻めてくる元もいよいよ興隆してきます。西洋は第7回の十字軍の頃、フランス王ルイ9世が捕虜になってしまいました。十字軍も長かったですね。

くどくどと書きましたが、歴史に横糸をくぐらせると、いろいろな見方ができます。私は年号などを暗記するのはしませんが、このような作業はよくします。
なぜするのかというと、小説を書いているからというのもあります……書いていない頃からそうだったかな。
それはクイズ王になるほどの知識を得るためではなくて、頭の中で組み立てて考えることができるようになるためかと思います。

もとい、
800年のタイムスケールを知ると、今もイスラム文化がイベリア半島を漂うように残っているのも納得できます。

おっと、これは前置きでした😅



私にとって、グラナダの人といえば、詩人・戯曲作家のフェデリコ・ガルシア・ロルカ(1898~1936)です。正確にはグラナダ近郊のフエンテ・バケーロスの出身です。
私の心酔する詩人のベスト3に入っています。あとはT.S.エリオットとポール・エリュアールです。好きな詩人はむちゃくちゃいますが、その最高峰なのです。いい塩梅に英・仏・西ですね😆
ロルカの名前は小学校のときに本屋さんで見て、文字面に怖いと思っていました。その理由は単純で、直前に『ロカルノの女乞食』(クライスト)という本を読んだからでした。怖いお話でしたね。今だにヨーロッパの森は怖いと微かに思っているほど。
ですので、音の似ているロルカも怖いのかと思ったのですね。

ええ、そんなことは決してありません。

ひとことで言えば、自分の生まれ育った場所をとても愛している人だと思いました。グラナダも含むアンダルシア地方を。そこはさきに書いたようにイスラム文化が残り、ジプシーもいて混じりあった風土がある。乾いた土地にオリーブの木々が繁り、緑色の風が吹いている。
すぐパッとそう書けるぐらい、素朴でイメージが強い詩を創る方でした。何も難しい言葉を使わないことも特筆すべきでしょう。
そして、自分の愛する土地をもっと普遍的なかたちで文字にしようとしていました。

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新しい歌

昼過ぎが言うーー影を飲みたい!
月は言うーー飲みたいのは星の輝き
澄みきった泉は唇をもとめ
風がもとめるのはため息

匂い 笑い 新しい歌
これがぼくの飲みたいものだ
月だとかユリの花だとか
死んだ愛などから自由な歌だ

あすともなれば一つの歌が
未来の静かな水面を揺さぶり
そのさざ波とぬかるみを
希望でふくらますだろう

光輝いておちついて
思想に満ちた一つの歌
悲しみや苦しみやまぼろしに
まだよごれていない一つの歌

抒情的な肉体なしに
笑い声で静寂を満たす歌だ
(未知のものへと放たれた
見えないハトの一群だ)

もろもろの物 もろもろの風
その中心にせまる歌だ
とこしえの心の喜びに
最後にはやすらう歌だ

(『ロルカ詩集』長谷川四郎訳/土曜社より引用、一部直しました)

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これは歌に軸を置いていますが、生命とか喜び、自由というものがあってのものなのです。逆にいえば、生命とか喜び、自由を歌ということばで表したともいえるでしょう。
詩人はそのようなことをします😊

ロルカは精力的に著作活動をします。詩だけでなく、戯曲も書きました。
その中では『血の婚礼』を基にした映画が撮られましたし、『ベルナルダ・アルバの家』は日本でもたびたび上演されています。これら有名な戯曲は土地の風習や人の感情が強調された、しかし古典的な悲劇です。
そこにアンダルシアの、イベリア半島の明るさだけではなく影さす部分も描いたのでした。
彼は他の国でも有名になり、ニューヨークに招かれて講演などをしています。そのときに、影さす部分ーーロルカは『デュエンデ』と表現しましたがーーについても説明をしています。

そしてしばらくすると、強大な影が襲いかかってくるのです。

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枝々

タマリットの森のほとり
鉛の犬たち やってきた
枝々の落ちるのを待って
みずから折れる枝々を待って

タマリットにはリンゴの木が一本
すすり泣きのリンゴの実が一つ
ナイチンゲール(夜啼鳥)が黙らせる溜め息を
一羽のキジが追いたてる土埃りの中

だが枝々は楽しそう
枝々はぼくらに似ている
雨のことは考えないで眠りこんだ
突然 まるで木々のように

二つの谷が秋を待っていた
水を膝に坐りこんで
象の歩みの薄明かり
枝々と木の幹をおしのけていた

タマリットの森のほとり
ベールかぶった子どもがたくさん
枝々の落ちるのを待って
みずから折れる枝々を待って

(『ロルカ詩集』長谷川四郎訳/土曜社より引用、一部直しました)

ーーーーー

共和政のスペインでは、フランコ率いる右派の反乱軍とアサーニャ率いる左派の人民戦線が対立し、内線が始まりました。1936年7月のことです。
ロルカは左派を支持していたようですが、政治的な活動をしていたわけではありませんでした。ですので、自分に危険が及ぶと切実に考えてはいなかったようです。
内戦開始から1ヶ月後の8月19日、ロルカは友人の家で逮捕され、他で逮捕された3人とともに銃殺されました。
そして、オリーブの木の根元に埋められました。

彼はとても有名な文化人でしたので、たとえ目立つ発言をしていなくても右派にとっては邪魔な存在だった。
それだけで、殺されたのです。

スペイン内戦はヘミングウェイやシモーヌ・ヴェイユが左派義勇軍の一員として参戦したことでも知られますが、彼らにとってこれは、『自由』と『圧政』の戦いだったのだろうと思います。



12月10日は国連世界人権デーですね。
『人権』という言葉で何を思い浮かべますか。あるいは、「人権を侵害される」という言葉ならどうでしょう。
今、そのような事例を挙げたら本当にきりがありません。ひっくるめれば、人を傷つけるような行ないがまるまるそうですし、安全な暮らしと環境から追いたてるのもそうです、正当な理由なく逮捕、拘禁、刑罰を与えることもそうです。

ロルカが受けた死もそうです。

何を掲げたらいいのか。
何をしたらいいのか。

わかりません。

小学生の作文以下ですが、きれいごとではないだろうとも思います。

私はただ、見ています。
何が起こっているのか。
身の回りで、コミュニティで、国で、世界で。
眼前に出すことは、よく集まれば抑止力になる場合もあります。
何が望ましいのか、どうしたらみんながロルカのいうところの『新しい歌』を歌えるようになるのか、考えることもできます。

私は人の持つそのような力を根っから信じていたりもします。

明日はJohn Lennonの命日です。
彼もまた銃で突然生命を断たれたのでした。
John Lennon『Love』

愛はたいせつだと思います。

愛しています。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

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