ofuki0

うお座。A型。 ●好き ラジオ、zumba、音楽、カラオケ、ドライブ(助手席)

ofuki0

うお座。A型。 ●好き ラジオ、zumba、音楽、カラオケ、ドライブ(助手席)

最近の記事

いたっ

パッション溢れる投稿をした後は 体調が悪くなる仕組み 相当な謎 体の断末魔なのか

    • 日曜の夜のアルバムと睡眠導入

      夜の始まり。 スマホのアルバムの中を さかのぼってしまった。       しまった。忘れてた。 写真はいどんな瞬間も かけがえのないように魅せるものだった。 あの瞬間のスマホ越しの視界を 完全に思い出せる。 あの旬の脂の乗った時代を 健全に思い焦せる。 もういないあの瞬間の私と あなたと、あの人と、、、 たしかに一緒にいた空間を証明している。 知っている。 それは画面越しでしか あり得ないことも。 夜の真ん中、取り残される頭の中。 手垢のついた私の思い出は 意図のど真

      • 増加する「わたし」

        あなたからの承認、賞賛が ほしいほしい 液晶画面から溢れてくる。 「わたし」のため あなたの関心を あなたの時間を くれ くれ 「わたし」に捧げた再生回数は あなたの人生の一部 「わたし」が増えていく あなたの時間はあなたの自由 でも あなたは間違いなく 時間を切売りしているのだ 自分の時間をかけたいことに 出会ったころ 砂時計の砂はほぼ落ちきってしまって 無念、なんとなくの人生終焉 目や耳関心や集中力を 簡単に明け渡すな と今日の自分へ

        • 不思議と好き

          詩とか物語とか映画、演劇とかの作品で 「不思議と好き」、 「よく分からないけど好き」なものは、 あなたにとってどんな存在ですか。 「不思議と好き」には、 素敵なものが隠れていると思うのです。 わたしの初めての「不思議と好き」は 少年王者舘の『思い出し未来』という作品。 初めて天野天街さんの劇をみた私は、 分からないけど笑えるあのシーンの空間に 一瞬溶けてしまった。 訳のわからなさに身を任せて笑う心地よさ。 或いははじめてのスズナリに酔っていたのかも。 そういう田舎娘の背

          好きなものに出会ったら、作者へ作品の愛を

          好きなものを語ること。 学生の時は恥ずかしげもなく出来ていたけど。 社会に出てニュートラルな会話を、 もしくは、相手の時間泥棒にならぬよう心がけると。 自然と、好きなことについて語らなくなっていた。 そんな日々でしたが、好きなものを作った人へ、作品への愛を伝えることを始めました。 きっかけは、中村うさぎさんの『愛という病』を読んで、FacebookのDMで長文の感想と感謝を書き殴ったことだった。もちろん返信はないけど。 作者の表現に込めた想いを、しっかり受けられることが出

          好きなものに出会ったら、作者へ作品の愛を

          やっぱり本に助けられる

          司馬理英子さんの『仕事&生活の「困った!」がなくなる マンガで分かる 私って、ADHD脳?』を読んで 今日は布団から出ることができた。 この本があって良かった。 電子書籍バンザイ。 昨日の夜見つけて読んで寝落ちして、 朝続きを読んで。月曜の朝の布団から出られた。 知識で人を布団から出してくれるってかっこいい。 この本は、架空の主人公がADHDの性質を受け入れていくストーリーを主軸において、読み手の私たちに、こう向き合ってみたら。と指南してくれる本でした。 好きな雰囲気の

          やっぱり本に助けられる

          あなたに届くまでの時間

          しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがあるのではないか とは、中島敦の『山月記』のなかでの一文。 あなたに届くまで、私はどのくらい文を書くのだろう。独りよがりで考え、日々描いている今の文章はあまりにも偏っているし、拙い。 あなたはどこにいるのかは分からないけど。今のままでは、絶対に気づいてもらえないだろう。 社会人としても、自分をみて思う。 このままでいては、だめだ。 まだまだだ。 そして、未熟さと頼りなさから、

          あなたに届くまでの時間

          寂しがりやの帰省

          1人で見る風景、家族で見る風景 1人で食べる食事、家族で食べる食事 ありがたみは、一度遠く離れて、戻ってきた時に。感動とともにやってきた。 慣れ は、幸せで満足死することのないよう、設置された装置なのか。 はたまた、心を波立たせないためのものか。 ともあれ。 意図的に、慣れ から遠く離れることはとても気持ちがいいことだ。 例えば久しぶりに帰省して。 今は亡き、少し前のじぶんと同じベットに寝る不思議。不幸である理由集めに忙しく、それはそれは忙しい日々だった。 幸せな日

          寂しがりやの帰省

          朝、泣いた

          京浜東北線内で流れる映像で、 サンドウィッチマンがうつってた。 2人が、今までの10年どんな心持ちで 芸人をやっていたのか。 本当のところを少し見た気がした。 2人が、震災の時その場にいたこと。各々が使命を感じ取り、笑いで彼らの出来ることをしてきたということだ。 映像の中、2人がそれぞれの方向を向いて、その日を思い出す姿が、本当にグッときた。震災と向き合ってきた日々を少し回想するかのような姿。 ああ、これが2人の姿なんだ。 やるべきことを定めてやってきた人たちなんだ。

          朝、泣いた

          鏡に映る自分をじっとみてからはじまること

          社会ではやっていけない種類の人間である気がする。そう、言ってしまえばそれまでだが、私には普通に生きていく以外の度胸がない。 よって、すごい高度な普通を生きていく必要があります。 段取りや順番が大切。 一欠片間違えると相手は不信感を抱く。 もう、一緒に仕事をしたくないと思われる。 黙って立ち去られる。 黙って立ち去られるのが普通。 怒られることがあれば、それは本当に本当に 有難いこと。 落ち込んで下を向く暇など本当は無いのだ。 落ち込んだ方が楽だから落ち込むのだ。 黙

          鏡に映る自分をじっとみてからはじまること

          欲張

          好きな人とずっといたい。美味しいのものを食べたい。綺麗な景色を見たい。カラオケへ行きたい。平日の疲れを取りたい。 休日だった今日は、 お買い物に行って、それだけ。 それだけでこんなに疲れてしまった。 本当はもっと遊びたいのに。 ずっと過ごせたはずなのに、 彼との別れ際は本当に嫌だ。 欲張なのだそうだ。 今日は、あれもしたし、これもしたじゃあないか。どうしてそんなに欲張なの。 不満そうにその日を終える私へ 彼はそのたびに言ってくれるのだ。 何回目かで、ひょっとして私っ

          サボる才能

          小学校のとき、3者面談の順番待ちのためだったか 放課後の教室で一人、本を読んでいた。 担任の先生が、 あなた、たまには気を緩めなさい みたいなことを言って 4つの机をくっつけたその上に 面談が始まる時間まで寝ていていいよ と言われたのだ。 私は驚いて、そんなことはなかなか出来ずにいた。結局はうつ伏せになって寝ているふりをした。 私は、頑張ってるねだのよく言われるタチだが 全然そんなことはなく、 それ以外のアプローチがわからないだけである。 常に頑張っていなくてはい

          サボる才能

          止まない雨はないが病まない月は無い

          生理前に、 ちゃんと食べてなかったり、 嫌なことを言語化できないまま 自分の中に仕舞い込むと、月一で病む。 私の病むは、思考回路が悲しいことに 死にたい方向に行くこと。ひたすら泣くこと。世界で一番可哀想だと思うことなど。部屋が強烈に散らかること。身だしなみがギリギリアウトになること。それでも平気と思えると。 出来ないことが積み重なってギリギリ週末ゴールインして土日でなんとか自分を癒す。 溜まったプラスチックの山、下着とタオルの山、捨て損なった資源ゴミ。 なんだか地球規模

          止まない雨はないが病まない月は無い

          猛烈にしゃべりたいのに喋る人がいない

          一人暮らしで在宅は、孤独だ。 こんなコロナの時はより一層土日も孤独だ。 ラインを開けてみて スクロールするけど 私には気軽に話しかける相手はそうそういない。 このしゃべりたい衝動に忠実に動くと 自分のことしか考えていないことがバレる それはマズイ。 しかし、それはとうの昔に バレているのだろう。 なんの意味もない。ただ声を出したいだけなんだ。 色んな部活をやって来たけど、 共通してるのが 応援したり、 チームプレイで声出したり、 演技したり、、 ただ声を出してきただ

          猛烈にしゃべりたいのに喋る人がいない

          病みたいから病んでいる

          部屋の一角から、わたしを見る。 私は一体、どうなれば満足なのか。 こんなもに他人に助けを求めて。 苦しんで。 なぜ泣くのだろう。 『嫌われる勇気』の中には 怒りたいから、誰かの言動に怒っている。 とか 悲しみたいから、とある出来事に傷つく。 とか 実はそういう順番なんだという話がある。 その考え方で部屋の一角から私をみる。 しかし実際、現実はクソほど自分がだめであることを知らしめてくる。自分がダメであることを知らしめてくる、と思いたいのは何故だろう。 もう、疲れてしまっ

          病みたいから病んでいる

          気分屋を愛する

          だんだん、だるくなっていく日々を 気づけば、足りなくなっている衣類 周りの人間もさることながら、 気分屋の気分に振り回され 疲れてしまうのは、本人も。 おなかが減ると、良くない 睡眠が少ないと、良くない わかっているが、 えいやっとやって しまえればよいのだが。 こうなると3歩進んで2歩さがる どこに行こうとも思っていないが 私は一体、前 という正しい 良い方向にむかって 進めているのだろうか、となる。 この間は、なんなく跨げたこの線も 明日には、何故だか先に進めない

          気分屋を愛する