病みたいから病んでいる

部屋の一角から、わたしを見る。
私は一体、どうなれば満足なのか。
こんなもに他人に助けを求めて。
苦しんで。
なぜ泣くのだろう。

『嫌われる勇気』の中には
怒りたいから、誰かの言動に怒っている。
とか
悲しみたいから、とある出来事に傷つく。
とか
実はそういう順番なんだという話がある。

その考え方で部屋の一角から私をみる。

しかし実際、現実はクソほど自分がだめであることを知らしめてくる。自分がダメであることを知らしめてくる、と思いたいのは何故だろう。
もう、疲れてしまったのか。では、どうして疲れたかったのか。どうして苦しみたいのか。

どうしても病んでしまう。病んでしまうことは負担だから避けたいものだ。でも、もし自分自身が選んで病んでいるとするならば。それってめちゃくちゃコメディじゃないか。すごく面白いじゃん。

わざわざ病んで、馬鹿みたい。というなんか泣きたい気持ちではなくて。冷静に、自分は面白い。自分にもこんな面白いところがあるのか。

今までの病みは全て私が望んだことだったとしたら。ある意味で、生きることを楽しんでるんじゃないか。私はそういう方法を好んで、あの瞬間を生きていたのだから。私なりの楽しみ方だったのか。苦しく思ったけど笑

本当は、全部洗いざらい話したい。
私の課題とか、最近あったダメダメなこととか。あなたに私がダメであることを認めさせたい。そのくらいダメだけど。本当に実際はそうなんだけど。

なーんだ、ダメだと思うことで。病むことで私は日々をエンジョイしようとしてるのか。と思うことで、なんか自分がかわいらしくも思えてきた。

...上の全てがそう思いたかったから、
考えが出てきたのだとしても。
それは、私にとっては大きな進歩だと思う。

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