あなたに届くまでの時間

しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがあるのではないか

とは、中島敦の『山月記』のなかでの一文。

あなたに届くまで、私はどのくらい文を書くのだろう。独りよがりで考え、日々描いている今の文章はあまりにも偏っているし、拙い。
あなたはどこにいるのかは分からないけど。今のままでは、絶対に気づいてもらえないだろう。

社会人としても、自分をみて思う。
このままでいては、だめだ。
まだまだだ。
そして、未熟さと頼りなさから、
人々は離れていく。
一緒に仕事をしたいなんて思ってもらえない。
仕事をあげたいなんて、もってのほかだ。

わたしは、かなりのバカらしい。

考えることをサボっていると、時間がどんどん無くなっていく。学習する時間も反省する時間も寝る時間も取れない。

考えないで生きていくと。
なぜこうなったか。なぜここにいるのか。
という問いでさえも頭の中にはないのだ。
それはとてもおそろしく、絶望的な状況。

今は、その状況を辛うじて外から見ているようだ。外から見ても真っ暗闇。とても絶望的で失われた空間。考えなかった日々。考えずに悩み苦しんだ日々。

仕事、ちゃんと出来る様になりたい。
たくさんの人と、仲良く仕事をしたい。

なにかを作りたい。
それはなんだ。
文章か、歌か、劇か。
どれもこれも未だ未だかけらもない。
作りたいのは、何故だろう。

きっと、作ったものを通してしか会えない
あなたに会いたいからだ。

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