チチバビン

マージナル・ウーマン

チチバビン

マージナル・ウーマン

最近の記事

三連休

 日曜日はいい一日を過ごした。私はもうこのまま終わったって構わないと思った。  いつだって人は孤独だが、しかし過去から未来へ続く遺伝子の正体たる二重螺旋の一捻りとなったときに、その対には、確固たる他人が居る。我々はそうして次の複製を作り、朽ちる。その責務を果たさずして死すのは、すこし悲しい。  ただ私はそれでいうとここで終わるべきかもしれない。そうやって完全になろうとすることは傲慢であり、真に孤独であることが私の罰だとも、感じる。

    • すべて

       私はどこまで私の気持ちを人に押し付けて良いのだろうかと思う。だって恋愛とは性愛とはそういうものだろう。いや、「そう」ではないから、今「こう」あるのだろう。  私はどうにも人より意志が弱い。どうしてもこれは譲れぬというものがない。強いて言うならばこの怠惰がわたしに頑固に付き纏っている。  私は他人を愛しているのではなく、所詮自分しか見えていないのではないかと思う。それは私が最も危惧するところであり、避けてきたことである。  しかし、交際して間もない頃の、絶対に悲しい思いをさ

      • ライブレポ2 (ツー)

         大切に思っている人の、サークルの卒業ライブを見に行った。一人で行くのは怖かったので、友達について来てもらった。  1年くらい前に、初めてライブハウスに行ったときには、ライブに瞑想とトリップ性があることがわかった。その経験から、今回もすごく良いのだろうと思ったので、1時間前に「美しいものをより美しく思えるような状態」になれるようにした。  友達と二人でバスに乗って、行った。ライブハウスの入り口を間違えて、しばらく焦ったが、もう少し歩いた先に本当の入口があって、入れたので、一体

        • 小学校以来の友人と会った

           小学校の友人と会った。私は中学受験して地元を中学で離れたので、彼女らと会うのは小学校卒業以来であり、本当に10年ぶりとかだった。  博多駅で待ち合わせをした。昼過ぎに起床し、研究室に顔だけ出して、そそくさと福岡へと向かった。お土産にもみじ饅頭を持って行くのは忘れなかった。  充電がなかったから、最近お気に入りの音楽が聴けないままに改札を出た。人がいっぱいいたので、そんなすぐに友人ふたりを見つけることはできなかった。だけど、一度視界に入ると、彼女らこそが我が旧友だということ

          ココモク

           心目的で近づく行為、ココモク。  ある種ヤリモクよりたちが悪いようにも思う。相手を呑んでしまう気がする。ゆっくりと食らってしまう気がする。気づいたときにはもう逃げられなくて、ただ溶けていくのを自覚するしかないのだ。  一つになりたいけどなりたくないジレンマこそが性愛だ。  私にとっての金ピカは何だろうな

          兄弟姉妹

           なんの取り柄もない人間は何を持って自分を肯定すればいいのか。  誰が見ても、弟は卑屈で臆病で、発達段階で何かあったに違いない性格をしている。容姿もいかにもなオタクくんである。  もう弟も大学生で成人しているので、いまの彼の現状は自分の責任であると思う。そう思いたい。  でも育った環境の影響をすべて否定するのはまた違うように思う。  彼は気が遣えて優しい、と母親は言う。  でもそれが一体何になるのだというのだ、それはただの「理解ある息子くん」ムーブだろう。自分が叱られない

          お世話になっております

           拝啓  紅葉がきれいな季節になりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。    私はどうにもやはりどうしようもない人間で、周りの人が私を慮り、一人の人間として尊び扱ってくれているにも関わらず、当の本人なのに自分を尊重できずにいます。  自分を大切にできない人間が、他人を大切にできるはずがありません。私は、本当に他人に幸せになってほしいと思っていますが、中身が伴いません。私は人に優しくしたいと思っていますが、できるだけ迷惑はかけたくありませんが、口から出る言葉はすべて他人の

          お世話になっております

          人生の指針

           なかなか寝付けないので、noteでも書こうと思った。  思えば、今年の私の周りは目まぐるしく変化した。研究室に配属して、生活が変わった。生活が変わると、付き合う人も変わる。付き合う人が変わると、私の価値観も影響される。  私は以前より他人との付き合い方が分かってきたような、まだ全然浮いているようなそんな気もする。ただ、今すごく幸せだと思う。今ここで死んでも、まあ構わないと思うくらいには幸せだと思っている。  今年始まったこの環境も、3年で終わる。大学院を卒業したら、また今

          「体育」からの真なる解放

           私は運動がすごく苦手で、体力もなくて、やる気もなくて、だから体育の授業がすごく嫌いでした。物心ついたときからずっと運動への苦手意識は払拭できず、劣等感を確かに感じていたのです。  今でも苦手ですし、できればやりたくありませんが、できないことに対する過度な悔しさというか劣等感というか、そういうのから解き放たれました。  きっかけになったのは、研究室対抗の野球大会です。  私は、チームプレイの球技で壊滅的に運動ができない「女(ここでの女は、保護されるべき対象なので面白に昇華す

          「体育」からの真なる解放

          言葉がでてこない

           人と関わる上でけっこう大事な言葉が、でてこない。考えていることをうまく言語化できない。わたしはいままでそうして欲求不満をアウトプットしてきたのに、なんでか最近うまく話せない。  仲のいい人ともそうだ。何を話したらいいのかわからない。関わりたいのに。自分の気持ちもよくわからない。なんと言って表したらいいのかわからない。うまく言葉が出てこない。  何もしたくない。さよならを教えてをやった。ぬきたしを全部やった。スス子アペンドもクリアした。さよなら。最期の言葉。さよなら。さよなら

          言葉がでてこない

          遺書

           拝啓  もう朝晩は肌寒く赤黄色の季節がやってきますね。僕らが騙し騙しやってきた恋愛も終わりかもしれません。  ぼくは本当に君のことが好きで好きで、どうしようもなくだいすきで、PKshampooを聴いても、空気階段の踊り場を聞いても、ぬきたしをしても、君が一度だけネタバレしてきたシーンのことを思い出して、胸がギュッとなります。  ぼくが懸念していたことが、そして君もずっと気になっていたであろうことが、やはりどうしても折り合いのつけられないことでしたね。こればかりは本当に僕が

          救い

           他人がいるから自分を感じて苦しくなるが、その堂々巡りの思考から解脱させてくれるのもまた他人だったりするんだ。他人と自分、生きている以上どう考えたって隔たりがあって違う生き物のはずなのに、気を抜くと境界線が曖昧になる。  思考なんてふわふわしたものに何故固執してしまうのか。わたしは何を気にして、何を善しとして生きようか。  死は救済ではない。私はいいけど私の周りの人に悪い。あいにく生殺与奪の権は自分のぶんしか持っていないので、悲しませるくらいなら一緒に……なんて傲慢な真似もし

          ネオ・思考

           私ってただ許されたいだけなのかもしれない。ほんとは傲慢にもまだ生きていたくて、一緒にいたくて、許されたい。自分が幸せであり続けたいから。  このまま何事もなかったかのように平然と平生を過ごせばよい。でも技術倫理的に宜しくない。私は私という製品に対する説明責任を果たしてない。これから起こりうるリスクを回避するにはたとえ企業が傾こうとも倫理的に清くあらなきゃいけない。  という詭弁。私は自分を開示してそれで楽になろうとしている。勝手に悩んで勝手に終わろうとしている。  私を手

          ネオ・思考

          リミナル・思考

           ここ数日色々考え込んでいるのは、帰省して環境が変わったからだけど、本質的には暇だからだと思う。やることに追われていたらこんな答えの出ないことをぐるぐる考えることはない。  暇だから考え、考えるから哲学や宗教やらをインプットし、文章やら絵やら音楽やらでアウトプットするんだ。いやそうなのかな。私は別にそんな大層な信念を持ってチラシの裏に絵を描いていたわけではなかったな。  小さい頃から絵を描くのが好きだった。私には芸名があって「ミカキ アイカ」と名乗っていた。大きくなってから美

          リミナル・思考

          罪 死 性愛

           専ら考えていることはこの3つだ。  罪は自分が悪いと思って罪悪感に苛まれることがあったらそれが罪なんだ。それが他人にとって些細なことでもそうでなくてもその人次第だと思う。免許センターで交通事故遺族や加害者のビデオを見ながら、そう思った。  私は自分の性に奔放であったことを、性を売り物にしたことを、罪だと感じている。真人間になろうと決意して、一度は過去は過去で、私はただそれを事実として自分の歴史として持っておるだけにしていたけれど、やはり罪の意識がまた襲ってくる。  罪は穢

          罪 死 性愛

          第二次性徴、あるいは懺悔

           東日本大震災のあった頃、私は小学生で、田んぼを挟んだところに住んでいるギャルと、才色兼備のギャルと仲が良かった。なんで仲良くなったかは覚えていないが、田舎の小学校にもスクールカースト的な、陰とか陽とかの違いみたいなのはあって、私は生粋の陰の者なので、その子たちみたいなイケイケと呼ばれる部類の人間とつるんでいたことを誇らしく思っていた。  その子達とはたまに男女混合で遊んでいた。その時、押入れの中でおっぱいを見せてくれみたいなくだりがあったのを覚えている。結局女の子たちは見せ

          第二次性徴、あるいは懺悔