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すべて

 私はどこまで私の気持ちを人に押し付けて良いのだろうかと思う。だって恋愛とは性愛とはそういうものだろう。いや、「そう」ではないから、今「こう」あるのだろう。
 私はどうにも人より意志が弱い。どうしてもこれは譲れぬというものがない。強いて言うならばこの怠惰がわたしに頑固に付き纏っている。

 私は他人を愛しているのではなく、所詮自分しか見えていないのではないかと思う。それは私が最も危惧するところであり、避けてきたことである。
 しかし、交際して間もない頃の、絶対に悲しい思いをさせまいと言う実感に似た決意も、日が経ってどうにも感覚が揺らいでしまった。
 人が人と一緒にいるということは、当たり前ではない。にも関わらず、当たり前ではないことが日常に溶け込んでいく過程で、その有り難さというものを失念してしまっていた。
 ゆえの、「これ」である。

 実を言うと、相手も私を見てはいないのではないかと不安に駆られることもあった。
 というよりむしろ、私と何故一緒に居続けてくれるのか、理解ができなかった。理由が皆目見当もつかなかった。
 彼は私に騙されているのだという確信にも似た恐れがある。彼が夢から醒めれば、と思うと淋しい気持ちにならずにはいられない。

 こんなおもいは病的といえるだろうか。私には交際を通した確固たる意志があったはずなのに、彼の幸せを祈ること以外わからなくなってしまった。私が何故そこに介入して良い論理を得たのか忘れてしまった。
 離れたいわけではない。私個人の傲慢が許されるならば、彼の秘密は私であるべきだと思う。いや、思わない。思わないな。ただ、私は彼のすべてを見ていたいと思う。「知る」ということにも相応の立場というものが必要であるから、私は交際という形でその権利を得ていたのだった。
 思い出したかもしれない。
 ただ、彼をどこか神格化してしまっているために、彼の横に私のような薄汚れた業の深い女がいることを許せはしない。
 私で、彼が穢されていく感覚が湧き上がる。
 それでも彼に見放されたら、すごく悲しいと思う。だって私は間違いなく幸せだったからだ。幸せが形而下に形作られ得ると、体験した。

 彼と私の接点がなくなれば、私が生きていることなど曖昧になるに違いない。彼のいなくなった先の人生がどうなろうと、たいした問題ではなくなる。彼のいないと言うことの前に、どんな変化などないに等しい。

 こんなの、気持ち悪いだけだろう。

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