兄弟姉妹

 なんの取り柄もない人間は何を持って自分を肯定すればいいのか。

 誰が見ても、弟は卑屈で臆病で、発達段階で何かあったに違いない性格をしている。容姿もいかにもなオタクくんである。
 もう弟も大学生で成人しているので、いまの彼の現状は自分の責任であると思う。そう思いたい。
 でも育った環境の影響をすべて否定するのはまた違うように思う。

 彼は気が遣えて優しい、と母親は言う。
 でもそれが一体何になるのだというのだ、それはただの「理解ある息子くん」ムーブだろう。自分が叱られないために先回りしているだけで、受動的で利己的な“優しさ”だ。
 彼のノンバは死ぬほど弱い。きょうだい、家族の中でさえ適切な距離感がつかめないほどに人間とのコミュニケーションの経験に乏しい。愛想が悪い。自分の現状をある程度自覚しているが、改善に至らない。自己肯定感が低いから、自分に期待できないのだ。自分の限界を自分で決め、そのぬるま湯につかっているのだ。
 彼に恋人ができることはまずないだろう。仮にできたとしてもそれは尊い恋愛などではなく、互いにすり減らすだけの搾取である。

 私の母親は専業主婦である。父親の職場は少し離れており、必然的に母親といることのほうが多い。
 私の母親は、基本的には良き母だが、自分の決めた予定通りに事が進まないと、癇癪を起こすくせがある。認知が歪んでおり、一つことがうまく進まないと、全部否定したくなる傾向がある。ノンデリで、臭いとか下手とか平気で言う。

 やはりすきあらば母親のせいにしたくなるな。でも、やっぱり経済的にゆとりがあって、母親をお母さんと呼ぶ家庭の子供って“こう”なりがちな気がするだよな。

 まだ言語化するにはしおんがまじりそうなのでこの辺にする。

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