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【世界遺産・短編小説】「軍艦島と白い宝石」後編

〈3〉

 翌朝、美咲は善朗とともに、長崎港大波止おおはとターミナルから高速船に乗り、伊王島いおうじま港を経由して高島に渡った。幸運にも、波は穏やかだ。季節によっては、軍艦島への上陸率は決して高くないと聞いていた。港に接岸する前から、森田正利が手を振っているのが目に入った。小柄なその姿には優しさがあふれている。
 近づいていくと、手を差し出してきたのでその手を握る。力強く握り返された。
「美咲ちゃん、元気やった?」
「ご無沙汰ぶさたしています。おかげさまでなんとか」
 森田がゆっくりと頷き、「今回は仕事やって?」と目を細める。
「そうなんです。おじさんは、高島でお仕事されているそうですね」
「そこの石炭資料館や北渓井坑跡ほっけいせいこうあとといった炭坑関連施設の管理ば担当しとるとさ」
 高島港ターミナルからすぐ近くに、高島石炭資料館があった。建物の前には、端島のミニチュアサイズの模型がある。「美咲、見てみんね」と善朗が指をさした。
「森田さんが住んどったとは16号棟やったっけ?」
 善朗が模型を指さして声を掛けると森田が頷いていた。
「おじさんは、18号棟から、17号棟、そして、最後は16号棟に引っ越したとよ。それで、その一つ下の階に住んどったとが、美咲ちゃんのお母さんの家族ばい」
 美咲は身を乗り出していた。どこで撮影するのが良いか。島の地図や構造はインターネットを活用して何度も調べている。
「この16号棟の一番上やったけん、見晴らしが良うて、この通りば見通せたっさね。今日案内すっけど、“しお降り街″と言うて、商店街が続く賑やかな通りやった。海側の59号棟から66号棟の上ば超えて、波の降りかかることもあるけん“潮降り街″ね」
 小さな島なので、住宅の密集地帯でこれだけ長い道になっている場所は他に見当たらない。
「ここには生協の購買所に個人商店と、いろんなお店があって、なんでも売っとったっさね」
「写真で見ました。女性は、オシャレもしていたそうですね」
 森田が「そうそう」と目を細める。過去にタイムスリップしているようだ。

「腕時計は売っていましたか?」
 森田が「もちろん売っとったはず」と頷いた。
「手に入らんもんはほとんどなかったけんね」
「食堂はもちろん、映画館、パチンコ、雀荘といった娯楽施設までなんでもあったそうですね。やっぱり、お花とか、緑はなかったんですよね?」
「それがね、アパートの屋上に農園ば作っとったとよ。子どもたちの教育目的やけどね」
 美咲は「屋上ですか」と声を上げた。
「土地の少なかったけんね。幼稚園も屋上やったし、おじさんたちの遊び場も屋上やった」
 模型で端島の説明を受けた後、3人で高島石炭資料館に入った。当時の写真や地図、実際に、炭鉱マンが使っていた道具などが展示されている。過酷な現場であることがよく伝わってくる。
 祖父が「炭鉱マンは命がけの仕事ぞ」と言っていた言葉が蘇ってきた。命をかけて、家族のために頑張ってくれたから今の美咲たちがいるのだ。

「この島が日本の近代石炭産業の原点やけんね」
 善朗が自分の手柄のように美咲に訴えかけてくる。高島炭坑の開発に尽力したトーマス・グラバーが今でも長崎県民に愛されているように、高島が近代化にどんな役割を果たしたかは地元民なら誰だって知っている。
 軍艦島の知名度の方が圧倒的に高くて注目されがちだが、先に開坑したのは高島炭坑の方で、1869年のことだ。日本初の蒸気機関を動力とし、その炭鉱技術は日本の炭鉱の先駆けとなり、端島のほか、筑豊ちくほうや北海道にも伝わった。端島炭坑が三菱の経営となり本格操業が開始されたのは1890年。高島炭坑の技術を引き継いで発展させたのだ。
 
 
〈4〉

 高島から端島へは、渡し船を使うことになっていた。待ち時間に、スマホで珊瑚についてネット検索すると、古代から子供のお守りとして使われ、現代では女性の子授けのお守りとしても知られることがわかった。時間差があったのはこのためだろうか。恵美の優しさを想うと、美咲は少し胸が苦しくなった。
 
 約束の時間になってやってきた小型の船に3人で乗り込むと、すぐに出航する。港を出ると、端島が肉眼で確認できた。その姿が、どんどん大きくなっていく。胸が高鳴る。
 端島は小さな岩礁がんしょうと周囲に点在する瀬からなる。岩礁を埋め立てることで、現在の形になった。その回数は1897年以降、40年に渡って計6回にのぼり、護岸堤防の拡張を繰り返した。最終的にはもとの約3倍の面積になっている。
 護岸は「天川あまかわ工法」と呼ばれる伝統的な石積みで組まれている。砂岩である天草石を天川と呼ばれる目地剤で接合しているのだが、この擁壁ようへきが独特の景観を醸し出していた。
 
 美咲は一眼レフのデジカメを取りだしてシャッターを切り続けた。途中で動画撮影モードに切り替える。かつて目にしたことが一度もない、それは息を呑むような光景だった。

 何度も写真や映像などでリサーチしていたが、その迫力は想像以上だ。
「すごい」と、思わず何度も言葉が漏れた。
 どんどん近づいて、ついに船が北側の桟橋さんばしに接岸した。一気に階段を駆け上って上陸する。広場に出ると、目の前に端島小中学校がそびえていた。1958年に建設されたもので、島の中では比較的新しい。壁も窓もボロボロだが、建物自体はしっかり存在感を保ったままだ。
 善朗が急いで学校の玄関に入っていくと、しばらくして美咲と森田の分の黒いヘルメットを持ってきてくれた。
「じゃあ、探検ばスタートしようか」
 緊張が走る。美咲は善朗と二人、森田に続いていく。

「学校の隣が島で一番大きか65号棟。屋上に恵美ちゃんも通った幼稚園があったとよ」
 美咲は小中学校と65号棟の存在感に圧倒されていたが、その先の角を曲がって進むと、さらに衝撃的な光景が広がっていた。
 森田が言った通り、“潮降り街″が突き抜けていたのだ。森田の視線の先には、最後に住んでいたという部屋の窓が微かに見える。その下に、恵美も一家で住んでいたはずだ。
 夢中で動画を撮り続ける。

「ここに商店のあってね。おつかいでくると、お駄賃でたこ焼きばよう買うてさ」
 森田が目を輝かせながら過去に想いを馳せている。この特別な島で、特別な時間を過ごした幼少期にタイムスリップしているのだ。
 ファインダー越しに森田の姿を見つめる美咲の脳裏に、CMの絵が浮かんでいた。
 
 止まっていた時が、本当に動き出した――。
 
 いくつか、住居だった建物の部屋をのぞいてみたが、当時の人々の息遣いきづかいが聞こえてくるようだ。生活感に満ち溢れていた。
 16号棟にも足を踏み入れた。祖父母と恵美が過ごした空間だ。住んでいたと思われる部屋に入り、目をつむり、胸に手を当てる。恵美がくれたネックレスの五島珊瑚に服の上から触れた。恵美が何かを語りかけてくるような気がする。最期の時間も、ちゃんと一人の人間として向き合ってくれた。今もきっとすぐそばで見守ってくれているのだ。もう一つのネックレスがスペアのはずがない。
 お母さん、私、やっと、2つのネックレスに仕立て直した意図がわかったかも――。

 その後は、一緒に周囲1.2キロメートルほどの島を一周した。荒波の影響を受けやすい島の南西側では、台風の爪痕つめあとがはっきりと残っているのを確認できた。
 1974年に全島民が出てから、2009年に上陸ツアーが開始されるまで、30年以上に渡って、島は眠りについていた。現在も、一般観光客が立ち入れる場所は南側の一部に制限されているが、安全上、そうしなければならないことがよく分かった。至るところで建物の崩壊が進行していて、とても案内できるような状況ではないのだ。
 2015年に世界文化遺産に登録されてからというもの、注目度は一気に高まった。しかし、台風被害によるツアーの一時中止に加え、折りからのコロナ禍で観光客は減少し続けているそうだ。
「もっと見学できるところを増やしたかけど、簡単にはいかん。劣化はどんどん進んでいくけんね……」
 善朗はその難しさを語った。南側の現存する施設では日本最古の鉄筋コンクリート造アパートである30号棟は長年の風雨にさらされて損傷も一段と激しく、余命僅かという診断結果も出ている。
 
 島を散策しながら、美咲は森田に声を掛ける。
「おじさんはたしか、1960年生まれでしたよね。島を離れた時は何歳でした?」
「14歳やったかな……」
 美咲は大きく頷いた。
「74年に子供の頃の記憶があったということは、現在は、少なくとも50代じゃないとおかしいですよね。CMでは誰が演じるかが肝心で」
 森田が腕を組んで頷いた。
「ただ、商品のターゲット層との兼ね合いもあってどこまでリアリティを求めるのかは悩ましいところです……」
 それを聞いた森田が「そうね」と破顔した。
「でも、元島民のおじさんがガイドしてくれたから、私の中ではっきりとストーリーが広がりました」
「そう言ってもらえたら嬉しか。どんなCMになるか楽しみばい」
「森田さんばモデルにするなら、いぶし銀の渋い役者に演じてもらわんば」
 善朗がはしゃいでいる。ともあれ、最初から許可は出す気でいてくれたようだ。
 
 
〈5〉

 美咲は、森田に案内されるまま夢中で島を歩いていたが、腕時計を見て、予想以上に早い速度で時が過ぎていることに気づいた。太陽もすっかり落ちてきている。上陸地点に向かうと、迎えの船がきた。
 3人で乗り込むと、水飛沫をあげながら、船は島を離れていく。だんだんと小さくなっていく端島の姿が幻想的で、ここでも美咲は船尾に張り付いて動画を撮り続けた。
 ほどなく、野母崎のもざきの小さな漁港に着いた。接岸して、振り向くと、まだ端島ははっきりと肉眼で確認できた。森田と目があって、あらためて頭を下げる。
「貴重なお時間をありがとうございました」
「いやあ、楽しかったばい。こっちも仕事やけどね。不思議な体験やった」
 美咲が「確かに」と言って笑う。
「おじさん、トイレ行きたくなったから、探してくるけん」
 そういうと、森田は小走りで美咲たちから離れていった。この後、3人で食事をしてから、美咲は今日の最終便で東京に戻る予定だ。
 今しかない――。
「ねえ、お父さん……。私は、お母さんにカミングアウトできないままだったけど、きっと、気づいていたってことだよね?」
 美咲は善朗からもらったジュエリーケースをリュックから取り出して開くと、もう1つのネックレスを見せた。首にかけていたネックレスの五島珊瑚と2つを重ねる。善朗は何も言わずにじっと見つめている。
「これ、ペアのアクセサリーだから、きっとそういうことだよね。私に、大切なパートナーと一緒につけてって……」
 善朗は唇を噛み締めてから、腕を組んだ。
「おいには特に何もいっとらんかった。亡くなる前、美咲にパートナーができたら、渡して欲しいと……。恋人のことを聞いてから、渡すのに時間がかかったのは、おいが受け入れるとに時間がかかったけんさ……。悪かった……」
 善朗に頭を下げられて、美咲は首を振った。震える手で口元を押さえる。時代が変わってきたとはいえ、同性愛のカミングアウトで家族が動揺するのは仕方のないことかもしれない。
「ただ、恵美も母親やっけん、小さか時から誰よりも美咲のことば見とって、思うとこのあったとかもしれん……」
 善朗は空を見上げてから、じっと黙り込んだ。
「そうだよね……」と、美咲は頷いた。
「受け入れてくれてありがとう……」
 善朗が恥ずかしそうに頭をかいている。
「その役者は、優しか人か?」
 美咲は、すぐさま善朗に向かって首肯しゅこうした。
「役者なのに、お父さんみたいに嘘が下手……」
 善朗が白い歯を見せる。
「恵美が最期いっとった。きっと、あの子は、あなたみたいに優しい人と一緒になるやろうねって……」
 美咲は、不意に込み上げるものを感じて目頭を押さえた。
「まあ、そがんことやけん、美咲は自分らしく、生きたいように生きたらよか。後悔のなかごと、美しく咲け」
 ぼやけた視界の先に、端島がたたずんでいた。
 
<了>



八木 圭一(やぎ・けいいち)

1979 年、北海道十勝出身。横浜国立大学経済学部卒。
雑誌編集者、コピーライターなどを経て、2014 年に『一千兆円の身代金』で、宝島社の第 12 回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞してデビュー。翌年、同作はフジテレビでドラマ化。
代表作に、グルメミステリー「手がかりは一皿の中に」(集英社文庫)シリーズなど。現在も、IT 企業で広報の仕事に携わりながら、パラレルキャリアを歩んでいる。



写真提供:(一社)長崎県観光連盟