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【世界遺産・短編小説】「夏の三角の夢」前編


明治日本の産業革命遺産ミステリー小説
新人ミステリー作家の登竜門『このミステリーがすごい!』大賞受賞者をはじめとした新進気鋭のミステリー作家たちが、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の地を実際に訪れて短編のミステリー小説を書き下ろし。広域にまたがる構成資産を舞台とした物語をミステリー作家陣が紡いでいきます。
ものづくり大国となった日本の技術力の源となり、先人たちの驚異的なエネルギーを宿す世界遺産を舞台にした不思議な物語を通じて、この世界遺産の魅力をより多くの方に感じていただき、価値が後世に繋がっていくことを願っています。


「夏の三角の夢」

友井 羊

 穏やかな波の三角みすみ瀬戸せとの先に深緑の山々が見える。じりじりと照りつける夏の陽射しに、私は目を細めた。
 ――ここはどこだろう。
 自分は先ほどまで三角港にいたはずだ。角が丸みを帯びた独特な埠頭ふとうや、太陽を反射する美しい波、対岸の天草あまくさの地にも見覚えがある。
 だが町の景色は一変していた。道行く人々の服装も見慣れないものばかりだ。旅の仲間はどこにいるのだろう。蒸し暑さに汗をにじませながら歩くと、二階建ての立派な洋館にたどり着いた。屋根は藍色で白壁は美しく、バルコニーが贅沢ぜいたくに造作されている。

 うだるような暑さと疲れのせいか、ふいに立ちくらみに襲われる。何とか倒れずに済んだが、そこで背後から声をかけられた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、平気です」
 若い女性が心配そうな眼差まなざしを私に向けている。私は女性に尋ねた。
「ここは三角港ですよね」
「えっと、はい。そうですよ」
 女性は戸惑いながら答える。やはり三角港で間違いないが、記憶とは街並みが異なっている。私は目の前に建つ見知らぬ洋館を見上げた。
「この建物は……?」
「こちらは浦島屋うらしまやです」
 浦島屋という屋号なら知っているが、その答えに耳を疑う。
小泉八雲こいずみやくもの?」
「ご存じでしたか。ゆかりの建物として有名ですよね」
 元々はラフカディオ・ハーンという名前の西洋人で、帰化したことで小泉八雲に改名した文学者だ。日本文化、特に怪談を欧米に紹介したことで有名だ。
 八雲は一時期、熊本で暮らしたことがあった。そして夏の盛りに長崎へ旅行し、途中で三角港の旅館・浦島屋に立ち寄ったのだ。
 八雲は浦島屋を絶賛し、「夏の日の夢」という紀行文を記した。私も読んだことがあるが、不思議な味わいの文章だった。浦島屋や女主人をめ称え、熊本への旅路で体感した日本的な雰囲気を外国人の視点から書き連ねていた。そして八雲は浦島屋という名称から連想したのか、浦島太郎伝説について語りはじめるのだ。
 紀行文には旅の体験と、物語部分が曖昧あいまいになる瞬間がある。単なる脚色だと思っていたが、八雲は三角港で本当に不思議な体験に遭遇したのかもしれない。そして私もこの真夏の日に、龍宮のような異界へと迷い込んでしまったのだろうか。
 黙り込んでいると、女性が笑顔で話しかけてきた。
「観光客の方ですよね。もしよかったら、ご案内しましょうか」
「案内ですか?」
「わたしは普段、市の仕事で観光案内をしているんです。今日は別の仕事で立ち寄ったのですが、予定はまだ先なので三角西港をご紹介しますよ」
「ありがとうございます。そうしていただけると助かります」
「承知しました。ご紹介が遅れましたが、わたしは乙川おとかわと申します」
 ここは別の世界のようだが、私の知る三角港と共通点がありそうだ。私には元の世界でやるべきことがある。街を散策すれば、戻るための手がかりが得られるかもしれない。

 乙川が最初に案内してくれたのは排水路だった。
「こちらは三角西港に張り巡らされた三面石張りの水路です。今も現役で、大雨のときには山からの水を海に流してくれるのですよ」
 案内を仕事にしているだけあって、乙川の解説は滑らかだ。
 埠頭と同じく堅牢けんろうそうな石造りに見覚えがあった。同じ水路が私の知る港にも通っていたのだ。やはりこの奇妙な場所は、私のいた世界と繋がりがあるようだ。
 乙川は真っ直ぐ伸びる排水路をさかのぼるように歩く。ついていくと見覚えのある石造りの階段があった。上りきると、乙川は右手側に進んだ。私は乙川に質問する。
「この先は役所でしょうか」
「正解です。宇土うと郡役所の庁舎だった建物ですよ」
 見えてきた建築物は、役所らしく高台から三角港を見下ろしていた。石造りに似せた漆喰壁の西洋風の建物は威厳があり、門や窓枠に塗られた水色が美しい。
 続いて石階段を上って左手側に案内される。その先の建物の姿に私は目を見開いた。

「これは、裁判所?」
「はい、三角簡易裁判所の本館です」
 木造平屋の瓦屋根の建物は、古びた診療所といったたたずまいだ。広い庭を挟んだ建物は弁護士等の控室だったはずだ。見覚えがあったが、記憶と大きく違う点があった。
「裁判所は別の場所にあったはずです」
 私の疑問に、乙川が驚いたように眉を上げた。
「よくご存じですね。裁判所はかつて、三角西港内の一角に設置されていました。この場所に移築されたのは大正九年です。実は平成四年まで現役の裁判所だったんですよ」
 聞き慣れない言葉が耳に入る。私は迷い込んだ世界について、ある仮説に思い当たった。だがにわかには信じられない。
 乙川が石階段を下りていく。あとを追い、大通りを右折する。石造りの古びた橋にも見覚えがあった。思い悩みながら歩いていると一軒の建物にたどり着いた。

「こちらが高田回漕かいそう店です。遥か昔に栄えた廻船かいせん問屋の面影が、今も残っている貴重な建物なのですよ」
 古びた建物を見上げて立ち尽くす。私は五人づれの旅の途中で、こういった素朴だが堅実な造作の宿に幾度となく宿泊した。
 旅は高名な文学者が引率し、他は私を含めて二十歳そこそこの学生たちばかりだった。私と同世代の面々はみな文学を志し、優れた作品を世に出そうと情熱に燃えていた。
 しかし表にこそ出していないが、私は強い焦りを感じていた。世の中には途轍とてつもない才能を持つ者がたくさんいる。この旅路にも十年五十年、百年先まで残る作品を生むであろう天才が参加していた。優れた書き手があふれるなかで、私が作品を世に問う意味があるのだろうか。旅の最中、ひそかに懊悩おうのうしていたのであった。

「続いては三角海運倉庫です。荷揚げ倉庫として使われた土蔵で、三角西港が最も栄えていた時期には海沿いに多くの倉庫が並んでいたのですよ」
 白壁の土蔵は現在、洋食店になっているようだ。私の記憶する三角港では、説明通り埠頭に面して土蔵が並んでいた。しかしここでは一棟しか残っていない。
 乙川の説明を受けて確信した。
 目の前に広がる港は、私がいた三角港の遥か未来の景色なのだ。


後編へ続く

写真提供:熊本県観光連盟