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【世界遺産・短編小説】「夏の三角の夢」後編

 浦島太郎は龍宮で宴に酔いしれた後、老いた両親を心配して村に戻った。すると故郷の風景は一変していた。見知った家々は消え、田畑や神社の場所まで変わっていた。しかし山々の輪郭りんかくや小川、海岸線だけは以前の姿を保っていたという。
 私の置かれた状況も同じなのだろう。海峡の先に見える天草の景色や三角港の裏手にある山々、埠頭や排水路、そして数少ない建物だけは当時のままだ。しかしどれだけの時間が経ったのかわからないが、三角港の街並みには変化が見てとれた。
 私は龍王の姫との甘い日々など送っていない。それなのにただ未来にだけ送られるなど、あんまりな仕打ちではないだろうか。
 衝撃に愕然がくぜんとしているなか、乙川は案内を続けてくれた。

「あちらの建物はムルドルハウスといって、三角西港を設計したローウェンホルスト・ムルドルにちなんで名付けられた物産館です。お時間があったらぜひお立ち寄りください」
 多角形の棟を持つ洋館の前を通り過ぎると、和洋折衷せっちゅうの建物の前に到着した。これは私のいた時代には存在していなかったはずだ。
「こちらの龍驤館りゅうじょうかんは、明治天皇即位五十周年記念事業として建築が計画された建物です。浦島屋はかつてここに建てられていたのですよ」
 即位五十年の記念であれば、私の時代には建てられていないことになる。やはりこの場所は未来の三角港なのだ。
 龍驤館の右奥に、浦島屋と呼ばれた建物が見える。小泉八雲の紀行文で旅館の存在は知っていた。だがその後廃業し、中国の大連に移築されたと聞いている。そのため私の知る三角港に浦島屋の建物は存在しない。あの美しい白壁の洋館は長い月日の間に再建されたものなのだろう。
 栄えていた港町は現在、のどかな公園になっている。私は質問せずにはいられなかった。
「この港はいつから使われなくなったのでしょう」
 私の問いかけに、乙川は寂しげな表情を浮かべた。
「時期を断定するのは難しいですね。ただ最も大きなきっかけは、福岡県の大牟田おおむたに三池港が造られたときでしょうか。三角西港は元々、西南戦争からの経済復興を目的として築港されました。そして三池炭鉱の石炭を輸出するインフラとして貢献したのですが、三池港の完成によって石炭を運ぶという役割を完全に終えたのです」
 大牟田に近々、最新鋭の港が完成するという噂は旅の途中で耳にした。
「他にも鉄道の三角線がこの港まで延びなかった影響もあって、終点近くの港が徐々に整備されました。港としての機能はその三角東港に移り、ここは三角西港と呼ばれるようになりました。ですがそれは決して悪いことばかりではなかったのですよ」
「どういうことでしょう」
「たしかに三角西港は、長い歴史のなかで忘れ去られました。先ほどご案内した建物もいくつかは一時期、廃墟同然だったそうです。ですが港の機能を失い開発が行われなかった結果、当時の姿を保つことになったのです」
 乙川が慈しむような表情で、龍驤館の前から海岸まで歩みを進める。石造りの埠頭は、私が気がついた場所だ。案内される間に港を一回りしていたようだ。
「明治に造られた港は他にもあります。ですがどこも現役のため開発を余儀なくされ、ほとんど原形を留めていません。昔の姿を残すのは全国でも三角西港だけなのですよ」
「運が良かったのですね」
 誰からも見向きもされず、放置されたから残された。長い年月を経たのに昔のままなのは、ただの偶然に過ぎないことになる。
 だが乙川が首を横に振った。
「わたしは少し違うと思っています。たしかに幸運だったのは事実です。しかし百年以上の歳月を経て、今もここにあるのは偶然だけが理由ではありません」
 私が首を傾げると、乙川が埠頭に目を向けた。

「この港は当時の県令が熊本復興のため奔走ほんそうし、ムルドルというオランダの技師が当時の最先端の技術を用いて設計をしました。そして小山こやまひいでが天草の石工いしくを率いて施工に挑むなど、多くの人たちの情熱によって完成しました」
 目の前に広がる三角西港は記憶と違っている。だが埠頭や排水路は現在も昔の姿のまま残り続け、複数の建物も長い歳月に耐えてきたことになる。
「当時の人たちは全身全霊を込めて最高の仕事をしたのでしょう。そこには良い物を造ろうとする強い意志があったはずです。だからこそ素晴らしい港が完成した。もちろん全国にあった他の施設も、同じように熱い思いで造られたかと思います。そこに偶然が重なったことで、三角西港は築港百周年を契機に再発見されました。そしてその歴史的な意義が評価され、世界遺産にも登録されたのです。偶然と熱意、どちらが欠けても今の三角西港はなかったはずなんです」
 案内される間に時間が経過したらしく、日が傾きはじめていた。強烈な西日が海面を照らす。足元の石畳を見下ろしながら、私は己を恥じていた。
 偉大な文士になりたいと夢見てきた。だが他人の評価に一喜一憂し、百年先まで残せるかなど誰にも見通せないことで思い悩んでいた。
 三角西港は一時忘れ去られても、変わらずにその姿を留めてきた。そして長い年月に耐えられる偉大な建造物だったため、結果的に日の目を見ることになった。
 良い作品を生み出しても、後世まで残るとは限らない。だが百年先まで伝わったものが本物であることは間違いない。
 それならば私に出来ることは、傑作を生み出すことだけだ。
「ありがとう。今日はこの港を見学できて、本当に良かった」
 大事なことに気づかせてくれた乙川に礼を告げる。
「そうだ、少し待っていただけますか」
 乙川が小走りで離れ、ムルドルハウスに入っていった。そして袋を手に戻り、雫の形をした赤黒い果実を差し出してきた。
「三角町の名産のイチジクです。甘くて酸味が控えめで、とても美味しいんですよ。よかったらお食べください」
 私は数日前にも、立ち寄った天草でイチジクを食べていた。宣教師が持ち込んだ品種は南蛮柿と呼ばれ、古くから自生しているという。だが乙川が持ってきたイチジクは南蛮柿より大ぶりで艶めいており、完熟の証として裂けるという尻の割れ目もない。
 美味しそうだが、私は躊躇ためらっていた。異界の食べ物を口にすることで、二度と戻れなくなるような気がしたのだ。
「……ありがとう。一ついただきます」
 だが厚意は無碍むげに出来ない。乙川からイチジクを受け取る。
「長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。どうか良い旅を」
 乙川が笑顔でお辞儀をして、その場から立ち去っていく。私はイチジクを手にしながら、近くの椅子に腰かけた。
 浮桟橋うきさんばしの跡に波が打ち寄せる。日に照らされた海面に海鳥が集まっている。心は晴れやかだが、問題は元の時代に帰れるかどうかだ。
 旅の疲れが押し寄せたのか、唐突に強い眠気に襲われた。重くなるまぶたに耐えられず、手のひらからイチジクが落ちる。そして徐々に意識が遠ざかっていった。

「おい、早く起きろ。出発だぞ」
 身体を揺すられて目覚めると、目の前に旅の仲間がいた。私は汽船の船着き場の待合所で寝ていたようだ。欠伸あくびをすると同行人が苦笑いを浮かべた。
際崎きわざきで飯を食ったあと海に飛び込んで、さらに十町は歩いたからな。そのあともお前は時間があると言って港を散策していただろう。疲れて眠るのも無理はない」
 我々旅の一行は、三角から島原に向かう途中だった。出発の午後五時まで十五分もないようだ。居眠りしていたのは三十分にも満たないはずだ。
「……長い夢を見ていた気がする」
 大事なことを学んだように思えるが、記憶は霧のように消えてしまった。
 私は手のひらをじっと見詰める。手から何かが滑り落ちる感触と、もったいないという気持ちが湧き上がる。味わえないことが残念だった。だが自分が何を食べたいと望んでいるのか、どうしても思い出せない。
「どうした。随分ずんぶんとすっきりした顔をしているぞ」
「そうか?」
 指摘されて気づいたが、胸の奥にあった悩みが軽くなっている気がした。
 私たちは汽船に乗り込み、甲板かんぱんから海を眺めた。日は沈みかけ、海が紅く染まっている。真夏の蒸し暑さに海風が心地良い。遠ざかる三角港を眺めながら、百年先もこの景色が続いてほしいと、なぜかそう願わずにはいられなかった。

 明治二十六年、小泉八雲が三角港の浦島屋に立ち寄った。
 その十四年後の明治四十年夏、五人づれの旅人が旅行の途中に三角港を利用した。この時点で浦島屋はすでになく、三角簡易裁判所は移築される前だった。そして龍驤館はまだ建てられていない。
 旅行に参加したのは、当時三十四歳の与謝野よさの鉄幹てっかんを中心に、二十歳から二十二歳の学生たちだった。北原きたはら白秋はくしゅう木下きのした杢太郎もくたろう平野ひらの万里ばんり吉井よしいいさむは後に歌人や詩人、作家として数々の優れた作品を発表することになる。
 参加者の誰かが三角港の船着き場で居眠りをした、という記録は残っていない。
 五人の旅路は『五足の靴』という紀行文としてまとめられ、明治末期から始まる南蛮趣味と呼ばれる流行をもたらすことになる。三角に関する記述はほんの数行だけだが、文学を志す若者たちが確かに訪れたことを今に伝えている。
 大牟田の三池港が完成したのは旅行の翌年、明治四十一年のことだ。
 そして明治四十二年、桝井ますいドーフィン種と呼ばれるイチジクがアメリカ合衆国から導入された。大ぶりで甘みが強く、酸味も控えめな品種は全国に広まり、三角町でも栽培されることになる。明治を生きた若者も、このイチジクをきっとどこかで味わったはずだ。




友井 羊(ともい・ひつじ)

1981 年、群馬県生まれ。
第10回『このミステリーがすごい!』大賞・優秀賞を受賞。『僕はお父さんを訴えます』で2012 年デビュー。
他の著書に『ボランティアバスで行こう!』、『スープ屋しずくの謎解き朝ごはん』シリーズ(宝島社)、『さえこ照ラス』シリーズ(光文社)、『向日葵ちゃん追跡する』(新潮社)、『スイーツレシピで謎解きを』『放課後レシピで謎解きを』(集英社)、『無実の君が裁かれる理由』(祥伝社)、
『魔法使いの願いごと』(講談社)などがある。



写真提供:熊本県観光連盟