見出し画像

福祉施設の夜勤10



本日(25.26日)は3連続の2階でこれが終われば休み、次に働いたらまた休み(昼から保険加入の為健康診断を相談無しに入れられた)だから気が楽だった。途中までは。

他の人達とやる時は何もしない午後8時頃、相方の社員さんが「掃除できるのは今の内だから、やって」と割とキツめに言われた。僕は「あぁ……はい」と従うしか無かった。社員さんは日用品の在庫確認などで忙しく余裕が無さそうだったし、そんな中バイト如きの自分が座って伸び伸びとするのも変だから仕方ない。

「うーん、どうしよう。やることねえだろ」と思いながら捻り出したのはリビングのテレビ台付近、洗剤類が入っているキッチンの上の棚、冷蔵庫の上の部分の清掃だった。余り目につかないからどこも埃まみれで、雑巾でひたすら拭いた。拭いた。拭いた。

この仕事の、こういう家事作業が自分は1番苦痛である。モップがけなどは肉体的にもちゃんと疲れるし、「この仕事にしかない経験値」というものが全くないからつまらない。奇声をあげる利用者の部屋へ走り向かって宥めたり、暴言を吐かれる方がなんか得した気分になる。普通に生きていたらそんな場所に立ち会わないので。

言ってしまえば僕は、人身事故が乗っている電車で起きたら線路沿いまで移動して死体が見れるか考えてしまうような人間で。嘔吐排泄の目撃でも、ヤバそうな喧嘩の目撃でも、「非日常」であれば大衆が見たくないようなものでも好奇心が湧いてしまう。

今日初めてオムツに排便していた利用者の交換を完全に1人で行っていたのだが、これもやはり嫌な作業なはずなのに、満たされる謎の成分が含まれている。

朝方、透析に行く人の持ち物の説明をされている時、その母親と同じ歳くらいの社員の尻をちょくちょく眺めながらぼーっとしていた。なんなら自分の母親より歳上かもしれないけど、なんかここの労働者の中でも群を抜いて綺麗なんだよな。同じ世代くらいの、同じく新人の女性とそこそこ話す機会が今になってあったが、特段何も感じなかった。

正直ここまで厳しく仕事をしてくれる人はこの社員さんくらいで、嫌になることもあるけどだいぶ感謝している。ぶっつけ本番みたいに機械浴やオムツ交換を任せられがちだけど、結局そうした方が覚えやすかったりする。

もし子どもが自転車に乗る練習をしている時、転んでも親は助けず自分で立ち上がらせなければならない。成長しないから。僕達は結局みんな奇跡が呪いか、「隙があれば怠ける」子どものわがままさが差はあれどある。それを正す役をするのは大抵嫌だと思うし、あの人はこれからの僕の成長にとっては絶対必要で、良い人なんだと思う。引くレベルのM過ぎて注意を罵倒の様に捉えて、心のどこかで喜んでいるだけかもしれない。そうだったらめちゃくちゃキモい。

管理人といいこの社員といい、僕は性格がキツい女性の方が相性がいいのかもしれない。母親も息子の僕には甘々だけど、「性格がキツい」という表現がピッタリの行動が垣間見えることが何回もあった。母親に似ているから、無意識に投影をして良いと思っているならもっとキモい。

ただ社内恋愛みたいな物が反吐が出るほど嫌いだし、恋愛自体もうしたくない(できない)からこれからも「仕事の人」として上手いことやって行きたいが、高年齢の女性ばかりだしどうだか……息子のように見られて好かれるか「最近の若者は」系に分類されて冷ややかな目で見られるかの2択な気がする。

今はだいぶマシになったけど、相変わらず女性と何かをするのは得意じゃないから男の人がもっと入ってきて欲しい。別に表面上は唯一のおじさんの社員と距離感はそこまで変わらないのだが、やはり気を使うし疲れる。喫煙者も男の僕達だけだし。

今の所世話人達からは「大人しくて真面目で優しい、一生懸命な人」みたいなお世辞評価をされていそうだけど、数ヶ月経った頃からが本番なんだよな。要はメッキが剥がれる。僕は人並みの事が人並みにできない部分が要所要所である。「そこ普通そうする……?」みたいなミスが出る。それがこれから暴かれていく度肩身は狭くなりそうだ。コンビニバイトでもそうだった。

今何とかほぼ1ヶ月やり終えられたのが奇跡だと思う。コミュニケーションも仕事もちゃんと不適合者だから、気を抜いたら「こいつ無能だしやべえ奴かも」となる。精神刺激薬と精神安定剤がギリギリで今を繋ぎ止めている。いつ壊れるかーー

ストレスせいか、嫌な話最近性欲が増えてて勘弁して欲しい。下品で気持ち悪い。気が狂って風俗に行くとかキャバ嬢にハマるみたいなことには絶対なりたくない。しかも癖が相変わらず変で「異常者」という悲しい立ち位置へ拍車がかかる。22にもなって女性と触れ合ってこなかった末路はこうだ。もう普通に人を愛せないと思うと少しばかり辛い。今の薬の快楽にも物足りなさを感じてきている。

血反吐を吐いて普通にしがみつくか、ヨダレを垂らして異常に千鳥足で向かうか、どちらが正解か分からない。発達障害も常識非常識もグレーゾーンで本当に困る。どちらを選んでもちゃんと苦しさが用意されている。社会性を持った世話人、社会性を捨てた利用者。自分ならどっち側に寄れば正解なのか分からない。

利用者をなだめてる僕はその瞬間でさえ、その利用者が飲んでいるような薬の何倍も強い作用を得て、健康も心も捨てているのに何故か立場は逆である。

働けているから「気に止めるほどでは無い異常性」なのか?働けていれども薬物中毒で頭がおかしいから「本来診られる側であるはずの遍性の損失」をしているのか?社会で、世界視点で見て自分がどうか判断ができない。自分を自分の事のように見ることが出来ない。

僕の頭の中では無差別に現実の人を殺していたり、血を噴き出して笑いながら臓物を引きずり出していたり、たった今の自分をカメラのズームアウトのように俯瞰者視点で見てみたり、全員に「死ね」と叫ばれ耳を塞ぎながら泣き笑い逃げたり。妄想の観点で本当に統合失調症1歩手前である。
僕は多分「その妄想が完全なる自分の思い込み、非現実」という構造を頭から捨てることがどうしてもできないから一般的に言われる統合失調症の域に達しないのだと思う。要は周りはおかしくなく、自分だけが狂っているという極真っ当な自覚が根底にあるから。「神のお告げ」だとか「これは自分の為に誰かがもたらした超常現象的意識」みたいな結論にはなれない。様々な薬を笑えるほど飲んで発狂しながら、血塗れで時間という概念を忘れ床を這いずった経験を持ってしても完全なる解離、現実と非現実の完全なる混同ができなかった。


いっそ出来てしまえばある意味楽ではあるのに。どれだけ苦しかろうが薬を飲もうが現実を捨てるほどの強さは無かった。一時期は自傷もして過呼吸も過剰摂取も酷かったし、そうならないのは苦痛が足りないだけとは考えたくないのだが……。

ともかく買った精神病理学の本、発達障害の本を読み切ったら何か自己と利用者への答えの発見に繋げられるだろうか。もう「薬を辞めるメリットがない」と本気で思う域なので、薬物依存の苦しさの消滅など期待しない。せめてその世界の中でも少しだけ、綺麗な、価値のある、感情を強く動かす何かが欲しい。正直「この仕事が辞めたいほど辛いか、なら何がダメなのか」すら自分で分からない。

お節介なほど人に感情移入はできるのに、自分にそれを応用できない。「自分にはそんな大事に、何かを想われる権利が自己にすらないという」卑屈さが、半分冗談のつもりが本当にそうなのかもしれない。

自分というものが分からなすぎて他人を操縦している気分になる。解離性障害か?僕が本当にやりたいこととはなんだ?今の仕事と言い外的に刺激を期待してばかりで、自分がそれを作ったりきっかけとなるイメージが中々出ない。

「シフト終わってて職場もまあまあ終わってるけど、でも俺はいつからか辛いことが好きになってしまって、でもやっぱり辛くて辛くて泣き笑うこともあってーー」
意味が分からない。僕は本当に意味がわからない。苦痛を感じることなんて環境にそこまで無かったのに、他人にとっての「辛くない」ことが「辛い」事象が多くて。壊れて自ら辛い思いをして満足しながらも「苦しい、もう嫌だ」と嘆いて。自分でさえ自分に「何してんのお前?」と聞きたくなる。疲れた。

この記事が参加している募集

新生活をたのしく

今月の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?