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社会の常識より、自分の中のファンタジーを信じたい。

福岡に1年間住んだときに居たシェアコミュニティでのコンセプトの一つ

「自分や社会の中でのファンタジーを手放す」
ここでの「ファンタジー」=「こうあるべきといった固定概念、今までの思考や社会の仕組み」

学生までのわたし

学生の頃は、仕事に関して、常に2つ以上のことを同時進行で続けていました。ストイックなわけでも、社畜なわけでもなくただ私の飽き性で、好奇心旺盛な性格から気づけばそうなっていました。笑

冒頭で触れたシェアコミュニティ(わかりやすく言えばシェアハウス)の所在地福岡へ、一念発起して自分探しの旅だ!と北海道から1年間滞在したときも、そこでインターンだけを頑張るはずがインターンの仕事+3つの仕事を経験していました。

北海道へ帰ってきてから「福岡でエネルギー使い果たした、もう新しい環境に入るのとかコワイムリ」みたいになってこのバイトだけ、と決めたはずが結局+2つの仕事をやっていました。(この段落の必要性)(金欠は人を動かすっていうのも1つw)

学生の頃は想像できなかった、私が正社員になって1つの仕事をやる、ということ。入社してもうすぐ半年が経ちます。

久々に外の世界と交わった

私の会社は副業OKで、割とみんなバイトしたり、「いつか辞めるんでしょ?」みたいなノリで個々がやりたいことに関してオープンで、それを尊重する風潮が良いところ。

私の性格上、本業の会社員以外にも別のことも堂々としていたいという理由で業務もちょっと楽しそうだった今の会社を選び、案の定入社3か月目くらいから本業以外にも何かと手を出しています。笑

(それでも正社員という立場上任される仕事が増えてきて、そことの向き合い方に悩み始めた話はまた今度、、)

今日、久々にタイミー(単発バイト)の募集でバイトをしてみました。
仕事内容はなかなか珍しいイベント企画の話し合い、主に10代20代の若い人が現場にいる状況でした。

新しい環境、新しい人に出会うのって緊張するし、エネルギー使うんだけど、改めて、違う世代/職種に携わって、この「面白い!」っていう感覚が自分には必要なんだと思いました。

皆いろんな生き方をしていて、当たり前だと思っていることも、正しいと思うことも違くて、言葉や画面上ではそんな議論が出ていてもやっぱりどこか
「自分とこの人は生きる世界が違うから。」
みたく無意識に感じていて現実的に思えていなかったんだと実際に人と交流していて気付かされました。

おもしろい人間でありたい。

いろんな生き方をしている人たちと出会ったとき、当たり前だと思っていたこと/正しいと思っていたことがそうじゃないと本当に気付いたとき、
私は私のやりたいように生きればいいじゃん、と自信を持って何か行動に移せるきっかけになります。

だからこそ複数のコミュニティと関わって常に多くの人と関わっていきたいし、あわよくば私もそんなコミュニティ(誰か為の居場所)を作れたらな、と思います。とにかく自分自身がおもしろい人間でありたい。

おもしろい人間であるには、どうすればよいのか、、?と帰り道にしばらく考えてみたけど、今までみたいな生き方をしていればきっとおもしろい人間になれるはず。

社会がこうだから、じゃなくて自分はこうだから、で考える。
社会人になってからこそ、気ままに生きていかなければ。

意識的な気まま。

今日もここまで読んでくださった方いればありがとうございます。







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