みや

頭の中をすっきりさせたい

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最近の記事

いってきます

すずめの戸締まりを観てきました。 考察をすぐ見てしまう性分やけどぐっと我慢、 観たままの感想を箇条書きでメモっておきます。 ※以下、ネタバレしまくります ・愛媛の女の子はきはきしてて可愛い ・神戸のバーのおかあさん、「〜とう」って言葉を喋らせたいが為に「めっちゃ見とう」を使えるシーン作ったんやろうな ・もののけ姫の神話的要素とハウル・千尋の人間関係(特に恋愛)をあわせた感じ ・聖地巡礼が捗りそう ・絵日記の3.11、たまきさんがすずめに気持ちぶちまけるシーンで涙腺がやられた

    • 安定しないピアスホール

      かさぶたを剥がすのが幼少期からの癖である。 元来アトピー持ちの私は、肌を掻き壊してはかさぶたをめくり一種の悦を得ていた。 上手くやれば綺麗にめくれる爽快感はもちろんのこと、己の治癒力を水泡に帰す感覚が自傷の悦楽に近かった。 無意識のうちにやってしまう、悪しき習慣だと思う。 五月末にピアスを開けた。 理由はごく単純、敬愛するアーティストの模倣だ。 覚えたての仕事も惰性で続く人間関係も上手くいかない時期で、気分転換の意味も含ませられてちょうどよかった。 ピアスを開けると人生が変

      • 好きな歌詞をまとめてみただけ

        音楽を構成する要素のひとつである歌詞。 コピーバンドしかやったことがないから知らないが、音韻やイントネーションの制限があるなかで伝えたいことをのせるのはとても困難だろう。 ゆえに、魅力的に感じてしまう。 以下、思いついただけ載せてみる。 二通りの解釈があると思う。1つは涙を血になぞらえ、リストカットをしないで済む状態。もう1つは、こぼした涙を手首で拭わなくても済む状態。ワンフレーズのなかに複数の意味を込められるのはすごい...。 すごい曲がった愛情表現。韻も踏んである。

        • 深夜徘徊

          運転好きな友人の影響で、ドライブを楽しむようになった。 幼少期、母が頻繁に車で山に連れて行ってくれたから、必然といえばそうかもしれない。 車には乗せれるだけの人を乗せたい。割勘すると1人あたりの値段が安くなるから、というのは建前で、本当はこちらがお金を払ってでも乗ってほしいと思っている。 私は会話が至極苦手だ。思考を言葉にしてペン先や指先に宿すのは簡単だけど、喉を通ろうとした瞬間に雑念が入るようで、描いた通りに話せない。しかし人の会話を聞くのは好きだ。言葉にはその人のバッ

        いってきます

          1月28日

          木曜日。天気は、曇り時々晴れ。 珍しく朝からちゃんと予定を立てて動き出した。昨晩から太ももからおしりにかけてやたら痛くて、歩くのも億劫になるほどだったから、鍼もついでにしてもらおうと行きつけの施術院に予約を入れた。 家を出て歩いていると一瞬で治ってしまって焦る。 ちゃんと足が元気なのにな、と思いながら、仕方なく電車で最寄駅から3つめで降りて、西に進む。目的は卒論で対象にする和菓子屋さん。踏切を渡ると500mほど商店街が広がっている。そこは地元の人たちが普段の買い物をするよう

          2020年買ってよかったもの

          いきなり もの ではないけれど。 コロナ禍でささくれ立った心を1番癒してくれたのは間違いなく東京事変のおかげ。 東京事変のみならず推しのアーティストさんたちももちろんですが。 楽しいことが本当に少なかった2020年だけど、東京事変が再生してくれたから許せる。 こと にお金を使った事例。 1stクリアウィンター 2ndイエベ春 骨格ストレートでした。 診断受けたおかげで自分の見た目に興味を持つことができた。 買い物のとき迷わないでいいし、これは間違いなく似合うのだから身につけ

          2020年買ってよかったもの

          どこでもドアきっぷの旅やりたいことリスト

          あくまでも備忘録。 私の尊敬してやまない椎名林檎さんの育った街、博多へ行きます。ファーストアルバムの1曲目、正しい街には 百道浜も君も室見川もない って歌詞があるからぜひ1度見てみたい。いわば聖地巡礼。好きな人が見たであろう景色を私も体験したい。 あと“同じ夜”にも福岡の天神が出てくるね。撮りたい。 小5,6の頃にびわ湖放送で見てから食べたくて仕方ない。寒いかもしれんけど、そんなことは関係ない。食べたい。謎の棒アイス。 開通のときのcmに感動した覚えがある。 今見

          どこでもドアきっぷの旅やりたいことリスト

          1年

          noteを見返した。 “女”と“恋愛”について考えている私がいた。 ひとと違うことに随分と深く悩んでいるようだった。 あれから1年、自分を認めることができつつある。 1月、自分はXジェンダーだ、という診断結果をみて心底ほっとした。今まで抱いていた違和感や不安は間違っていなかったと。他人に責め立てられることが多々あったけど、おかしかったのは理解のない相手の方だと。一般的という型から外れて不安定だった心が、ちゃんとはまってくれるようになった。 カミングアウトは大学の親しい人に

          備忘録

          一週間が終わった。 去年の1月から、およそ9か月ぶりに大学で授業を受けた。 春学期。 ひとりぼっちで迎えたオンライン授業は先生の顔が見れないのが苦痛だった。けど、成績はこれまでの学生生活の中で一番いいものだった(小学校含む)。 これほどいい成績はもう二度と取れないだろうな......と怯えつつ、先生と顔を合わせて講義を受けられるのが本当に楽しみだった。 迎えた登校初日。 久しぶりに立ち入った学校は、9か月前とは全く違うものに見えた。例えるなら2018年の4月に戻ったような

          備忘録

          魔法使い

          高校からの友達で、美容師になった人がいる。何気にずっと交流があって、友達が美容の専門学校に行くと決めたときは、将来髪切ってな!と頼んだりした。卒業してから少し疎遠になっていたけど、ここ最近は頻繁に会っていて、お互いいろんな話をしている。特によく仕事の話は聞いていた。自分が全く知らない世界のことに興味があったから。同い年でもう社会に出て、ちゃんと働いているなんてすごいなと、ぼんやり思っていた。 そんな友達に髪を切ってもらうことになった。私の家のお風呂場で、背もたれのないパイプ

          魔法使い

          崩れる

          心にもやもやが溜まってしまったとき、何かが崩れていく音がする。 ちょっとした出来事や、不快に感じる気温、自分しか分からないような体調不良、思っていても言えないようなこととか。きっと他の人にとってはなんともないようなことひとつひとつが、ちょっとずつ心に傷をつけていく。 大きな出来事が起こってひどく落ち込んだりしたとき、手の付けようがないぐらい堆く積もってしまったものに気づいたら最後、どん底まで落ち込むほかない。溜まってしまったもやもやを、叩き崩してなかったことにしてしまいた

          つなぎとめて

          最近全然写真を撮りに行けてない。コロナで不要不急の外出を控えなくていけなかったせい。もし普段通りの生活が送れていたら、今頃は桜やお祭りの屋台、友達の写真なんかがデータやフィルムに残っているはず。授業に集中できなくなったら写真を眺めて懐かしさに浸りながら、今年の夏は何ができるかな、としたいことなんかを書き出していたりしただろう。 そんなことを言いつつ、本当は過去にあった楽しかったことを覚えるのがとてつもなく苦手。やらかしてしまったことや悲しかったことは鮮明に思い出せるのに…。

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          最強だったわたし

          誰の力も借りず、頼まれたことを完璧に片付け、周囲からの信頼を積み上げる。困難が立ちはだかったときでも、すぐに最善の方法を導き出す。己の才覚で、他人の手なんて借りなくても、なんでも一人でこなしてしまう。 そんなかっこいい人間に、なろうとしていた。なる必要があった。だから、人一倍頼まれごとを引き受けた。身を削って、いろんなことを成し遂げた。その結果、たくさんの人に褒めてもらったし、それなりの地位を確立できた。 私は、今まで生きてきた中で1番強かった。 あれから2年は経とうと

          最強だったわたし

          緑の風

          五月のはじめ。 冬が終わり、待ち望んでいた春にも慣れて、夏の始まりをほんの少しだけ孕んだ風を感じ取るとき。まるで新緑のようにも思えるその風は、日差しがつらくなりはじめた昼下がりの街を、宵の街でさえも包み込む。 ゴールデンウィークといえば地元の神社のお祭りが思い浮かぶ。和菓子屋でバイトしている私にとっては、連勤の息抜きにぴったりだ。小高い場所にあるその神社は、暮れゆく街の様子が少し見える。夜が追いかけてくるような空模様、そこそこ規則正しく並べられた自転車、焼きそばの匂い、祭

          思い思われ

          好きな人に人生を動かされ続けている、と少し前のnoteに書いた気がする。実際にそう感じている。過去の恋人にしても、推しにしても。じゃあ恋人(もしくはそういう意味での好きな人)と推しの違いって何?って思ったから書いとく。 私にとっての“推し”は、一方的に愛したい人のことをいう。平たくいうと、愛しあいたくない人のこと。逆に、恋人になりたい人(そういう意味での好きな人)は愛してほしいからこそ成立する。 なぜ愛しあいたくないのか。いちばんは恐れ多いから。特に、まずお金を払わないと

          思い思われ

          愛だろ云うなれば

          初めて私と真逆の考え方の人に会った。人や物に全く入れ込まないタイプの人。私までとはいかなくても、人はある程度好きなことに対して、熱量を持っているものだと思っていた。今まで自分のうちになかった思考というのはすごく不思議な気持ちにさせられる。今一度、自分の“好き”について考えてみる。 好きな人や物には凄まじい熱量を以て接するというのが私の“好き”に対する向き合い方。これはおそらく物心ついてからずっとそう。小5のときに好きになった地図のお陰で大学に行けたし、一瞬でも好意を持ってい

          愛だろ云うなれば